mission13-47 第四時限
黒々とした砂嵐が渦巻く、一面渇いた砂漠。大地のところどころはひび割れ、幾人もの命を呑み込んだ深淵が新たな獲物を待ち望んでいる。
戻ってきた。生者たちの世界へ。
たとえそこが、冥界よりも残酷で苦痛に満ちた世界だとしても。
「この死にかけたっていう感覚、もう二度と味わいたくないね……」
冷え切って重い身体を起こしながらターニャはぼやく。結局ウーズレイとはまともに別れの言葉を交わさないまま戻ってきてしまった。エルロンド王を倒した後、慌てた様子のウラノスに連れられてソニアとの戦いに合流することになったからだ。
(まぁそもそも会えるなんて思ってなかったから、それだけでも運が良かったかな)
辺りを見渡せば仲間たちも続々とこちらの世界に戻ってきていた。アイラは意識を失ったままのようだが、ちゃんと息はしている。冥界で受けたダメージはそのままなのかルカとドーハは相当疲弊していた。ただ
「……ソニア君」
ウラノスはソニアがいたはずの場所で呆然と立ち尽くす。そこには砂の表面が黒く焦げつき、一枚の黒い羽が落ちていた。ソニアの姿はない。
「"
ルカからハデスの話を詳しく聞かされたミハエルは腕を組み考え込む。
「ごめんなさい、僕も聞いたことのない言葉です。ルカさんたちが持ってきた創世神話の原典にも記載はありませんでした。でもハデスの話をすべて真実だと仮定するならば、ソニアさんは新しい冥界の神になった。完全神格は現世に顕現することはできません。だからこちらの世界へ戻ってくることは、もう……」
ウラノスの気持ちを察してか、言葉を濁す。
「なぁミハエル。"神格化"と"
「すべて神格であるという点では共通です。違うとしたら、主導権が誰にあるかでしょうか」
「主導権?」
「"神格化"は人と神の意志が一致し、人が神の力を借りて力を振るう状態なので、どちらかというと人に主導権があります。"現人神"はその逆と思ってもらえば良いでしょう。人の肉体を借りて神がこの世に顕現した状態です」
「ってことは今のおれは……」
「そうですね。神格としての記憶と力を取り戻し、神格の意識のみで動いているルカさんは、どちらかというと"現人神"に近い状態なのだと思います。ただ、破壊神のように神の力で肉体変化を起こすまでには至っていないので、まだ人に近い状態とも言えるのかも」
「そっか、なら良かった。この身体はいずれキーノに返さなくちゃいけないから」
ほっとしたように胸を撫で下ろすルカを、ミハエルは色の違う両の瞳でじっと見つめた。
「……なに?」
「いえ。話の続きですが、”永久神格化”はソニアさんの例を見る限り、神が共鳴者に神格を引き継ぐ、または奪われることを言うのだと思います。共鳴者は肉体を失い、元の神が持っていた全てを引き継ぎ新たな神となる。この場合、主導権を握っているのは元人間の意志ではありますが、神と融合した状態ともいえるので受け継いだ神格の意志にも左右されるのかも」
「なんだか複雑な話になってきたな……」
ルカは首をひねる。頭の中ではハデスの話がよぎっていた。
肉体と精神は干渉し合うもの。ソニアもライアンも、深く共鳴した神格からの影響を受けていたのは間違いない。ルカもまた、その例外ではないのだろう。
「さ、おしゃべりはそこまでにして」
クレイジーが二人を小突き、砂丘の向こうへと視線を向けた。
「ようやく彼も冥界から戻ってきたみたいだよ」
大地が震える。赤黒い炎が立ち上り、そこから禍々しい気配が溢れ出す。
「オオォォォオオオオォォォォオオオオ!!」
破壊神の雄叫びが轟き、足元の砂が湧きたった。ズシン、ズシンと近づく足音。砂丘の向こう側から姿を現わす白く醜く膨張した巨体。胸元にある赤黒い瞳がルカたちを憎々しげに睨む。
「兄さん、今度こそあなたを助ける」
ドーハはブルーエーテルをぐいと飲み干し立ち上がる。身体中から力が湧き上がってくる感じがした。これが、いよいよ最後の戦いだ。
「! ねぇ、あれを見て」
