mission13-52 もう一人のウラノス




「ウラノス、じゃないな……。お前は一体誰なんだ……?」


 少なくとも味方ではないことは明らかだ。彼女から発せられる全身の芯から凍えるような冷たい気配。ルーフェイ王城で破壊神の逃亡を手助けしたのはおそらく彼女だ。いま目の前で見せたように、彼女はウラノスと同じ、あるいはそれ以上の力を持っている。


 ルカは武器を構える。手に馴染んだはずの大鎌が普段より重い。腕が痺れて、足が震える。体力はもう限界だ。ルカだけでなく他の仲間たちも満身創痍。ブルーエーテルは残りわずか、ユナのエウテルペの歌なら全員の体力を回復できるがそのぶんユナの体力が尽きる。


「無理しなくていいのに。今すぐ僕が君たちを楽にしてあげるからさ」


 少女はくすくすと笑ったかと思うと、ふっと姿を消した。


(どこに行った……!?)


 視線を巡らせようとして、ルカはどきりとする。少女はルカの間合いの中にいた。息がかかるほどすぐ目の前で、彼女はルカの大鎌にはめられている紫色の神石に触れる。


「あーあ、こんなにもぼろぼろになって」


「触るなッ……!」


 とっさに瞬間移動で退避する。だが移動速度では彼女の方が一枚上手だった。ルカの瞬間移動は高速で移動しているだけだが、ウラノスの瞬間移動はワープだ。瞬時に自分の居場所を切り替えることができてしまう。


「僕が誰か、だっけ?」


 すぐに追いついた少女は再びルカの間合いに入り込み、いたずらな笑みを浮かべて言った。


「僕はあの子と同じウラノスだよ。ただし、ね」


 別の世界。


 ただの妄言だったならどんなに良かっただろう。


 だが、ルカの中ではすべてが繋がってしまった。この地に来る前に仲間たちに話した時の島の記憶、そして二つ重なり合う『運命さだめの星』。本来世界に一人しかいないはずの人間が、二人いる。


「まさか……別次元の世界から人が移動するなんて、そんなことが」


 ミハエルがぶつぶつと呟くのを、少女は聞き逃さなかった。今度は彼の目の前に移動し、ちっちと顔の前で指を振って見せる。


「できちゃうんだよ。君の”千里眼”でも見通せない、遥か先の未来ではね」


「未来……!?」


「そ。何百年も先の未来には一人の天才がいてね、その人の実験で僕は次元を超えて時間を遡り、この世界へとやってきた。ふふ、シメオンは一言で察したけど……君は彼に似ている割に想像力には乏しいみたいだね」


 そう言われ、ミハエルはハッと息を飲んだ。


 ルツの街の民族博物館で出会った、異端神官シメオンの亡霊。彼は最後にこう言っていたはずだ。バスティリヤから脱獄するのに手助けしてくれた少女がいると。彼女には瞬間移動できる力があると言っていた。百年以上前の話だから自分たちの知るウラノスとは関係ない話だと思っていたが。


「もう一人のウラノスさん。あなたはいったい、何歳なんですか……?」


「レディに年齢を聞くなんて失礼だねぇ。ま、僕も数えるのが面倒になって確かな歳は覚えてないけど……前の世界の分とも合わせたら、千年は超えているんじゃないかな」


 少女は薄手のワンピースを着ているが、左胸のあたりは何者かに破られたのかはだけた状態になっている。そこから見えるのは、ずいぶん年季の入った『プシュケーのはこ』だ。基本はウラノスやキリのものと同じ形だが、傷だらけで、不具合があるたびつぎはぎのように改造をしているのか不格好にネジや細かなパーツが飛び出している。


