mission11-29 悪夢の目覚め



 夜が明ける。


 普段より早く目を覚ましたルカは、慣れない土地の寒さに身震いしながら身支度を整えた。


 ふと、部屋の扉の下の隙間に何か紙が挟まっているのを見つける。


『ルカに謝りたいことがあるの。朝、起きたら私の部屋に来てくれる? ユナより』


 確かにユナの筆跡で書かれていた。


(謝りたいこと……?)


 ルカは首を傾げながら、自室を出る。


 宿の中はまだしんとしていて、ほとんど明かりも付いていない。


 ユナも寝ているかもしれないとは思いつつ、彼女が泊まっているはずの部屋へと向かう。


 コンコン。


「ユナ、起きてる? おれだけど」


 扉の向こうに呼びかけるも、返事はない。


(やっぱりまだ寝てたかな)


 もう一度ノックしてみる。


 返事はない。


 ただ、部屋の中から何か物音が聞こえたような気がした。


 ルカは部屋の扉に身体を寄せ、耳をそばだてる。


 かすかに、冷たく吹きすさぶ風の音がした。


 窓を開けているんだろうか。


 この極寒の土地で?


 ……そんなはずない。


 胸騒ぎがして、ルカはドアノブをひねる。


 開かない。


 鍵がかかっているらしい。


(勘違いであってくれよ……!)


 数歩退き下がり、勢いをつけて扉を蹴り飛ばす。


 扉が倒れ、大きな音がフロア中に響いた。何事かと、周囲の部屋で物音がし始める。


 ルカは構わずユナの部屋に入った。


 一人用の部屋だ。そう広くはない。


 だから、一目見て分かってしまった。


「……ユナ」




 彼女が、どこにもいないということを。




「ユナーーーーーーーーーッ!!」






 宿のロビーに集まる仲間たち。アイラ、ターニャ、リュウ、ドーハ。館内くまなく探し回ったが、やはりユナはどこにもいなかった。


 ただ、ユナが泊まっていた部屋の窓は粉々に割られ、彼女の手荷物はそのまま残されていたことから、本人の意思で出て行ったわけではないことは確かだった。


 ターニャの話によると、昨晩酒場から宿まで戻ってくる間はずっとユナと一緒だった。その後それぞれの部屋の前で別れるまでは何もなく、怪しい者に尾けられていたとか、そういう気配も一切なかったという。


「探しに行こう」


 ルカは早足で宿を出ようとするが、ターニャに引き止められてしまった。


「気持ちは分かるけど焦るな」


「でも……!」


「今あの子がどこにいるかも分からないし、それ以前にあたしたちには覇王の元にたどり着くっていう大事な使命がある。場合によっては、あの子を探しに行くのは後回しになるよ。ここに来るまでに背中を託してきたグレンやクレイジーみたいにね」


