mission13-15 アランの軌跡




 その晩、ウラノスはなかなか寝つけなかった。


 他のメンバーたちは砂漠を移動した疲れもあってかあっという間に眠ってしまったが、彼女は前日眠りについたのが遅い時間だったために体内時計が普段とずれてしまったのである。それに、このスヴェルト大陸に降り立ってからずっと続いている妙な胸騒ぎが、この場所に来て一層大きくなっていた。落ち着かない。彼女はそっとベッドを抜け出し、診療所の中を散策することにした。


 散策といってもここはさほど大きな建物ではない。玄関に入ってすぐのところに待合室があって、奥へ進むと診察室、そしてその奥が入院が必要な患者たち用のベッドが並んでいる部屋——ルカたちが今休ませてもらっている場所だ。その他にはクロードのこもっている彼の自室と、診察室の隣にある何のためのものか分からない部屋くらいしかなかった。


 その部屋の扉は診察室とほとんど同じ形をしている。唯一違うのは、診察室の扉に「ドクトル・クロード」の名札がかかっているのに対し、もう一つの方には名札をかける場所はあれど今は何もないということぐらいだ。


(元はクロードのほかに誰かいたのかな)


 試しにドアノブに手をかけてみる。キィと金属の軋む音を立てながらも動く。鍵はかかっていないようだ。


 ウラノスはあまり物音を立てないようにそっと扉を押した。部屋の中は埃っぽくて、一歩踏み入れるだけで床から白い埃が舞う。


 手探りで部屋の中を進み、窓のカーテンを開けてみた。月明かりが差し込み、部屋の中がぼんやり見えるようになった。部屋の構造はクロードの診察室とほとんど同じだが、雰囲気はまるで違った。どちらかというと診察室というより研究室だ。壁一面の棚にはさまざまな薬品の入った瓶や、何かの実験器具のようなものが所狭しと並んでいる。整頓はされておらず、床の上まで散らかっていた。


(なーんか、僕のよく知ってる部屋に似てるなぁ……)


 部屋の中央にある大きなテーブルには、設計図のようなものが広げられていた。雑な字が隙間などないほどにびっしりと書き込まれていて、ところどころ書いたり消したりした跡がある。難しい専門用語ばかりで何が書いてあるのかウラノスにはさっぱり分からなかったが、図を見ればこれが何の設計図なのかは分かった。


 『プシュケーのはこ』だ。


 筆跡もアランのものに違いない。


(だけど、どうしてこんなところにアラン君が……?)


 部屋を見る限り、最近人が出入りした形跡はない。設計図の紙もずいぶんと黄ばんでいて時間が経っているようだ。


 もう少し調べてみようと棚の薬瓶に手をかけたところで、部屋の外から足音が聞こえた。誰か来る。瞬間移動で姿をくらませようと思ったが、


(あ……今は神石の力を使えないんだった)


 仕方なくその場に立ち尽くしたまま、怒られることを覚悟してぎゅっと目を瞑った。


 ガチャリと部屋の扉が開く。


「勝手にさぐり回るとは、感心しないな」


 クロードだった。口調からして怒っている風ではないが、子どもの悪戯に呆れている様子だ。


 ウラノスはしゅんと肩を落として素直に謝った。


「眠れなかったのか?」


「うん……昨日、変な時間に寝ちゃったから」


「寝付けなくてもベッドの上で瞼を閉じて横になっていれば休息効果を得られるぞ」


 ウラノスは首を横に振った。


「やだよ、みんなの寝息を聞いてるとなんだかさびしくなってくるんだもん。正直さ、誰もいないこの部屋の方がなんだか落ち着く」


 アランの痕跡を見つけてしまったから余計に。まだ、ここから追い出されたくない。ウラノスはしがみつくように部屋の中央の机に突っ伏した。


「……ねぇ、おじさん。おじさんはアラン君のことを知ってるの?」


「ああ」


 クロードは頷くと、少し間を置いて言い直した。


「よく知っているさ。もう十五年ほど前にはなるがな、私は奴とここで共同研究をしていた。この部屋はその名残だ」


 彼は表情こそ変えなかったものの、その口ぶりには少しだけ過去を懐かしむような響きがこもっていた。


 当時すでに激しい内戦の戦火に包まれていたこの土地へ、二人の男がある目的のためにガルダストリアを離れてはるばるやってきた。医者と機械技師、無愛想なクロードと気性の激しいアラン、二人は性格こそ噛み合わなかったが、目的のために一途という面では互いを認め、信頼していたのだという。二人とも口に出してそう言うことは無かったが。


