mission13-53 アランの荒療治
今宵もまた、しんと冷えた夜の
普段診療所にこもっていることが多いクロードであったが、この日ばかりはほとんど外にいてずっと空を眺めていた。赤黒く禍々しい色に染まった空が晴れるのを待っていたのだ。サマル遺構群を救ってくれたあの義賊たちなら、本当に破壊神を倒してしまうのではないか。珍しくそんな期待に胸が躍っていた。
だが、日が暮れる頃になっても空は赤黒い色をしたままだった。
(まだ戦っているのか? あるいは、もう……)
最悪の結末が頭をよぎり、クロードは首を横に振った。何もできない立場の人間にできることは信じることくらいだ。それすらできなくてどうする。己の弱気を戒めようと数回頭を小突く。日が落ちてずいぶんと寒くなってきた。そろそろ室内に戻ろうとした、その時。
視界の端に、青白い光が煌めくのが見えた。
はっとして振り返ると、オアシスの湖のそばに人影が三つ。うち一人は背の高い白衣を着た男で、誰かを背負っている——
「アラン!?」
思わぬ再会に声が裏返る。
その隣にいるのはウラノスとユナ。だが二人とも表情が暗く、どこか様子がおかしい。他の仲間たちは見当たらない。
何があったのかと尋ねる間もなく、アランが顔をしかめながらずかずかと歩み寄ってきて言った。
「あんたの手術室、借りるぞ。ついでにあんたの手もな」
十五年以上ぶりに二人は肩を並べて手術室へと入る。患者はルカ・イージス。脈も呼吸ももう無い。心臓は身体から切り離されて機能を失っている。どれだけ凄腕の医師が外科手術を施したとて蘇生は見込めないだろう。だがアランは可能な限り傷口を塞ぎ、体内に残る血をこれ以上失わせないようにすると言った。クロードは黙ってその手助けをする。
久々に会ったとはいえかつては共に仕事をした仲間、アランがやろうとしていることに薄々勘付いていた。……そして、それしかこの傷だらけの青年を救う手立てがないことも。
手を動かしながらクロードはアランに尋ねた。砂漠の中央で一体何があった、そして行方不明になっていたはずのお前がどうしてここにいるのかと。
「時間がねぇ、途中で質問はナシだぞ」
アランはそう前置きして、早口で語りだす。
「俺はずっと捕まってたんだ。別の世界のウラノスに……いや、言うなればあれはウルハリフィルだな」
「ちょっと待ってくれ。別の世界……それに、ウルハリフィルだと?」
「別の世界ってのは本人がそう言ってんだ。確かに見た目も声もウラノスと瓜二つ。門外不出の『プシュケーの匣』が搭載されてんのも別世界の俺が作ったというなら納得だ。ただ、同一人物といえど世界が違えば思想も違うらしい。ウルハリフィルの『プシュケーの匣』の構造は俺が作ったものとは全然違った。肉体と精神、そして神石が互いに干渉しすぎる作りになっているんだ。そのぶん馬力が出るが、人格に悪影響が出る。患者の内側でそれぞれの感情が生き残りをかけて競い合い、強いものだけが残って人格が偏っていく」
人工の肉体、死後のリフィルの精神、神石ウラノス、そして破壊神のエネルギー。その四つがせめぎあって彼女の中に残ったものは、リフィルとウルハヴィシュヌの怨念。アランはそう解釈しているのだ。
「話を戻すがな、俺が捕まっていた場所には入口も出口もなかった。唯一あいつが移動する時だけ空間が開く。その隙を狙って俺はウラノスの『プシュケーの匣』に通信を繋ぎ、脱出の機会を探ってたんだ。まさかこんなことになるとは思わなかったがな……」
アランは深く息を吐くと、言葉を続けた。
「俺が脱出できたのは
相変わらず一人でよく喋る男だ。この鬱陶しさが今は懐かしく感じる。ただ、放っておくといつまでも同じ話を続けかねない。
「義賊の他の者たちはどうしているかわかるか」
「質問はナシだっつったろ。……まぁいい、ちょうどその話をしようとしてた。俺も直接見たわけじゃねぇ、だがたぶん俺と同じだ。地図にない、どこかの国に属しているわけでもない、入口も出口もない……どこでもない場所に閉じ込められてる」
どこでもない場所。その言葉にクロードは息を飲む。思い出すのは遠く過ぎ去った日、リフィルとアランがこの診療所で交わした約束。
