mission11-50 次なる目的地



 飛空艇はみるみるうちに覇者の砦から離れていった。


 銀一色の無機質な造りであった覇王の居城は、今やあちこちに穴が開き、時折爆炎が起きては美しい城壁を黒くくすぶらせていく。


 兵士の報告通り、襲撃に遭っているのは覇者の砦だけではなかった。飛空艇の眼下に見えるヴァルトロ兵団拠点、そして凱旋峠を隔てた向こうにあるニヴル雪原にも漆黒に塗られた屍兵がうごめき、連合軍・ヴァルトロ軍の区別なく人々を襲っている。


「何がどうなってんのさ……。こんなことしてソニアあいつは何がしたいの……?」


 ターニャは外の景色を眺めながらぼやく。


「……ひとまず、問いただす必要がある」


 マティスはそう言って、一人つかつかとコクピットの方へ歩き出した。


 ルカたちは黙って彼の後を追う。


 飛空艇の内部では機体が稼動する音と一行の足音しか聞こえない。以前乗ったドーハの飛空艇と構造は全く同じだが、外の凄惨な状況とのギャップのせいか、この静けさが妙に不気味に感じる。


 コクピットルームの前に立ち、マティスが扉の前に手をかざすと、一瞬羅針盤のような模様が浮き出て扉は自動で開いた。


「君は……!」


 ルカは思わず息を飲む。広いその部屋にただ一人、青白い髪の少女が呆然とした様子で立っていた。


 飛空艇の操縦を担う神石ウラノスの共鳴者であり、『プシュケーのはこ』二号機を搭載する人造人間。


"もう一つの『プシュケーの匣』を破壊しなさい"


 キルトの忠告が頭をよぎり、ルカは反射的に警戒するも、少女からはまるで敵意がない……というより、感情そのものが抜け落ちてしまったかのようにただぼうっと宙を眺めていた。


「ウラノス」


 マティスは少女の前に立ち、じっと目を細めて睨みつけた。


「答えろ。ソニアは飛空艇を使ってどこへ向かった? 飛空艇を使っているのなら、貴様の力で追跡できるはずだ」


「…………」


 少女は何も答えない。


 ドーハが彼女の肩を揺さぶってみたが、変化はなかった。


「おかしいな……。ウラノスの身体は父上と生体感覚がリンクしていて、父上の命令には必ず従うようになっているはずなんだけど……」


 飛空艇で覇者の砦を脱出できたのはそれゆえだ。マティスが命令し、ウラノスが飛空艇を迎えに寄越したのである。だが、どうやら今の彼女は飛空艇の操縦に関する命令以外は受け付けない状態のようだ。


「神石の方なら、何か答えてくれるかも」


 ルカはそう言ってウラノスの神石に頭の中で呼びかけてみる。すると、かすかだが気だるげな少年の声が聞こえてきた。


“……うるさい、なぁ。ウラノスなら……寝てるよ……”


(寝てる? どうして)


“ショック、だったんだって。……ソニア君が、キリ君を殺したから”


(! やっぱり、リゲルを屍者にしたのはソニアだったのか。けど、どうしてソニアは自由に動けるようになったんだ? ポリュムニアの歌で眠らせたんだから、しばらくは起きないはずだったけど)


“さぁ……? ソニア君は、僕たちが部屋に来たと言っていたけど……僕たちはただじっとお留守番していたんだ。飛空艇の中で、一人ぽっちでさ……”


 ルカは首をかしげる。


 ソニアならウラノスを見間違えることはなさそうだが、本人の身に覚えがないのなら別人の仕業なのだろうか。それとも、彼女が無意識下で動くようなことがあるのか……。


(それで、ソニアはどこへ向かったんだ? 君はどうして止めなかった?)


 すると声の主はくすくすと笑った。


“僕たちはね、分からなくなっちゃったんだ。僕たちがどうしたいのか。本当はただ、四神将のみんなと一緒にいられればそれで良かったのに。ソニア君が……壊しちゃったから”


