mission11-45 不死鳥の目覚め




***




 その日は、身を突き刺すような激しい吹雪が吹き荒れていた。




 地面に倒れている人々の上に、雪がどんどん降り積もっていく。


 溶けることはない。


 彼らの身体が、すっかり冷え切っているから……。




 かつて、リンデン湖の東側には小さな集落があった。


 彼らはフリームスルス族の支配の弱い南方へ移ることなく、元々住みついた場所に留まり続けた一族だった。


 少しでも長く生きたいのなら、スーネ村の人々のように南方に移り住むべきであっただろう。それでも彼らが留まったのは、自分たちが過去の罪を悔い改め、正しく慎ましく生きていればやがてガルダストリアから迎えがやってくる——誰が言い出したか分からないその言い伝えを信じていたからだ。


 何代も、何代も、長い年月の間、彼らは愚直にも待ち続けた。


 だが、地殻変動によってヴェリール大陸とニヴルヘイム大陸が地続きになってからも、一向に迎えはやってこない。


 しびれを切らした一族は、一人の少年を使者としてガルダストリアの西端の街に送り出すことに決めた。何世代にもわたる贖罪によって罪人の血は浄化された、だからガルダストリアへの受け入れを許可してほしい。そう直談判するために。


 雪山を超え、険しい崖道を超え、慣れない街道を進み、少年はやっとの思いでガルダストリアの地にたどり着く。


 だが、そんな彼に対して浴びせられたのは穢れたものを見るかのような視線に、身に覚えのない非難の声。


 ガルダストリアの人々は恐れていたのだ。ニヴルヘイム大陸の人々を受け入れれば、彼らを極寒の地に閉じ込め続けたことへの報復を仕掛けてくるのではないかと。


 ゆえに少年を拒絶した。


 そしてそれだけでなく……、彼がやってきたという集落の場所をフリームスルス族に伝え、襲撃させた。


 少年がガルダストリアを追われ、集落へと戻ったのはまさにその襲撃の最中のことであった。


 巨人は一人、また一人と、幼い子どもから老人まで容赦なく貪っていく。


「やめろ……やめろぉっ!!」


 少年は喉が千切れそうになるくらい叫んだが、巨人は見向きもしなかった。そう、彼の手には何もない。この集落の人々は、これ以上罪を重ねまいと自ら武器を持つことをやめた一族だった。だから彼もまた、この瞬間まで一切の武器を振るったことのない、非力な少年だったのである。


 ただただ、見ていることしかできなかった。


 そして、怒りを募らせるしかなかった。


 力の無い自分に。ガルダストリアに期待した一族の愚かさに。戦うことを止めた人間の弱さに。


 霧氷の巨人たちは、ただ呆然と惨状を眺めている少年を喰べようとはしなかった。彼らは命じられていたのだ。一人だけ生き延びさせ、巨人の力を見せつけよ、と。二度とガルダストリアに亡命しようとする気が起きないよう、目に焼き付けさせよ、と。


 だから少年を生かした。


 ……それが、将来あだになるとも知らずに。


 巨人たちが去っていき、しんと静まり返った集落の中で少年は無言で雪をかき続けた。つい先日まで仲良く談笑していた隣人たちは皆、神通力を根こそぎ吸い取られて抜け殻となっていた。少年は彼らに降り積もる雪をどかし、一箇所に集めるように運んでいく。その中には彼の両親もいた。優しくて、聡明な両親だった。少年が風邪を引けば二人がかりで一晩中看病をしてくれたし、知らないことを聞けば必ず教えてくれたし、少年がガルダストリアへの使者に選ばれた時には涙を流しながら喜び、そして道中不安のないように様々な物資を持たせてくれた。


(……だが、その日々に何の意味もなかった)


 少年は無表情のまま、亡くなった人々が折り重なる山に火をつける。


「……戦わなければ殺される。殺されれば、何も残らない。戦いに勝ち、生き残った者だけが生きる意味を、正義を主張できる……」


 少年は自らに言い聞かせるようにぶつぶつと呟く。


 すさぶ吹雪の中で、亡骸を焼く炎は負けじと激しく燃え上がった……。




***




「マティス様、どうされました?」


 フロワの声でマティスはふと我に返った。


「少し思い出していた。……忌まわしい過去をな」


 そう言って、大刀を収める。


 先ほどまで戦っていた義賊の一行はその場に倒れている。いずれも意識を失うか、出血多量で朦朧としているかで、うめき声をあげることすらできないらしい。勝負の行方は明らかだった。