「その目的って、なんだったの?」


 ウラノスが尋ねると、クロードは彼女にジッと視線を向けて答えた。


「生体連動機械工学。神通力を媒介にして、生身の肉体と機械を繋ぐ技術の確立だ」


 アトランティスの内戦が激化したことで、この土地には身体の一部を失った人々が溢れていた。そして、それだけではなく、契りを破ったファシャルの民の襲撃による「ファシャル化」も大きな問題になっていた。


「ファシャル化っていうのは?」


「ファシャルに襲われたが捕食を免れた場合に起こりうる現象だ。彼らの体液が人間の体液に混じると、神血イコルのほうが勝り徐々に血が青く染まってファシャルの民に近い身体になってしまうのだ」


 クロードの友人の医師は慈善活動で内戦で傷ついた人々の治療を行なっていたが、ある日ファシャルに襲われ、一命は取り留めたもののファシャル化が進行してしまった。元人間が人間を捕食したいという衝動に駆られてしまう——しかも彼の場合は本来人の命を救う医者という立場であるにも関わらず、だ——その生き地獄に耐えられず、クロードの友人は自ら命を絶ってしまったのだという。


「そんな……」


「本来の身体を失うということはそれだけ人のアイデンティティを揺るがせる苦痛となる。そんな状況が蔓延するこの土地を、私は医者として少しでも救ってやりたかった」


 それが、彼が生体連動機械工学を研究し始めたきっかけだった。


「いかに機械と人間の身体を馴染ませるかが課題だったが、神血と人間の身体、別々のものを共存させているファシャルの民に協力してもらうことで研究は飛躍的に進んだ。まずは意のままに動かせる義肢の開発から始まり、次に身体の内側に埋め込む人工臓器の開発、そして果ては……」


 クロードはテーブルの上の設計図を掌で撫でる。


「造られた肉体と人間の精神をつなぎ合わせる『プシュケーの匣』理論。……まぁこれを実現するには危険すぎる臨床試験が必要で一度頓挫したんだが、奴はそれを成し遂げたようだな」


「え……?」


 『プシュケーの匣』のことはクロードには一言も言っていないし、当然見せてもいないはずだった。


「もしかして、おじさんは僕のことも知ってるの?」


 恐る恐る尋ねると、クロードは縦に頷いた。


「当然だ。奴だけじゃない、君も昔ここに」


 途中で口を閉ざし、彼は「いや」と首を振って訂正した。


、というべきかな」


「そんな話、アラン君からは聞いたことないよ」


「言わんだろうな。彼女は奴にとって最も忘れたい人物であり、それでいて最も忘れ難い人物でもある」


 矛盾する言い回しにウラノスは首を捻るしかなかった。


「さっきから意味がわからないよ……。僕の元になったって、どういうことなの? それにアラン君にとってその人って一体……?」


 クロードは懐から小さな錆びた鍵を取り出すと、壁に並んだ棚の中の鍵のついた引き出しにそれを差し込んだ。立て付けの悪そうな音を立てて、鍵はガタガタと回る。引き出しを開けると、そこには一枚の肖像画が入っていた。描かれているのは二人の若者だ。今よりも痩せ細っていてまだ顔つきにあどけなさの残るアランと、その隣にいる黒い髪の少女。


「これは……僕?」


 ウラノスは目をこすってもう一度その肖像画を見る。髪の色は違うものの、顔貌かおかたちがそっくりな少女が満面の笑みでアランの右腕にぎゅっと自らの腕を回して寄り添っていた。年齢はおそらく当時のアランと同じくらいで、つまり今のウラノスよりは大人びて見えるが。


 そう言えばルツの街でクロードに会った時、彼はウラノスの顔を見て何か言いたげだったのを思い出す。


 胸騒ぎが、ざわざわと強くなる。


「彼女の名前はリフィル。私たちの実験が原因で命を落とした、ファシャルの少女だ。……そして」


 クロードは続ける。


 彼女は、アランの恋人でもあったのだと。



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