 少女の身体は相変わらず微動だにしないが、コクピットの大画面に急に世界地図が映し出され、北と南の大国に挟まれた位置にある大陸に一つ光を灯した。


 ルカの背後でアイラが息を飲むのが聞こえる。


 スヴェルト大陸。


 彼女とソニアの出身地であり、二国間大戦の戦場であり、そして破壊神が生まれた砂漠の大地。


「あの子は……スヴェルト大陸へ向かったっていうの……?」


 目的は分からない。


 だが、今のスヴェルト大陸にはルーフェイの元から脱した破壊神がいる。


 嫌な予感がするのは確かだった。


「貴様、ルカ・イージスと言ったな」


 不意にマティスに話しかけられ、ルカはどきりとする。


「そうだけど……何?」


「ルーフェイの使者として来たのなら公文書を持っているだろう。それを出せ」


 ルカは訝しみながらもエルメから預けられた文書を差し出す。手渡してからふと、まさか破くつもりではないか——そんな考えがよぎったが、杞憂に終わった。


「え……!?」


 マティスは右手の親指の表面を口で噛み切ると、文書に血判を押したのだ。


 予想だにしていなかった行動に、ルカたちは唖然とする。


 当のマティスは表情一つ変えないまま、判を押したばかりの文書をルカに返した。


「貴様らとの勝負はついていないが、この戦いは俺の負けだ」


 そう言って、飛空艇の外を眺める。


「ドーハよ。貴様の言葉通りになったな」


「そ、それは、その……」


 ドーハは俯いて口ごもる。確かにマティスのやり方では従う者がいなくなっていくとは言った。だが、こんな風になることを望んでいたわけではない。四神将が誰一人いなくなり、ヴァルトロの国が危機にさらされることなど。


「愚か者。俺の息子なら、選んだ道に責任を持て」


 ドーハの考えを察したかのように、マティスは言った。


「そして俺もまた責任を負わなければならない。俺の命が尽きぬ限り……このヴァルトロが敗北のままに終わるわけにはいかないのだ」


 ウラノスが虚ろな表情のまま、腕をすっと持ち上げ素早く円を描く。そこに現れるのは青白い色の羅針盤の模様。


 マティスは背負っていた大刀を手に持つと、その羅針盤の前に立った。


「父上、どこへ行かれるのですか……!?」


「俺の土地をソニアの好きにはさせん。ただそれだけだ」


「まさか地上に降りる気ですか!? お一人では危険です……! 俺たちも加勢します」


 ドーハはそう言ったが、マティスにどつかれ後ろに倒れこんだ。


「必要ない。貴様らは貴様らのやるべきことをやれ」


「ですが……!」


「ライアンのことは、貴様に任せる」


 マティスの身体が羅針盤の模様の中に消える。直後、飛空艇の機体が激しい風に揺さぶられた。下を見れば、白銀の雪原の中で濃紺色の光が眩く輝き、漆黒の屍兵たちを次々に薙ぎ倒していくのが見える。


「父上……」


 ドーハはぎゅっと拳を握りしめた。


 地上へつながる羅針盤の模様はすでに消えている。後を追うことはできない。


「ドーハ、いいのか?」


 ルカの問いに、ドーハは黙って頷いた。


「父上は自分の負けだと言ったけど、俺たちは戦いに勝ったわけじゃない。たぶん……俺たちがやると決めたことを成し遂げて初めて、『勝ち』になるんだ」


 そしてやるべきことは、ここに来る前と変わらない。


 破壊神を鎮圧すること、だ。


 つまり、次の目的地はソニア・グラシールと同じくスヴェルト大陸。


「もしもあいつの裏切りが破壊神と何か関係があるんなら、あたしたちも急がなきゃね」


「ええ……取り返しがつかなくなる前に」


 アイラは自らの掌を見つめて言った。彼に銃口を向けて引き金を引いた時の感触が、つい先ほどのことのようにまだ残っていた。


(でも、それだけじゃあの子を止められない。次に顔を合わせた時、私は……)


 ルカがウラノスに飛空艇の進路を確認しようとすると、リンリンと何かアラームのような音が鳴り響いた。


「誰かが通信を入れてきたんだ」


 ドーハがそう言って操縦パネルを叩く。世界地図が表示されていた大画面の一部に通信をかけてきた人物の顔が表示された。それを見てドーハはハッと目を見開いた。


「ヒルダ!? 無事だったのか……!」


 画面に映るヒルダもまた、ドーハの顔を見て顔を綻ばせる。彼女は今戦いの最中さなかの雪原にいるようだ。あちこち傷を負って軍服は一部破れたりしているが、大きな怪我はしていなさそうである。


『ドーハ様もご無事で何よりです……! 陛下がいらしたおかげで、雪原の兵たちは士気を取り戻しております』


 彼女の背後では、ヴァルトロ兵と連合軍の兵が共に屍兵たちの相手をしているのが見えた。敵の数は多いが、勢いではこちらが勝っているようである。


 ヒルダはルカに視線を向けて言った。


『ルカさん。リーダーのノワールさんを始め、ブラック・クロスのお仲間は皆さんご無事です。彼らがいる地点の座標をお送りします』



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