「あなたはいったい何のためにこの世界に……?」


「さっきも言ったでしょ。復讐だよ」


 少女の姿が消えた。ひりついた殺意を向けられているのを感じ、ドーハはとっさにライアンを庇う。次の瞬間、彼の手首に激痛が走った。


「ぐあっ!」


 人のものとは思えない力で、ドーハの手首が握りつぶされる。少女はドーハの手をひねりあげ、ため息を吐いた。彼女が狙っていたのはライアンの首だ。


「なにそれ、らしくないじゃん。僕の世界のドーハ様は、他人を庇って怪我するようなお人じゃなかったんだけどなぁ」


 少女が容赦なく捻りを加え、ドーハは声にならない悲鳴を上げた。それでもライアンには指一本触れさせまいと、その場を動かなかった。


「ドーハの手を離せ!」


 リュウとシアンがドーハの助けに入ろうとすると、少女は再びその場から姿を消した。声だけがどこからともなく聞こえてくる。




「僕の世界はね、アラン君が破壊神になって、ライアンに殺される世界なんだ」




 それは、どこか諦めのこもった淡々とした口調だった。


 アランが破壊神と共鳴する。


 この世界でもその可能性はあったのだろうか。


 ガザから聞いた話だと、彼の師匠ヴェルンドが封印していた破壊神の神石をアランが使おうとして、石が暴走し、神石と同化しかけたアランの左腕をガザが斬り落とすことで共鳴は免れたはずだ。


「……まさか」


 ルカがハッと息を飲むのと同時、少女はルカのすぐ後ろで背中あわせに立っていた。


「そ。僕がそうなるように仕向けたの。剣術は素人のガザでもスパッと斬れるように、ピカピカの剣をこっそり置いておいてね。……で、予定どおりアラン君は破壊神の神石から遠ざけられ、ヴェルンドが死んだ後はガザが受け継いだ」


 少女がふっと姿を消し、今度は意識を失ったまま横たわるアイラのそばに現れ、彼女の傍らにしゃがみ込む。


「一方、この不毛なスヴェルト大陸ではシメオンが撒いた種が花を咲かせ始めた……そう、内戦で真っ赤な血の花が!」


 少女は恍惚な笑みを浮かべて立ち上がり、両手を上げて天を仰ぐ。


「僕の世界のライアンはとっっっっても嫌なやつだった。どんなに苦しくても、どんなに酷い目に遭わされても、どんなに仲間に裏切られても、破壊神を討つってことを疑わないやつだった。そんなやつに復讐するためにはさぁ……それなりに大掛かりな舞台が必要だったってわけ!」


 キィン!!


 白銀の光が宙を走り、少女の首筋すれすれのところでピタリと止まった。ターニャの剣だ。


反吐へどが出る……! 要するにアトランティスの内戦も、二国間大戦も、ライアンの破壊神化も、ぜんぶ君が仕組んだって言いたいわけ……!?」


 ターニャは自分を落ち着けるために深く息を吐くが、それでも怒りは隠しようがなかった。そんなターニャの神経を逆なでするように、少女はニィと口角を吊り上げる。


「そうだよターニャ・バレンタイン君。革命ごっこは楽しかった? 僕の世界の君は、何の苦労も知らない貴族令嬢として誇り高いお父さんの跡を継いでいたのにね!」


「だまれぇぇぇぇぇぇッ!!」


 力一杯に剣を突き出す。だがそれではだめだ。瞬間移動してターニャの背後の空中に現れた少女は、トンとターニャの背中を足蹴にしてのびのびと飛び跳ねる。


「ふふふふふ! あははははははは! みんな僕の思い通りなのさ! すべては僕の復讐のために! 元の世界のアラン君の仇をうって、この世界のアラン君と二人だけで幸せに暮らすんだよ! そう、みんな思い通りで、あとちょっとのところだった……なのに……なのに!!」


 急にがくんと頭を垂れたかと思うと、再びルカの間合いに入り込んできた。反応する間もない。見えない場所からみぞおちに突きが繰り出され、ルカはうめき声を上げてその場に膝をつく。姿を現した少女は、姿勢を低くしたルカの隙を見逃さず、頭をわしづかみにして砂の大地に押し付けた。


