mission13-46 屍者の王国、崩壊




「あんな命令、だと?」


 ソニアの眉がぴくりと動く。刃が折れても放たれる殺気は勢いを増すばかり。ルカの身体はといえば、黒瘴こくしょうに蝕まれ刻一刻と生気が失われていく。


「そうだよ。ライアンは自分を殺してくれなんて言うようなやつだったのかって聞いているんだ」


「今さら何を……。お前たちにも見せたはずだ。ライアン様が俺に命じるその瞬間を」


「でも、あの時のライアンはファシャル化と破壊神の侵食ですでに自分を見失い始めていた」


「ッ……!」


「お前と逃げる途中で人を喰らう衝動に耐えられなくなったライアンは、その時から人を救いたいという本来の意志と行動がずれ始めてる。禁忌の領域タブーに踏み込んだんだ。それから破壊神の声が聞こえ始めて、ライアンの本来の意識が乗っ取られていったんだろう。そんな中でライアンが自分の意志でやれたことは……ひとつだけだ」


 ルカのそばにターニャが立つ。その手には白銀の剣。バレンタイン家に受け継がれたその剣は、エルロンド王に奪われ、戦場に赴くウーズレイに与えられ、そして。


「……ライアンは、破壊神になる直前に自らの手で右腕を斬り落とした。その場にいたウーズレイの手を借りることなく、だ」


 ルカは折れた大鎌を手放し、ソニアの両肩を掴んだ。彼に触れるところから黒瘴に染まっていくが、それでもしかと掴んで離さない。


「なぁ、よく考えてみろよ。ライアンが正気だったなら、弟みたいに可愛がってたお前に自分を殺せなんて言うはずがないんだ! 自分のことは自分でけじめをつけようとする、大切な人間の手は汚させようとしない、そういうやつだから……!」


「黙れ……お前にライアン様の何が分かる……!」


「分かるわけないさ! だけど——」


 ゴンッ!!


 鈍い音が響く。両者はふらりと後ずさる。


 頭突きだ。ルカがソニアに思い切り頭突きを食らわせたのだ。


 ルカは額をおさえてよろめきながら、言葉を続けた。


「自分が救えた人には幸せになってもらいたいって、おれだったらそう思う。お前だって、アイラに対してそう思ってたんじゃないのかよ」


「…………俺は」


 ソニアもまた、ぐらつく頭をおさえながら片膝をつく。


「俺には……そんな資格は、ない。ライアン様こそ幸せを得るべきだ」


 絞り出された言葉には、悲愴も苦痛もない。あるのはただ、諦めだけ。


 物心ついた時から身寄りがなく、餌となるためにファシャルに育てられ、民族解放軍で奴隷然とした扱いを受けてきた。どんな時でも彼の周りには「死」がまとわりつき、血塗られた道を歩んできた。幸せを望む資格などない。いや、むしろ幸せが何かがわからない。きっとそれがソニアの根底にあるものなのだ。


「だとしても、死ぬことが幸せだなんてそんなの間違ってる」


 ターニャがきっぱりと言い放つ。


「前にあんたから聞かれた問い、今ならちゃんと答えられるよ」


 裁きの剣の切っ先をソニアの顔に向け、ターニャはすぅと大きく息を吸った。


「『ウーズレイにとっての幸せは冥界にあるか』? ……んなわけないでしょ! 思いどおりに動かない身体、寿命、他人の感情。色んなものを乗り越えて、ようやく掴んだほんの一瞬のことを『幸せ』って呼ぶんだ。何の制限もなく思うがままに理想の状態を維持できることを『幸せ』とは言わない。そんなのは——ただの思考停止だ」


 美しい白銀の刃が光を帯びていく。


 ターニャはちらとルカに視線を送る。黒瘴が全身に回り始め、今にも力尽きそうな状態だ。だが、ルカはターニャの視線に確かに答えた。こくりと頷く彼からは、あとは任せるという意志が伝わって来る。


(ちゃんと受け取ったよ。あたしが今剣を握っているのは、個人的な復讐じゃなくて、ブラック・クロスの総意として、だ)


 ターニャはソニアの方へと向き直ると、白銀色に染まった瞳で彼を見据えて剣の柄を握る手に力を込める。


 ソニアは立ち上がろうとするがうまくいかなかった。彼の右手が、足が黒瘴となって崩れ落ち始める。限界が訪れたのだ。神となって間もない状態で力を無理に使い、神格化による攻撃を何度もくらった反動。


「全力は出さないから安心してよね。あたしたちはこれから破壊神とも戦わなくちゃいけないんだ。あんただけに構っている余裕はない」


 ——だから、少しだけ眠れ。


 白銀の剣がソニアの右眼を貫いた。


 穢れなき清廉な光が漆黒の闇を包み込んでいく。


「ぐ……がはっ……ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 呻き声が響き、地面が、空が大きく揺れる。ハデスが死ぬ直前と同じく、空間の崩壊が始まり黒い雨が降りだした。


 ルカたちの身体が徐々に透けていく。エルロンドで『屍者の王国』を脱出した時と同じだ。


 ただ、ソニアの身体に変化はない。輪郭ははっきりしたまま、自らを消し去ろうとする白銀の光に苦しみ悶えている。


「もしかして……!」


 ウラノスはソニアの元へと駆け寄った。


「ねぇ、こんなの嫌だよ……! ソニア君も一緒に戻ろうよ……! ソニア君だけ置いてけぼりなんて、僕は、僕はっ……!」


 少女の大きな瞳からぼろぼろと溢れ出る涙。


 ソニアは朦朧としながらも彼女の顔にまだ黒瘴と化していない左手を伸ばし、その頬に触れた。


「ウラノス……やはり、お前はじゃないな」


「え……?」


「気をつけろ……お前と同じ姿をした別の存在がどこかにいる。何が狙いかは知らないが、俺が集めたのより遥かに大量の厭世の念を……」


 その時、もやがかかったかのようにソニアの姿が霞む。声も急に遠くなり、言葉の続きを聞き取ることはできなかった。


「ソニア君! ソニア君ーーーーっ!!」


 喉が裂けたっていい。ウラノスは精一杯叫び続けた。冥界でも現世でもない狭間の空間に虚しく響くだけだとしても……。




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