シアンが隣に立つノワールの肩を叩き、破壊神の頭上を指す。そこには先ほど立ち上った炎がまるで分厚い雲のように空に広がっていた。赤黒く怪しげに光る火の粉がまるで雪のように舞い、破壊神の身体に降り注ぐ。その度に破壊神の身体は少しずつ膨張しているように見えた。
「そうか、厭世の念! ソニアが一度引き剥がした厭世の念がまだ全て戻ってはいないのか」
「ええ。でもその代わり、あそこには彼が自分で集めた厭世の念も混ざっているはずです。全部吸収される前に倒さないと……」
すると隣で鼻で笑う音が聞こえた。リュウだ。
「弱気だな、シアン。せっかくなら全力の破壊神と手合わせしてみようとは思わないのか」
普段通りの調子の彼に、シアンは呆れて溜息をこぼす。
「あのね。そんなこと言っている場合じゃ」
突っ込もうとして途中で気づく。決して侮っているわけじゃない。不器用な彼なりにシアンの緊張をほぐそうとしてくれていたのだ。リュウ本人はといえば、珍しく指先がわずかに震えていた。彼もまた破壊神を恐ろしいと思うのは同じ。それでも己を奮いたたせ、立ち向かおうとしている。
シアンはそんな弟子の姿を見て、くすと笑った。
「……確かにあなたの言う通りね、リュウ。今こそ私たちの修行の成果を見せる時だわ」
ユナは意識を失ったままのアイラと戦えないウラノスを後方へ下がらせ、ルカのそばへ歩み寄る。
「ん、どうしたの」
「ルカの大鎌、大丈夫……?」
「ああ、そういえば……」
ルカは胸元のネックレスに手をかざし、神器を変形させる。大鎌の刃はやはり二つに折れたままだった。黒流石は液体状に弾けて武器の形をとるが、あらかじめ決められた形を記憶する特徴を持つ。ゆえに戦いで折れた刃は打ち直すしか元に戻す方法はない。
「……うーん仕方ない、出し惜しみしてる場合じゃないか」
ルカは小さくそう呟くと、折れた刃の先に手をかざす。ルカの深緑の瞳が徐々に紫色の光を帯びていった。
「第四時限解放——"
彼がそう唱えると、折れた刃の断面に紫色の光が集まりだした。光は刃が元あった場所をなぞるように伸びていき、やがて弾けた。光が消え、そこには元どおりのルカの大鎌。以前よりも細かい傷が消えて新品のように綺麗になっている。
「ルカ、これって……?」
「クロノスの"神格化"の力の一つ、命を持たない物質なら時間軸を遡らせることができるんだ。ただ、時間軸を本来の流れから変えるってのはけっこうリスクがあって」
説明している間にもピキという音がして、ルカは苦しげに胸を押さえた。よく見ると大鎌にはめられた紫色の宝玉に小さなひびが入っている。
ルカははぁはぁと荒い呼吸を整えると、心配そうに見つめるユナに説明を続けた。第四時限の力は、時の島の人々の寿命の総和に関係なく神石を消耗する。何度も使えば壊れてしまう、と。それでも破壊神を倒せばどのみち神石の力は消える。だから今のうちに力を使っておくというのだ。
ルカはグレンの方を見た。
「クロードから受け取った薬、持ってるな?」
「ああ。ちゃんとここにある」
グレンは懐から小さな薬瓶を取り出す。薄青色の液体が入った小瓶。薬師の村出身のグレンに管理を任せていたのだ。
「たぶんそれが必要になる時が来る。その時はグレン、お前が撃ち込んでくれ」
グレンは頷くと、持っていた一本の矢の先に薬瓶を取り付けた。
「ウウ……グアア……グオオォォォオオオオ!!」
破壊神が再び叫び、地面がぐらぐらと揺れる。
ライアンの過去を知った今、あの声の聞こえ方が変わった。あれは全てを破壊せんとする現人神の威嚇の咆哮ではなく、自分の意志と肉体の求めるものの乖離、そして精神を蝕むものに対する苦痛の悲鳴だ。厭世の念を吸収し肉体変化を行えるはずの破壊神がいつまでも不均衡な隻腕の姿のままなのは、ライアンがまだ抵抗している証。
「待ってろライアン……! 『
ルカは大鎌を構え、力強く踏み込んだ。
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