mission13-51 ラグナロクの終わり
ライアンの左肩に突き刺さったグレンの矢。薬瓶が割れ、その破片でできた傷口から流れる血は、徐々に青から赤へと色を変えていく。薬が効いている証拠だ。ただ、急激な体質の変化による負担が大きいのか、ライアンは荒い息遣いでその場に突っ伏して意識を失った。
一方、彼が吐き出した神石はまだ威勢を保ったままだ。
“目覚めよライアン……! 今さら人間に戻ったところで貴様の罪は消えぬ! 貴様の使命は我の依り代としてこのくだらぬ世界を破壊すること! こんなところで立ち止まるわけにはいかぬ……!”
怨念こもったウルハヴィシュヌの声が響く。だが、神石自体はその場からびくとも動かない。神石だけでは何もできないのだ。
「うるさい奴だ。さっさと黙らせよう」
リュウは鬼人化した拳を構えるが、ターニャがそれを制した。
「それをやったらどうなるか、ちゃんと分かってる?」
「……む」
言われて思い出したのか、すごすごと拳を収めるリュウ。
破壊神がこの世から消えれば、神石は役目を終え、そこに宿る神の意識は消え去る。つまり、神格であるルカも消えるということ。
当の本人はいたって落ち着いた様子だった。ターニャの気遣いに礼を言いつつ、右手に持つ紫色の神石を見つめる。クロノスの神石は第四時限の反動でいつ砕け散ってもおかしくないほどにひび割れていた。『
「みんなこそ、今のうちに神石と別れを告げておいてくれ。きっと……もう二度と会えなくなってしまうから」
ルカはそう言って、ウルハヴィシュヌの神石の方へと近づいていく。
「ルカ?」
「おれは少し、ウルハヴィシュヌと話をしたい」
砂上に落ちた赤黒い禍々しい石の前に立ち、見下ろす。先ほどまでとはまるで立場が逆になったかのようだ。こうして無力な石になってしまったのを見ると、憐れむ気持ちが湧いてくる。ただ、そうやってこの石は見る者を惹きつけ、依り代として乗っ取ろうとしてきたのだ。石の状態といえど油断はできない。
“ククク……そうだ、我を甘く見ぬ方がいい……! 兵士たちの無念に染まったこの土地すべて、我が手足も同然! こんな風になぁ!“
その場の砂がぶわっと巻き上がり、神石を核にして人のような形へと変わっていく。それは両手を振り上げると、覆いかぶさるようにしてルカに襲いかかってきた。だが——
ボウッ!
背面に朱色の火の玉が命中し、砂人形はあっさり崩れ落ちた。ドーハが放った浄化の力を持つ火の玉だ。
再び裸の神石の状態になったウルハヴィシュヌは、一層禍々しい光を帯びながら”おのれ……おのれ……”と恨み節を繰り返す。
ルカは神石のそばにしゃがみ込むと、ウルハヴィシュヌに問いかけた。
「なぁ、一つ聞きたい。どうしてあんたはライアンを共鳴者に選んだんだ?」
ウルハヴィシュヌはぶつぶつと呟くだけで答える気は無さそうだ。それでもルカはめげずに言葉を続けた。
「もしかしてライアンは……あんたに似ていたんじゃないか?」
すると、ふっと鼻で笑うような音が神石から聞こえてきた。
“似ているだと? ククク……ふははははは!”
ウルハヴィシュヌの高笑いと連動するように神石は明滅を繰り返す。
“人間ふぜいと我を一緒にするな! なぜライアンを選んだか?
ルカはライアンの方を見やる。彼は今、ドーハとグレンが手当している。衰弱がひどいがクロードのところまで連れて行けばきっと良くなるはずだ。
ルカは再びウルハヴィシュヌの神石の方へと向き直った。
「だからこそ、やっぱり似ているんじゃないかって思うよ」
“しつこいぞ。まだ言うか”
ウルハヴィシュヌの声音が曇る。だがルカは気にせず続けた。
「ウルハヴィシュヌ……いや、ヴィシュヌ神。誰よりも優しいっていう意味であんたとライアンは似ている。そして、無意識のうちにお互いに存在を尊重していたんだ」
だからこそ、ウルハヴィシュヌは完全にはライアンを乗っ取ることができなかった。ライアンの意志はかすかだが生きていて、彼が斬り落とした右腕はそのまま、さらには全身が変形しても体内に元の姿を保ってもいた。一方でライアンもウルハヴィシュヌの神石の危険性を悟っていながら最後の最後まで手放さなかったし、共鳴した状態を長く維持し続けた。
”なにが、言いたい……!”