「ぐっ……!」


 もがけども少女の拘束から逃れられない。片手で頭を押さえているだけだというのに鉛の重りを乗せられているかのように頭が重い。触れている手の先からは明確な殺意が伝わって来る。少女は先ほどとはまるで別人になったかのような低く冷たい声音で言った。


「ルカ・イージス……君は本当に邪魔をしてくれたね。君とソニア・グラシールだけは動きが読めなかったんだよ。君たちは元いた世界じゃ表舞台には出てこなかったから。ソニア君はまだ利用価値があったけど……結局君が勝ってしまった。おかげで僕が今までやってきたことがぜんぶ台無し」


 少女の空いている方の掌に青白い光の羅針盤が浮き出る。そこから現れたのは小型のナイフだった。彼女はそれを握ると、切先を真下に押さえているルカに向けた。


「だから、まずは君から殺すよ」


「ッ!!」


 ルカはクロノスの力でその場から逃れようとしたが、少女の力が強く抜け出せない。


「あ、そうだ……言い忘れてたけど、破壊神と共鳴したアラン君が作った僕の『プシュケーの匣』にはちょこっとだけ破壊神の力が入ってるんだよ。だから、この世界の僕とは比べものにならないエネルギーがあるってわけ!」


 頭を押さえる手の先に力が入り、指が頭に食い込むかのような感覚が襲う。


「うぐぁぁあああっ!」


 視界の端に映る少女の姿が変貌していく。破れたワンピースは赤と黒の毒々しいドレスのような形になり、華奢な身を青と白の丈の長いコートが包んでいく。天使とも悪魔ともとれる姿で、少女は勢いよくナイフを振り下ろす。


 その時——


 カンッ!!


「あうっ!」


 小気味いい音ともに、いくつもの風を切る音。赤紫色の無数のナイフが少女を襲う。


「死ぬのは君の方だ」


 クレイジーが矢継ぎ早に繰り出すナイフの嵐が青と白のコートを切り刻んでいく。だが、途中で彼女の悲鳴が止んだ。仕留めたわけじゃない。支えるものを失ってふにゃりとよれるコート。その内側はもぬけの殻。


「鬼さんこちら!」


 クレイジーの背後を取った少女がすっと突きの構えをとる。


(これは……!)


 頭の中に「最悪の場合」がよぎる。だが、それが想定できるのと回避できるのとはまた別の話だった。


 少女の掌に浮き出る羅針盤の模様。それがクレイジーに触れた瞬間、クレイジーはその場から姿を消した。


「え……クレイジー……?」


 名前を呼んでも、ひょっこりと現れはしない。


 消えた。消されてしまった。


 仲間が一人、この場からいなくなった。


「あはは……あははははははははは!!」


 少女が狂ったように笑う。クレイジーのナイフでぼろぼろになったコートはいつの間にか再び彼女の身を包み、大きな青白い翼へと姿を変えていく。


「君たちみんな邪魔邪魔邪魔邪魔! どっか、消えちゃえーーーーーー!!」


 少女がバサリと羽ばたくと、青白い羽が全方位矢のように弾け飛び、ルカたちの足元に突き刺さる。青白い羽がボウと光ったかと思うと、そこから羅針盤の模様が展開された。


「あれに触れちゃダメだ!!」


 ルカが叫ぶ。だが、次から次へと降り注ぐ羽からは逃れられなかった。


 アイラが消える。


 グレンが、シアンが消える。


 リュウが消える。


 ミハエルが消える。


 ライアンとドーハが消える。


 ターニャが消える。


 ノワールが消える。


「もう、やめろ……!」


 ルカ以外に残ったのは存在が薄れているウラノスと、彼女の側にいたユナだけだった。


 もう一人のウラノスの翼が二人を指す。


「あは、あははははははっ!!」


 強い羽ばたき。無数の羽が、二人に向けて飛び出す。


「やめろーーーー!!」


 瞬間移動で二人の前に躍り出るルカ。


 ドスドスドス!


