mission11-40 屍者の侵攻



***




「うっ……」


 波に揺られる感覚がしてノワールはハッと瞼を開ける。


 いつのまにか海に浮かんでいた。


 一面青く、先ほどまで自分が戦っていたはずの雪原の風景や、仲間たちの姿が見えない。


 キュイ!


 シャチの鳴く声だ。海中から聞こえる。


 ざぶんと潜ってみると、片目に傷のある巨大なシャチがじっとこちらを見つめていた。そしてその脇には、漆黒の長い髪をゆらゆらとたゆたわせて泳ぐ女がいて、ノワールに向かって優しく微笑みかけてくる。


「父さん……それに、母さん……?」


 二人は軽く頷くと、くるりとノワールに背を向けて深く深く海の底へと潜っていく。


「待ってくれ! 俺も一緒に——」


「ノワール!」


 何者かがノワールの身体を抱え、ぐいと後ろに引っ張った。そのまま一気に海面へ。


「ぷはぁっ! はぁ、はぁっ……」


 無意識のうちに息継ぎを忘れていたらしい。呼吸が苦しかった。


(けどもう一度、神石の力でシャチの姿になれば二人の後を追いかけられる)


 そう思い、腰につけているチャームを手にしようとした時、


 パンッ!


 頬を思い切りぶたれた。


「っ……?」


 じんじんと痛む頰をさすりながら顔を上げると、顔を真っ赤にしたシアンが口を一文字にぎゅっと結んで目の前にいた。今にも泣き出しそうな顔。それに、髪の毛までずぶ濡れだ。先ほどノワールを呼んで海上まで引き揚げたのは彼女だったのだ。


 よく見ると彼女の脇に小舟が浮いていて、その上にミハエルとジョーヌが乗っている。ミハエルはホッと胸をなでおろして呟いた。


「ギリギリ間に合いました……」


 ミハエルの声で緊張の糸が切れたのか、シアンの瞳から涙が溢れ出し、彼女はノワールにしがみつきながら「ばか、ばか……」と呟く。


 ようやく状況が飲み込めてきた。


「そうか、これは君たちがゼネアで経験したのと同じ……」


 ミハエルは頷いた。


「ソニア・グラシールの『屍者の王国』です。……急いで他の人たちを探しましょう。仕組みを知らなければここから抜け出せない。屍者に魅せられたら最後、生きて帰ることはできなくなりますから」




***




 ——ああ、奇跡だ! 死んだあの子にまた会えるなんて!


 ——父さん、こんなところにいたんだね……。


 ——ずっと探していたのよ。もう、離れたりしないんだから……!




 様々な人々の声が、室内にたゆたう黒い霧から聞こえてくる。


 再会した大切な人の名前を呼ぶ声。


 ずっと伝えられなかった言葉を吐き出す声。


 何も知らなければ、それは奇跡によろこぶ人々の讃歌に聞こえる。


 だが、その実態は『屍者の王国』に呑まれていく人々の断末魔だ。


 彼らは何も知らないまま、屍者に導かれて自らも屍者となる。『屍者の王国』から脱出するには屍者に拒絶されるか、あるいは……神石ハデスの共鳴者を殺すしかない。


「こんなことをして何になるっていうんだ!」


 ルカは大鎌で斬りかかるも、ソニアにあっけなく弾かれてしまった。


「軽いな。もっと俺を憎め。その鎌に命を刈る覚悟を込めろ」


「くっ……!」


 歯を食いしばり、もう一度。


 だが、それでも傷一つ付けられない。


「ルカ、どけ! あたしがやる!」


「でも……!」


 今ターニャに任せるわけにはいかない。


 彼女が復讐にとらわれているのもあるが、気がかりなのは体力の消耗度合いだ。この中でソニアの神石を破壊することができるのはヴァルキリーの力だけ。だが、力を出し惜しみしない戦闘スタイルのターニャは現時点でもかなり体力を使ってしまっている。ユナの歌やブルーエーテルがあるとはいえ、無駄遣いは避けたい。


「どうした? 急がないと冥界に囚われた人間が死ぬぞ。お前たちも経験しただろう。『屍者の王国』にいる間、心臓は止まり仮死状態になる。時間が経てば屍者に拒絶されても帰るべき肉体がなくなってしまう」