 あっけない。自ら手を下すまでもなかった。


 マティスは淡々とした口調でフロワに命じる。


「こやつらをニヴル雪原に吊るして晒せ。未だ抵抗を続ける連合軍にこの戦いの結末を知らしめるのだ」


「それは……ドーハ坊ちゃんも含んでおいでで?」


「当然だ。それくらいお前なら聞かずとも分かるだろう」


「……そうですね。失礼しました」


 気だるげに玉座に腰掛ける覇王を横目に、フロワは玄武を召喚してその甲羅の上に倒れている義賊の一行を乗せようとした。


「……て…………」


 声が聞こえて、手を止めるフロワ。


 ぼろぼろになったドーハが、身体を震わせながらも顔を上げて父親を睨み上げていた。


「待って……ください、父上……」


 マティスは玉座に深く腰掛け、見下ろす格好のまま深いため息を吐く。


「まだ懲りんか。貴様の話は聞かん。敗者に語る権利はない」


「……俺たちは、まだ負けてない」


 ドーハの言葉に、マティスの額に青筋が走る。


 いい加減、苛立っていた。


 自らの悔いから、子どもたちにはいかに強さが重要かを教え込んできたはずだった。にも関わらず、ライアンは武器の魔力に呑まれて破壊神となり、ドーハは平和主義の義賊と、ヴァルトロから離反した妻に加担する始末。


「頭で理解できないなら、その身に刻んでやろう」


 再び大刀を鞘から抜き、その切っ先をドーハの顔に向ける。


 ドーハ本人以上に、フロワは目を丸くし息を飲む。


「マティス様!?」


「フロワ、うろたえるな。そして勘違いするな。れは俺の息子だ。お前のではない」


「っ……! ですが……!」


「問答無用! 死して悔い改めよ、ドーハ!」


 マティスが大刀を振り上げる。


 ドーハはその場から動かず——身体に力が入らず動けなかったというのもあるが——じっと父を見据えて呟いた。


「そうやって、意見の合わない者を斬り捨てて……父上が手にしたのは本当に最強の座なんですか?」


「なんだと……」


 ぴくりと釣り上がる白髪混じりの眉。


 それでもドーハは言葉を続けた。


「だとしたら……父上は可哀相なお人だ! 力で人を支配して、父上に意見を言う者が、父上をお支えしようとする者が周りからいなくなっていることに気づいていない……!」


 ヴァルトロにいた頃から薄々感づいていたことではあった。感じてはいても、それを言葉にすることはできなかったし、意識しないよう避けてきた。


 だが、ここまでの戦いを経てみてよく分かった。


 四神将でさえ、フロワとアラン以外はマティスへの忠誠心など持っていなかった。ただ強者の側にいた方が都合が良いから、利用するために仕えていたというだけ。


 父親の元を離れ、義賊たちと出会い、ドーハにはヴァルトロという国の見え方が変わっていた。


 圧倒的な力を持つマティスを中心に成り立っているように見えたその国は、実は空洞だらけの脆い状態だった。


 マティス・エスカレードは孤独の王。


 もしも彼が戦えなくなったら。もしも彼が病に侵されたら。もしも誰かが結託して彼を騙そうとしたら。


 ヴァルトロという国はマティスの一代で瓦解する。


「けど、俺は父上の家族だから……! 父上のことを尊敬してるし、力になりたいと思う……! だからこそ、今は戦うんだ……。これ以上、父上に孤独の道を歩んでほしくはないから……!」


 ドーハの言葉に、マティスの怒りは頂点に達していた。


「戯言を……! いつからそんなことを言える立場になった、ドーハ!!」


 大刀が振り下ろされる。


 ドーハはその場でぎゅっと目を閉じ、神石に強く念じた。


(アマテラス。覚悟が、できたよ)


 すると太陽の女神の落ち着いた声が頭の中で答える。


"本当に良いのですか? この力を使えば、あなたはエルメと同じ代償を背負うことになりますよ"


 ドーハはふっと笑うと、倒れているルカたちを見やった。


(構わない。たとえ日陰に追いやられようと……こいつらはきっと、俺を見つけ出して照らそうとしてくれる。そういう奴らのためになら、代償を背負うことだって怖くない。そう、思えるんだ)


"そう、ですか。……では"


 ドーハの瞳に朱色の光が灯る。


「っ……!?」


 マティスの大刀は、ドーハの背から生えた四つの朱色の翼によって受け止められた。


「ハァァァッ!」


 ドーハが力をこめると、翼はマティスの大刀を押し返して弾く。八咫の鏡から溢れる朱色の光はやがてドーハの身体を包み込み、裾の長い衣のような形へと変形していく。


 神石アマテラスの"神格化"の力。


 だが、エルメの時とは少しだけ衣の形状や色が異なっていた。朱色が強く、猛る炎のようであったエルメの衣に対し、ドーハの纏う衣は白基調で柔らかな形を保っている。


 神石の力は共鳴者の意志の在り方によってその形、能力が変化するのだ。


 ドーハが深く息を吸うと、自らの剣を垂直に構え、左手をその剣先にかざす。


「太陽神に仕えし鳥よ、冥途めいど彷徨さまよう者たちを連れ戻せ——"不死鳥の目覚めポイニクス・ベル"!」


 唱えた瞬間、剣は無数の朱色の羽根となり、弾け散った。


 羽根は淡い光をたたえながらはらはらと舞い落ち、倒れている者たちの身体に触れたかと思うと、すっと溶け込んでいく。


「う……」


 瀕死の状態だったはずの義賊たちが、再び鼓動を取り戻した。


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