mission11-32 アランのラボ



 いやに静かだった。


 南エリア、アラン=スペリウスのラボ。


 部屋中に並んだ機械が奏でる稼働音の他、人の気配も物音もしない。


「ユナ! どこにいるんだ!」


 返事はない。


 ただ重々しい空気がどこから敵の襲撃に遭ってもおかしくない緊張感をまとっている。


 床は足の踏み場がないほど散らかっているが、ドーハ曰くこれが通常の状態らしい。機械の設計図、小さなパーツ、どこに繋がっているのか分からないコードの隙間を縫うようにしてルカたちは奥の方へと足を踏み入れる。


 ラボの中には小部屋がいくつかあって、それぞれ目的によって分かれているようだ。薬品室、無菌室、溶接部屋、そして……。


 ルカがとある一室の扉の前で立ち止まる。


「かすかに神石の息遣いが聞こえる……ここだ」


 扉には何も書かれていない。覗き窓も無いので、中に入ってみないことには何があるかわからない。


「ルカ、慎重にね」


「分かってる。……行くぞ」


 ガチャリ。


 鍵はかかっておらず、扉はあっさりと開き、小豆色の煙をぶわっと吐き出す。リュウがスンスンと鼻を鳴らして眉間にしわを寄せた。


「この臭いはアレだ……ヒュプノスの、なんて言ったか」


よ。確かに、ガルダストリアの工場の景色によく似ているわね」


 いくつものパイプが根のように張り巡らされ、天井から定期的に煙が出てきて部屋中を満たしている。ただ違うのは、ガルダストリアの巨大な工場にいくつも立ち並んでいた幹のような柱は一つもない。


「視界が悪い……ドーハ、煙をなんとかできないかな?」


「たぶん行ける。ちょっと待ってくれ」


 ドーハは八咫の鏡を取り出して掲げる。ポイニクス霊山のマグマでさえ飲み込む神石アマテラスの神器にとっては、小部屋に充満する煙を吸い込むことくらい容易だった。


 みるみるうちに煙が消えていき、室内の様子がはっきりと見えてきた。


 煙を吐くパイプは床、壁を伝って部屋の奥へと繋がっている。そこにあるのは一つの簡易なしつらえのベッド。そしてその上に横たわる少女。


「ユナ!!」


 ルカは駆け寄る。


 ユナは仰向けで穏やかな表情で眠っている。傷一つない。呼吸も問題ない。無事だ。


「間に合ったか……」


 ほっとして彼女を抱き起こそうとする。


 だが一つ違和感があった。


「なんだこれ……?」


 彼女の左胸に、淡い小豆色の光をまとった何かがある。じっと目を凝らしてみると、それは小さなふた葉。やがてその幼い葉はしおれて枯れ落ち、代わりに本葉が生えてくる。


「何が、起きてる……?」


「ルカ、離れて!」


「っ!?」


 パァン!


 短い銃声が響き、ルカのすぐ後ろで破壊の眷属が黒煙を上げて呻き出した。


 一体どこから現れたのか。


 いや——考えなくても知っていたはずだ。


 足元にいくつも渦巻く焦げ茶色の淀み。そこから続々と破壊の眷属が現れる。


「ウガアァァァァァァァァアアアアア!!」


 獣の骨、枯れ枝、腐肉をまとった異形の者たちが襲いかかってきて、一行はすぐさま武器を構え応戦した。


 激しい戦闘の音が部屋中に響き渡るが、ユナは目を覚ます気配がない。そして彼女の胸にある小さな芽はどんどん大きくなり、彼女の身体にツタを這わしていく。まるでユナを養分に成長しているかのようだ。


 ルカはユナを背負いながら、片手で大鎌を振るい敵を牽制しつつ辺りを見渡す。


「キリ、どこにいる! 近くにいるんだろ!」


 姿を現さない代わりに、あの耳障りな笑い声がどこからか響く。


「キャハハハハハハハハ! そう焦らなくてもいいじゃありませんか。ここからが面白いところなんですから」


「なにっ……!?」


 その時、ルカの背でぴくりとユナが動いた。




 法螺貝ほらがいを吹け 勝ちどきを上げろ

 銅鑼どらを叩いて

 大地震撼のごとく足音を踏み鳴らせ




 彼女はタレイアの歌を口ずさむ。味方の攻撃力を高める歌だ。


 だが、何かがいつもと違った。


 ルカたちの身体にはなにも変化がない。


 一方で、


「ぐっ!?」


 リュウが破壊の眷属に押し負ける。


「うわああああ!」


 ドーハが敵の攻撃で傷を負う。


「ユナ……? これは、どういう……」


 ドン、と背中を強く押され、ルカは膝から崩れ落ちた。


 ユナは自分の足で立っている。


 瞼は閉じたまま。


 ツタは硬い枝となり、徐々に彼女の身体を覆い尽くしていく。


「うう……ああああああああああっ!!」


 うずくまり、悲鳴をあげる。


 その声に呼応するように、枝はめきめきと伸び、尖り、ユナの全身を鎧のように取り囲む。木の精霊を思わせるかのような、背から伸びた枝でできた翼。




 蒼海に響かせよ

 我が魂を響かせよ

 想いは龍となりて空を昇り

 遥か彼方へ稲妻を降らせん




 ユナが再び歌いあげる。


 その歌はルカたちに対し、頭を鈍器で殴ったような衝撃を与え、ガンガンと強く響く。


「エラトーの、歌……。そんな……なん、で……?」


 頭を押さえて床に這いつくばるルカの前に、ユナは立つ。


 彼女は相変わらず瞼を閉じたまま、瞳の端から一筋の涙をこぼす。


「あああ……うあああ……」


"ああああああ……うううううあああああああああっ"


「っ!?」


 ユナの悲鳴が、何重にもなってルカの頭に響く。


 これは、彼女だけの声ではない。


「神石の、悲鳴……!」


 どこからか、パチパチと拍手をする音が響いた。


 やがてユナの隣に小豆色の煙が集まっていき、人の形を成していく。


 少年参謀、キリ。


 彼は細い目を一層細めながら、口の端を吊り上げて笑った。


「めでたいですねぇ、実験成功ですよ!」


「何が、だ……」


 ルカが立ち上がろうとすると、再びユナがエラトーの歌を歌う。平衡感覚が狂って力が抜け、突っ伏すしかなかった。


 ニヤニヤといたずらな笑みを浮かべたキリがしゃがみこんでルカの表情を覗き込んでくる。


「いい! いいですよぉ! その屈辱に満ちた表情かお……!」


「キリ……!! お前、ユナに何をした!」


 するとキリは見せびらかすようにルカの目と鼻の先で手を開いて見せた。手のひらの上に、小豆色の光をまとった小さな種子がある。




「ヒュプノスの種子たね——植え付けた相手の神石を催眠にかけ、支配下に置くための最終兵器ですよ」




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