「くっ……うおおおおおおおおっ!!」


 ルカは”音速次元”で移動速度を上げ、ソニアの背後を取る。


 一瞬、彼が笑ったように見えた。


 ゴフッ。


 ソニアの口から血がこぼれだす。


 よく見ると、彼の胸のあたりが赤く滲んでいた。


「お前、まさか……あの時の傷がまだ治ってないのか?」


「気を、抜いたな……!」


 ヒュンッ。顔面に向かって赤い刀身が伸びてきてルカはとっさに上体を反らす。


 瞬間移動で後退したルカは、なぜ彼の傷が全く癒えていないのかを尋ねたが、答えが返ってくることはなかった。


 ソニアは血で汚れた口を拭い、ボソリと呟く。


「"屍者たちよ"」


 途端、彼の眼帯が外れ、漆黒の右眼が露わになる。


 うめき声をあげたかと思うと、彼の右眼から黒い涙がぽたぽたと床に落ち、それがぞわぞわと増殖して変形していく。


「これは……!?」


 剣を持った四体の骸骨。全身黒のインクに染まったかのような色をしている。


「行け」


 ソニアが命令すると、骸骨たちはケタケタと笑いながら襲いかかってきた。キリとの戦いの時とは違って数は少ないが、一体一体が手練れでなかなかソニアに近づけない。


 リュウと共に一体の骸骨を相手にしているドーハは、何か合点がいかないのかぶつくさと呟いている。


「どうした?」


「おかしい……あいつがこんなに神石の力を使うなんて変なんだ」


「前は違ったのか?」


「ああ、あいつは自分の神石の力を使うのをずっと避けてきていた。だから長刀だけで戦うことが多かったんだけど……」


「今は身体が満足に動かないからだろう。見ろ」


 リュウがクイと顎をソニアの方に向ける。先ほど血を吐いてからというもの動きが鈍っている。治っていない胸の傷からは血が滴り落ち、顔色が悪い。どう見ても満身創痍のようだった。


「そうまでして……あいつは何がしたいんだ……?」


 ドーハにとっては、ますます納得がいかなかった。


 そもそもソニアとは同世代だが仲が良かったわけではない。むしろ腕っ節を買われて父親に気に入られる彼に対して嫉妬して、劣等感さえ抱いていた。それなのに彼はいつも涼しげな顔だった。四神将の座を手に入れたにも関わらず出世など興味がなさそうで、フロワやアランのような忠誠心を見せるわけではない。


(そうだ、妙なんだ。俺たちは父上の元にたどり着くために戦ってる。それをソニアがこんな……自分が嫌ってた力を使ってまでして阻もうとするか?)


 コーラントを訪れた時のキリの報告を思い出す。あの時のソニアはブラック・クロスの二人を足止めせずにあっさりと通してしまった。そのせいでドーハが気に入っていた飛空二輪を奪われて、散々文句を言ったことがある。


(あいつは今……何のために戦っているんだ?)


「ドーハ、考えるのは後だ! 今はこいつらを片付けるのに集中しろ!」


「あ、ああ、わかった!」


 ドーハはリュウが骸骨の動きを封じている間に八咫の鏡を取り出し、高く掲げた。鏡面から発せられる太陽の光線が、漆黒の屍者を照らす。


「グガァァァァァッ!」


 効いている。


 リュウは腕を鬼人化させ、後方に控えているユナに合図を送る。


「うん、わかった!」


 タレイアの歌を歌い上げるユナ。


 リュウは拳に力を込め、骸骨の頭部を思い切り殴りかかった。人間相手に戦うときとは違う、軽い感触。骸骨の頭部は殴られた勢いでくるくると回転するが、なおも四肢は自由に動き反撃を仕掛けてくる。


「チ!」


 どうやら物理攻撃だけでは大したダメージにはならないらしい。


 リュウは止むを得ず髪に挿していたかんざしを抜き、神器へと変化させた。全身鬼人化させ、雷神トールの雷を身にまとう。


「ハァッ!」


 棍を回転させながら敵の胴体を打ち、そして間髪入れず突きを入れる。


「グギッ……!」


 トールの雷撃が効いたのか、骸骨は痺れて動きを鈍らせた。その隙に回し蹴りを放つ。狙ったのは敵の膝の関節だ。


 骨だけで動いている身体というのはマリオネットのようなもの。操り手の糸が繋がっていようが、可動性を担う部位が破壊されれば自在には動けなくなる。


 案の定、骸骨は動き続けようとするが、関節が粉砕された片足がうまく動作せずにその場に崩れ落ちた。


 リュウはふーっと息を吐くと、呆気にとられているドーハに声をかける。


「他の奴らの加勢に行くぞ。物理特化のルカとターニャじゃこいつらを無力化できない」



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