mission13-54 ユナの決意



 ユナはウラノスに導かれるまま診療所の毛布に身を包み、オアシスの湖畔にしゃがみこむ。夜の砂漠は底のない海のように暗く、冷たい。ただ、満天の星空は街で見るものよりも明るく輝き、神石クロノスとよく似た深い紫色の光の帯が川のように悠々と伸びている。


(リンデン湖で見た景色と似てる……)


 ユナは星空から目を背けるように俯く。今度は眼下の湖の水面に映る星空が目に入った。美しい光景。だが今は「逃げるな」と言われているようで胸がひりつく。小さくため息を吐き、まぶたを閉じた。瞳の端からはまだ涙が溢れてくる。


「ユナちゃん……」


 隣に座るウラノスが身を寄せてユナの背中をさする。消えかかっている小さな手のひら。それでもしっかりと温かい。


「あの……ごめんね。別世界の僕のせいで……」


 ユナは首を横に振る。


「ウラノスのせいじゃないよ。……私の方こそごめんね。せっかくあの人アランがルカのことを助けようとしてくれているのに、あんなこと」


「そんなの気にしちゃダメだよ! あれはどう考えてもアラン君が悪い。ユナちゃんの話も聞かずに勝手に手術を始めるなんて。昔っからデリカシーのかけらもないんだ、アラン君には」


 ウラノスはぷんすかと頬を膨らませる。自然と「昔っから」と口にしたのは、リフィルだった頃の記憶が戻りつつあるからなのだろうか。


「ウラノスはアランのことが大好きなんだね」


「うん……えっ!?」


 少し間があった後、少女は声を裏返らせて飛び跳ねた。


「すすすすす好きとか、そういう話じゃないよ!? あ、いや、嫌いってわけでもないんだけど!! 僕にとっては四神将のみんなが家族みたいなものというか、そういう意味の『好き』だからね!? そ、そりゃキリ君よりはアラン君の方がまだましというか……でも鬱陶しい部分もかなりあって」


 必死に言い訳を練れば練るほど、ウラノスの顔が赤らんでいく。息切れしたところで「はぁ……」とため息を吐くと、再びユナの隣にちょこんと座った。


「僕、よく分かんなくなっちゃった。リフィルの話を聞いてからさ、僕の感じているものが僕のものじゃなくてリフィルのものかもしれないって思っちゃう。それに、あのもう一人の僕を見て……怖くなったんだ。あれが違う世界の僕だとしても、僕の中にああなる可能性があるってことなんじゃないかって」


 ウラノスはそう言いながらハッとして、首をぶんぶんと横に振った。


「ごめん、こんな話をするつもりじゃなかったんだ。僕はただ、ユナちゃんを励ましたくて……でも、これまで四神将の人たち以外とほとんど話したことがなかったから、こういう時なんて言えばいいのかわからないや……」


 膝を抱え、しょんぼりと膝と膝との間に顔を埋めるウラノス。その姿がいじらしくて、ユナは思わず彼女の小さな身体をぎゅっと抱き締めた。


「ありがとう。こうして側にいてくれるだけで嬉しい」


「ユナちゃん……」


「それに、ウラノスはウラノスだよ」


「え?」


「確かにリフィルの感情に影響されることがあるかもしれない。でも、それは誰だって同じなの。一緒にいる人や契りを交わした神様に影響されながら生きていく。……なんて、これもハデスが言っていたことに影響された考えかもしれないけど」


「僕だけじゃない……みんな、同じ……」


 ユナの言葉を反芻していたウラノスは、ふと何か思いついたのかユナから身体を離し、彼女の眼を見て言った。


「それって、ルカ君も一緒ってことだよね?」


「あ……」


 丸い無邪気な瞳がユナを射抜く。


 ウラノスの言う通りだ。ルカだって同じ。


 彼の主人格が神様だとしても、キーノの身体や義賊の仲間たちと触れることで少しずつ影響されて、今のルカが在る。


「……そうだね。ルカは、ルカだ」


 ルカから時の追憶の話を聞いてから、ルカが消えてキーノが帰ってくるとどうなるか、そればかりが気がかりだった。


 でも、間違っていた。


 二人は別々の存在じゃない。


 時の島で共鳴して、以来ずっと共に歩み続けてきたのだから。


 たとえ今キーノの意識がそこになかったとしても、彼の肉体が神石クロノスを支えてきた。


 キーノとクロノス。


 その二つの存在が融け合ったもの。


 それが、ルカ・イージスなのだ。




「そんなルカだから、好きになったんだね……」




 また一粒、ユナの目から涙が溢れて頬を伝っていく。彼女の中に溜まっていたおりを洗い流していくかのように。


 心配そうに顔を覗き込んでくるウラノスの青白い髪を撫でた。


「ありがとう、ウラノス。おかげで気づいたよ」


「え……?」


 ユナはすっと立ち上がり、星空を見上げる。


「ここからは、私の戦いなんだ。ルカをこれ以上傷つけないためには、支える力が強くないと。座り込んでいる場合じゃなかったんだ」


 腕輪にはめられた小さな九つの石が、月明かりに照らされてきらきらと輝く。


「ユナちゃん、何をする気なの……?」


「みんなにお願いするの。ルカのために力を貸してほしい、もう一度一緒に戦おうって。どこかに飛ばされちゃった仲間たちにも、これまでの旅で出会った人たちにも、……それに、今は冥界にいるルカにも」


 ウラノスは唖然とする。そんなことができるのだろうか。飛ばされた仲間の居場所は当然分からないし、冥界への連絡手段なんて。


 だが、ユナの迷いのない表情を見て確信した。


 できるかできないかじゃない。


 彼女はやろうとしているのだ。


 今一番そばにいる自分が信じなくてどうする。


 ウラノスは自らの頬をぱちんと叩くと、立ち上がってユナと向かい合う。ほんの少し震えているように見えた彼女の両手をウラノスはぎゅっと握った。


「ユナちゃんならできる。きっと届くよ。ユナちゃんのまっすぐな想いが」


「……ありがとう」


 ユナが微笑む。


 穏やかな声音が心地よく響く。


 ユナの深い海のような藍色の瞳に、神石と同じ薄桃色の光が差していく。


 綺麗だ、とウラノスは思った。


 俯いて泣いていた非力な少女はもうどこにもいない。


 己の想いと力を信じ立ち上がった彼女は、凛として神々しかった。


 ユナの腕輪の神石たちが強く光を放ち始める。それに合わせてどこからか音が聞こえ始めた。優しくて、温かい音。




「これはね、第十の歌。此方こなた彼方かなたを繋ぐ歌なの」




 ユナはそう言うと、全身に空気を取り込むように深く息を吸った。




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