「ずっと、あなたから哀しい気配を感じていたんです」
言葉を発したのは、倒れたままのライアンだった。意識は朦朧としていて焦点は定まらない。彼は仰向けで赤黒く染まった空を見上げたまま、かすれた声で言葉を紡ぐ。
「あなたは私に言った。見知らぬ大勢も、よく知る一人も助けられずに死んでいくのは憐れだと。でも、あなたと長く共鳴しているうちにだんだんと分かってきたのです。ウルハヴィシュヌの神石の中にある激しい憎悪、怒り、失望……その根底にあるのは後悔だと。あれはあなた自身に向けた言葉でもあった。だから私は……まずはあなたを救いたいと思ったんです。思っただけで何かできたというわけではないですが……」
「いや、十分すぎるくらいだよ、ライアン」
ルカの言葉に安堵したのか、ライアンの苦しげな表情がほんの少し和らぐ。
“ふざけるな……! 人間が我を憐れむだと……? 侮辱するのも大概にせよ! 我は神ぞ! 人とは違う——“
「そんなに違わないよ」
“っ!?”
その場にいる者たちがみな息を飲む。ルカがウルハヴィシュヌの神石を拾い上げたのだ。赤黒い光がルカの手から侵食しようとする。だが、ソニアの時とは違って何かに阻まれているかのようにそれ以上動くことはできなかった。ルカはウルハヴィシュヌの神石を掴んだ手を、仲間たちの方へと向けた。
「よく見てみろ。人も神石もそんなに変わらない。みんなどこかに欠陥を持ってる。神だって、とんでもない力を持ってるくせにどいつもこいつも無い物ねだりだ。……だけど」
ルカは掌を開き、ウルハヴィシュヌに語りかけた。
「みんな万能じゃないなりに足掻いてる。確かにさ、神様が世の中を創った時代に比べたら、人間が産み出せるものなんてちっぽけなものかもしれない。それでも自分が少し強くなれた時、誰かを助けることができた時、世の中が良い方向に変わり始めた時、おれたちは救われた気になる。人には欠陥があって、それは時折人を不幸にするかもしれないけど……それでも、人を幸せにするのだって人なんだ」
“……っ!”
ルカは赤黒い神石を砂上に戻す。
「ごめんな。『
そう言って一歩退くと、ターニャに視線を向ける。
「いいんだね?」
ルカは頷く。ターニャはそれを合図に白銀の剣を引き抜いた。
“……待て、クロノス。貴様に一つ聞きたい”
「なに?」
“神は無い物ねだりだと言ったな。ならば今のそなたは何を望む? 時間に縛られる身体を得たのならば満たされているはずだろう。なのになぜ……そんなにも物足りぬ顔をしている?”
「え」
そう言われてルカは自分の顔に触れる。顔に出さないようにと無表情を装っていたつもりだった。ただ、それでも慈悲の神には見抜かれてしまうのだろう。救いを求める者の声が。
ルカは首を横に振った。
「足りないわけがない。こんなにも大切な人たちに出会えて、ここまで一緒に旅ができて、幸せだ。これ以上は望めない……だから」
——迷いが出る前に、『終焉の時代』を終わらせてくれ!
悲鳴にも似たルカの意志は、言葉にしなくてもターニャに伝わったのだろう。
「これで、終わりだ!」
裁きの剣の切っ先が白銀色にきらめき、赤黒い神石を貫く。
ピキッ。
小さな音を立て、神石は二つに割れた。赤黒い禍々しい光は徐々に消えていき、色を失っていく。
“まだ……我、は…………”
その言葉を最後に、ウルハヴィシュヌの神石は物言わぬ灰色の石ころと化した。
「終わっ……た……」
力が抜けて、その場に座り込むターニャ。他の者たちもみな同じだった。限界まで力を使い尽くし、もう武器を握る力も残ってはいない。
神石はというと、まだ色を失っていないようだった。ウラノスの力が使えるうちに砂漠の中央から離れた方がいいだろう。ドーハが彼女に声をかけようとした、その時。
「う……うううううっ!」
ウラノスが急に左胸を押さえて苦しみだした。
「ウラノス!? どうした!?」
彼女の身体を支えようとしてドーハはハッと気づく。ウラノスの指先が透けて薄くなっている。まるで存在が消えかかっているかのように。
ぞくっ!
嫌な気配に身体が震えた。
おかしい。何かがおかしい。
破壊神と同じ——いや、それ以上に身震いするような底知れない冷たさをどこからか感じる。
「この感覚は……ルーフェイ王城で破壊神を逃した時と同じ……!?」
見上げれば空は赤黒く染まったまま、そこに巨大な青白い光を帯びた羅針盤の模様が浮き上がっていた。
「なんだよ、あれ……」
羅針盤の模様の中央が揺らぎ、そこに人影が現れる。
少女だ。
肩のところで切り揃えた赤黒い髪を風になびかせながら、背に生えた青白い翼で羽ばたき降臨してくる。
顔かたちはウラノスと瓜二つ。
少女はにっこりと微笑んだ。ウラノスよりもどこか大人びた顔で。
「まだ終わらないよ? だって、僕の復讐がまだ終わってないんだもん」
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