 青白い羽がルカの身体を貫いていく。血が噴き出し、ルカの背後にいるユナにも飛び散った。ルカは苦しげな声をあげながらも、その場に立ち続け羽の猛攻を受ける。


 このままではルカが死んでしまう。


 ユナの頭の中は真っ白になりそうだった。それでも己を奮い立たせ、傷を癒すクレイオの歌を口ずさむ。唇が、喉が震える。それでも歌い続ける。傷を塞いでも塞いでも、敵の攻撃は止む様子がなくきりがない。それでも歌うのをやめたら終わりだ。


 やがて羽の勢いが収まってきた。もう一人のウラノスが息を荒げている。


「はぁ、はぁ……鬱陶しいなあ……」


 彼女がその場から姿を消す。


 一瞬気が緩み、安堵したその時。




 ——グシャッ。




 何かが潰れる音がした。


「あ……」


 目の前の光景に、声が出ない。


 赤い。


 何もかもが、赤い。


 ルカの背から、血まみれの手が飛び出している。


 その手の中には、心臓が握られていた。


「……第三、時……限…………」


 ルカのかすれた声がして、彼の身体の向こう側が紫色の光に包まれた。


「……やってくれたね、ルカ・イージス……」


 もう一人のウラノスの声を最後に、しんと静寂が訪れる。


 ルカの身体は糸が切れたように後ろ向きに倒れた。左胸にはぽっかりと穴が開き、そこからどくどくと血が流れている。


「ルカ……嫌だ……嫌だよ……!」


 ユナは再びクレイオの歌を歌う。だが、なかなか傷はふさがらない。頭の中では薄々わかっていた。自分の力ではこれは治せない。それでも、ユナにできるのは歌うことだけだった。彼女の気持ちを察してか、ミューズ神たちも何も言わなかった。


 ルカの手を握る。まだ温かい。


 だが、ルカの意識はすでに消えかかっていて、ユナの手を握り返す力もないようだった。




「ユナ……ごめん、な……。おれ、ユナと……もっと…………」




 ルカの瞳の端に涙が浮かぶ。


 それ以上、言葉は続かなかった。


 ルカの手はだらりと力を失い、呼吸の音も聞こえない。




「ああ……ああああああああ……」




 まだ温もりを残すルカの身体を抱きしめる。


 信じられない。信じたくない。


 いつか別れが来る運命だったかもしれない。


 それでも、ルカがルカでいられる方法を探そうと思っていた。いずれキーノが帰ってきたら、「ごめんね」と「ありがとう」を言おうと思っていた。


 だけど、そんな未来はもう来ない。


 失われた命は帰ってこない。


 頼れる仲間も、どこかへ消えてしまった。


 ユナはただただその場で泣き続けた。


 その場には彼女の泣き声と、乾いた風が吹く音だけが響く。


 もう一人のウラノスはルカが最後に振り絞った力で時間軸を切り離され、今は動く様子はない。


 慟哭する彼女を妨げる者はいない……はずだった。




『……おい。おいってば! 聞こえてんなら返事をしやがれ!!』




 がさつな男の声が響く。朦朧としていたウラノスがびくりと肩を震わせた。


「え……どうして……」


 ウラノスは自らの胸の辺りを覗き込む。


 『プシュケーの匣』。声は確かにそこから響いていた。


 それは、ウラノスがよく知っている声。ユナにとっても、聞き覚えのある声。




「アラン君……アラン君なの……!?」




 嗚咽交じりにウラノスが尋ねると、声の主は深いため息を吐いた。間違いない。行方知れずになっていたはずのヴァルトロ四神将の一人、アラン=スペリウスの声だ。




『おい、ウラノス。それにコーラントの姫さんよ。なーにぼさっとしてやがる。諦めるのはまだ早ぇぞ?』




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