「……なるほど、それでリフィルの怨念、ウルハリフィルか」
アランは頷き、最後の傷口の縫合を終えた。ただ、左胸にはぽっかりと虚しく穴が開いたままだ。
「なんにせよ、ウラノスとユナ姫だけじゃどうにもなんねぇ。ウルハリフィルが次元と時間を超えてこの世界に来たんだったら、あいつを追い出すのにも時の神の力が必要だ。だから、こいつにはまだ眠ってもらっちゃ困る」
アランはそう言って手術台の上に横たわるルカの肩を叩くと、必要なものを取ってくると言って部屋の扉を開けようとした。
「わっ!?」
扉に額をぶつけて声を上げたのはユナだった。その傍らには指先が透明で消えかかっているウラノス。
「……そこで何してる」
不機嫌さを露わにアランが尋ねると、ユナは身じろぎしながらもぎゅっと口を結んでアランを見上げた。
「ルカをどうするつもりなんですか」
アランはふんと鼻を鳴らすと、「どけ、邪魔だ」とユナを押しのけようとした。だが、彼女はめげずに立ちふさがる。
「だめです。答えてください」
「そんな猶予はねぇよ。一分一秒、処置が遅れるほどあいつがこの世界に戻ってこれる確率が減る。それともなんだ、あいつとこのままお別れで構わないってか?」
「それは……!」
「クソが。止めようと思えば止められただろうに、今更になってしゃしゃり出てきやがって。薄々気づいてたんだろう? 俺がここへ何をしにきたかを」
返す言葉がなくなって、ユナは唇を結ぶ。アランの言う通りだ。今の状態のルカを救う手立ては一つしかない。そしてそれができるのは目の前にいるこの男しかいない。
『プシュケーの匣』。
失われた心臓の代わりに、神石を包み込んだ機械の匣を埋め込む。クロノスは長年キーノの肉体に馴染んできた。おそらく何の拒絶反応もなく適合し、上手くいけばウラノスやキリのように息を吹き返すことができるかもしれない。
ただ、ユナにはわからなかった。
名実ともにキーノとクロノスが一つになる。それは、彼らが望むことなのだろうか。
ユナの瞳には、自分の目の前で無数の羽の攻撃を受け、左胸を貫かれたルカの姿が焼き付いて離れなかった。
痛かったはずだ。
苦しかったはずだ。
いっそユナが傷を癒さない方が楽だったかもしれない。
それなのに、息を吹き返せば再びあの戦いの場に駆り出されることになる。『プシュケーの匣』も無敵ではない。ルカを蘇生させたとて、あのもう一人のウラノスに勝てると決まったわけじゃない。
「私、は……」
熱い涙がこみ上げてきて、ユナはその場に膝をつく。全身ががくがく震えて止まらなかった。
立ち向かうのが、怖い。
これ以上ルカが傷つくのを見るのが、怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い……!
ユナはまぶたを閉じてうずくまり、嗚咽を漏らした。ウラノスが心配して彼女の側に座り込み背中をさすってくる。
今はもう、何も考えたくなかった。
ユナの中で何かがぽっきりと折れてしまったのだ。
だが、頭上からは容赦無い舌打ちの音が響く。
「悩んでる時間はねぇっつったろ。このどうしようもねぇ状況をなんとかするにはあいつの力が必要なんだ。俺はこれから手術室にこもる。終わるまでにそのしけたツラなんとかしとけ!」
アランはそう言って隣の部屋から必要な機材を持ち込むと、ぴしゃりと扉を閉めてしまった。
「もう! アラン君のばか! 人でなし!!」
ユナと一緒に締め出されたウラノスが扉の中に響くよう大声で叫ぶ。返事の代わりに、内鍵をかける無慈悲な音が響いた。
ウラノスは肩を落としてため息を吐く。
ああは言ったものの、彼女自身はアランに助けられているという自覚があった。彼の声が聞こえてからどういうわけか存在の消失が止まり、発作も収まったのだ。ただいずれ”
やはりルカの力が必要だ。
それに、彼を支えるユナの想いも。
ウラノスはすくっと立ち上がると、泣きじゃくるユナの肩に優しく触れた。
「……ユナちゃん。ちょっと外の空気にあたりに行こうよ」
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