mission11-39 将軍の私室



 ルカたちがアランのラボを出た頃、"常闇とこやみの将軍"ソニア・グラシールは自室のソファの上で横になっていた。


 寝るためのソファと鍛錬人形の他には何もなく、本来壁一面に景色を魅せるはずの窓は分厚いカーテンで締め切っている薄暗い部屋だ。


「……ソニア君」


 少女の声が聞こえて、ソニアはパチリとまぶたを開けた。


「ウラノスか」


 ソファの横に青白い羅針盤の模様が浮き出て、その中からおずおずと少女が姿を現した。


「キリ君がやられたんだ。ヒュプノスが破壊されて、『プシュケーのはこ』がまともに動かなくなって……彼、もうだめかもしれない」


 もともと色白な彼女だが、今は普段以上に顔に血の気がない。


「それで……義賊のやつら、次はここに向かってるよ」


「だろうな。それなら、相手をするまでだ」


「けど……」


 ウラノスの視線はソファの下に置かれた大量の空き瓶に注がれる。アランのラボから持ち出した痛み止めだ。ゼネアの任務から戻ってきて以降、彼の傷は一向に癒えることなく、痛み止めを飲んでごまかしていることをウラノスは知っていた。


「心配しなくても、死にはしないさ。俺の命はハデスが握っている」


 ソニアはそう言って上体を起こすと、さらさらと細くまっすぐなウラノスの髪を撫でた。


 扉を隔てた向こう側から、複数人がこちらへやってくる足音が聞こえる。


「隠れていろ、ウラノス。今の俺にはなりふりかまっている余裕はない」


「やだ、僕も一緒に戦う!」


 そう言って彼女はソニアの上着の裾をぎゅっと握って顔を押し付けた。そして押し潰されそうな声で呟いた。


「……もう、四神将のみんながいなくなっちゃうのは嫌なんだ……」


 ソニアは小さく息を吐き、彼女を引き剥がす。


「それなら約束だ。この戦いが終わったら頼みたいことがある。それまで俺の飛空艇で待っていてくれ」


 少女はソニアの言葉に半信半疑ながらも、少しだけその表情が和らいでいた。


「ほんと!? 約束だよ……! 僕、ずっと待ってるからね」


「ああ、約束だ」


 扉が開く音がして、ソニアは「行け」と彼女の背を押す。ウラノスが青白く浮き出た羅針盤の模様の中に消えると同時に、白銀の剣の煌めきが視界の端に入る。


「ソニア・グラシールゥゥゥゥゥッ!!」






 ソニアの部屋の扉を開くなり、ターニャは鞘から剣を抜いて駆け出していた。


「ターニャ、待つんだ!」


 ルカの制止など聞こえてはいない。ターニャはソファに腰掛けるソニアへと斬りかかっていく。


 対するソニアは、寝起きのようなゆったりとした動作で、ソファの脇に置かれていた鞘に納められたままの長刀を手に取った。


 ガキィンッ!


 裁きの剣を両手で支えた鞘で受け止める。


「うおおおおおおおっ!」


 指先に全身の力を込め、押し切ろうとするターニャ。わずかに優勢。少しずつ刃先がソニアの顔へと近づく。


 だが、ソニアは相変わらず無表情のまま、至近距離のターニャにしか聞こえない声でぼそりと言った。


影武者ウーズレイの最期の言葉の意味は分かったか?」


「っ!? どうしてあんたがそれを——がはっ!」


 一瞬気が緩んだターニャの鳩尾みぞおちに蹴りが入り、彼女の身体は宙に跳ね上がる。


 その間、ソニアがすっと立ち上がり、長刀の柄を握るのが見えた。


「させない!」


 パァン!


 アイラの撃った砂弾が彼の指に命中。抜刀が遅れた隙にルカが間に入ってターニャを引き下がらせた。


「大丈夫か、ターニャ」


「全っ然ヘーキ……むしろ今の蹴りでちょっと頭が冴えてきた」


 ターニャはふーっと息を吐くと、再び武器を構え直す。その切っ先が指すのはソニアの眼帯の下に隠された漆黒の右眼だ。


「死神に命を預けてあるってことは、その神石を破壊したらどうなるのかな?」


「ハデスの消失とともに俺の命は消える。つまり、死ぬということだ」


「なるほど、それがあんたの弱点ってわけ」


「そうだ。 ただ、俺も今すぐにハデスを破壊されるわけにはいかない」


 ソニアが長刀を抜く。


 血のように赤い刀身。


 ぞわりと寒気が這い上がってくる。


「クソッ……!」


 ターニャは再び向かっていこうとするが、ルカがそれを止めた。


 アイラが口を開きかけたからだ。


 ソニアもそれに気づいていたらしい。彼は視線をアイラに向ける。


「どうした姉さん。ゼネアの時のように俺を蜂の巣にしないのか?」


 アイラは銃口を向けたまま首を横に振った。


「よく言うわ……不死身のあなたを撃ったところで意味なんてないくせに。それより答えなさい、ソニア! あなたは一体、何をしようとしているの? ゼネアだけじゃない、スヴェルト大陸でもたくさん人を殺したと聞いた……。一体何が目的なの!?」


 ソニアは答えない。ただため息を吐いてうなだれる。


「……残念だ。今の姉さんからは俺に対する強い憎しみを感じない」


「憎しみ、ですって……?」


 ギリと奥歯を噛みしめるアイラ。


 ソニアの視線は彼女ではなく、彼女の横にいるルカたちに向けられた。


「……なるほど、お前たちが原因か。ならば全員染めてやろう。漆黒の厭世の念に」


 感情のない声で呟くと、長刀を床に突き刺した。


「”冥帝の名によりて命ずる。の地に眠る屍者ししゃたちよ、今こそ輪廻りんねの境界を解き放ち、生にしがみつく者どもをその常闇とこやみへと誘いざないたまえ”」


「ッ!?」


 足元に黒い霧が湧き出て揺らぐ。


 だがそれは一瞬だった。


 闇はルカたちを包み込むのではなく、あっという間に通り過ぎて行った。


「何だったんだ、今の……? てっきり『屍者の王国』かと」


「ああ、それは間違ってはいない」


 そう言ってソニアは長刀を振るい、カーテンを切り裂く。窓に映るはこの高層の塔の眼下に広がる雪景色。ヴァルトロ兵団拠点の先に凱旋峠があり、そしてそれを超えた先には。


「まさか……!」


「そう、『屍者の王国』はお前たちの仲間が戦うニヴル雪原で発動させた。こうでもしないと、お前たちは俺を憎まないだろう?」


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