「っ……離してくれ!」


 振りほどこうとするが、かえって力強く引き寄せられた。


 心臓が跳ねる。


 ターニャの瞳がじっと睨んできていた。手加減なく、ルカの腕に食い込む爪。


「ふざけんなよ……そんなに特別なら、どうしてあの子の気持ちに答えなかったの? 君が必死にあの子の腕を掴んでおけば、こんなことにはならなかった! 違う!?」


「それ、は——」


「ターニャ、言い過ぎよ」


 アイラが詰め寄るターニャを引き離した。


 彼女は荒ぶる呼吸を落ち着けると、やがて自嘲するように笑った。


「ごめん、確かに言い過ぎた。んなこと言える立場じゃないってのに」


「……おれこそ、ごめん」


 俯くルカの肩を、アイラが優しく叩く。


「ルカ。あなただけの責任じゃないわ。ただ、ユナが消えて心配なのもあなただけじゃない」


 ターニャも、そしてリュウとドーハも、ユナを探しに行きたい気持ちは同じだ。


 ただ、そうするには情報がなさすぎるのと、敵地ゆえに誤った判断は全滅を引き起こしかねない。だからこそ今は冷静になる必要があった。


「それにしても、誰も物音には気づかなかったのか? いくら夜中とはいえ、これだけ派手に窓を割っていたら、気づきそうなものだが」


 リュウがふと疑問を口に出す。


 確かに彼の言うことはもっともだった。


 だがルカたちをはじめ、他の宿泊客や宿の従業員までもが昨晩は何も物音を聞かなかった、それどころかぐっすり眠っていたという。


「変よね。私も珍しく昨日はよく眠れたのよ。最近は悪夢にうなされて起きることが多かったのだけど……」


 アイラは途中まで言いかけて、ハッと口をつぐんだ。


「アイラ?」


 腕を組み何か考え始めるアイラ。徐々に彼女の表情が険しくなる。


「ちょっと待って。一人、いたわよね。"眠り"を司る神石と共鳴している人間が」


 そう、これまでの旅路で何度も戦った難敵。


 こちらを見下し、蔑み笑う少年の顔が脳裏に浮かぶ。


「……! 参謀キリか……!」


 ルカはぎりと奥歯を噛みしめる。


「確かにキリならやりかねない。あいつは自分の利益のためならヴァルトロのプライドなんて気にしない……そういうやつなんだ」


 ドーハもまた、悔しげに床を蹴る。


 いくらヴァルトロ軍に夜間停戦命令が出ているとはいえ、油断すべきではなかった。四神将たちが命令外の行動を取ることなど日常茶飯事だと、身に染みて知っていたはずなのに。


「だったら話は早い。覇者の砦に行こう」


 ルカの言葉に、他の者たちも頷く。


「ユナを助けて、マティスをぶん殴る。簡単な話だ」


「ちょっとリュウ、いつの間に戦う前提になってるのよ。私たちはあくまで話し合いのためにここに来ているのよ」


「でも、実際そうならないのはこれまででよーく分かった。あたしたちもそろそろ覚悟を決めて、剣を研がないと」


「覚悟、か……うん、確かにそうだ」


 ドーハは自らに言い聞かせるように呟く。


「リュウ、一つ言っておきたいことがある」


「なんだ?」


 怪訝な表情を浮かべるリュウに、ドーハは声を震わせながら言った。


「……父上を殴るのは、俺が先だ」


 真剣な眼差しを向けられ、リュウは思わずぷっと吹き出す。


「上等だ。やれるもんならやってみろ」


「お、おう!」


 目的地は一つ。仲間たちの想いも一つ。


 迷う必要はない。


 ルカは拳をぎゅっと握りしめ、声を張り上げた。


「よし、行くぞ。覇者の砦へ……!」






(あれ、ここは……)


 頭が重く、ぼうっとする。


 ユナの身体はベッドの上に横たわっているが、その感触は宿の柔らかい布団ではなく、無機質で冷たいベッドだ。鉛のような瞼を開けてみれば、見慣れない天井がそこにはあった。


(どういうこと……?)


 ぞわりと寒気がしても、身体は思うように動かない。まるで頭と身体の感覚が途切れてしまっているかのようだ。


 どうしようもなくてしばらくまどろんでいると、側で誰かが話しているのが聞こえてきた。


「もう、こんなことはおやめください……! いくら敵だからと言って、こんなむごい……」


 聴き覚えのある、少年の声。


 ただ、誰の声だかすぐには分からなかった。


 口調があまりにも違ったから。


 だが——


「黙れ……黙れ……! に指図するな……! この身体は、とうの昔にのものだ! お前に発言する権利はないッ……!」


 応答したのは同じ声だった。


 こちらも少し違和感があるが、どちらかといえばユナが知っている声に近い。


(キリ……?)


 確認しようと起き上がろうとするが、やはり上手く身体が動かない。


「……ええそうですね。あなたは十二年前にすでに人の道を外してしまった」


 キリらしからぬ声音で、少年参謀は呟く。


「ですがもうこれ以上、の好きにはさせません。『プシュケーのはこ』のエネルギーは、私が……うっ、アアアアアアアアアッ!!」


 急にうめき声をあげ、じたばたともがく音がする。


 おぞましくて、身体さえ動けば耳を塞いでしまいたかった。


 やがてしんと静まったかと思うと、コツコツとユナの近くへ歩み寄る足音が聞こえてきた。


「……おや、起きてしまいましたか」


 何事もなかったかのように落ち着き払った、いつも通りのキリの口調。


「キリ……あなたは、一体……?」


 ユナの問いに、少年参謀は答えない。


「キャハハハハ……。眠りなさい、コーラントの姫。あなたには大事な役目を担っていただかなくてはね……」


 小豆色の光がゆるりと明滅する。


 意思とは関係なしに、瞼がだんだん重くなる。


 ユナの意識は、深い闇へと落ちていった……。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る