mission11-28 ヒルダとドーハ



「席、お隣よろしいでしょうか!」


「ど、どうぞ……」


 戸惑うユナの隣に、ヒルダはずびっと鼻をすすって座り込む。ドーハと一緒だったはずだが、彼の姿は近くには見当たらない。


「あの、何かあったんですか?」


「ドーハと」


 そこまで言いかけて、ヒルダはハッと言い直す。


「ああいえ、ドーハ様と少し口論になりまして」


「あたしたちの前ではドーハでいいよ。幼馴染なんでしょ」


「う……あなた方にはお見通しでしたか」


「お見通しってか、ドーハが普通にそう言おうとしてたからね」


 ターニャとユナが目を合わせると、ヒルダは「そうでした……」とため息を吐きながらうなだれる。


「そういうところ、彼は良くも悪くも昔から変わらないんです。気が弱くて、お人好しで、王子という立場であるにも関わらずどこか気取らないところがあって」


「ああー、確かにそうだね。王子って感じはないな」


 ユナもだけど、と余計な一言を付け加えるターニャ。ヒルダのぽかんとしている様子を見る限り、おそらくユナがコーラントの姫だということまでは知らないのだろう。


 むしろ知られると話がこじれそうだ。


 ユナはこほんと咳払いして話題を変えることにした。


「ヒルダさんは、いつからドーハさんと知り合いなんですか?」


「ドーハが物心ついた時からでしょうか。私の父がエスカレード家の屋敷の門番を務めていたので、幼い頃はよく一緒に遊んでいました。こう言っては失礼だと承知の上ではありますが……私にとって彼は幼馴染であり、弟みたいなものなのです」


 歳は少しだけヒルダの方が上で、しっかり者で気の強い彼女にドーハはよく懐いていたという。


 ヒルダとドーハの関係はどこか自分とキーノの関係に似ていて、話を聞いているだけで思い出が蘇ってくるようだ。ただ大きな違いは、今も彼女がドーハのそばにいるということだが。


「ライアン様が亡くなられてから、ドーハは塞ぎ込みがちになりました。それでもマティス陛下の息子として、ヴァルトロ軍を背負って立つ人間になることを求められ、本人の心の準備ができていないまま今の地位に就いたのです。そんな彼を放ってはおけず……私も軍に志願し、彼の側で仕える生き方を選びました」


「そうだったんですね……」


 その後、彼女はずっと彼を支えてきたつもりだった。


 部下たちがドーハに舐めた態度を取った時は厳しく叱りつけ是正したし、ドーハが四神将たちの勝手な振る舞いに振り回されて落ち込んでいる時は誰よりも先に声をかけるようにした。よくドーハのことをからかいにやってくるキリでさえ、ヒルダが側で目を光らせている時はあまり近寄ってこない。


 自分が献身することで、ヴァルトロの王子としての彼の立場を守ることができると思っていた。


 だが、ジーゼルロックでの任務から帰ってきてからというもの、ドーハは何があったのかヒルダに話してはくれず、単独で行動することが増えた。そして突然ヴァルトロを出て……ようやく帰ってきたと思えばヴァルトロと敵対する立場についていたのだ。


「もしかして、ドーハに大事な話ってのは」


「ええ、お察しの通りです。私は……今すぐあなた方の元を離れてヴァルトロに戻って欲しいと、今ならフロワ様と一緒にお父上を説得できるからと、そうお伝えしました。ですが」


 彼女は自嘲するように笑う。


「あっさりと断られてしまいました。『もう決めたから』と一切の迷いもなく、です。そんなこと今まで一度もなかったのに……私が知らないうちに、ドーハは変わってしまった」


 ポロポロと、ヒルダの大きな瞳から涙がこぼれだす。


「私、とても動揺してしまって……つい心にもないことを言ってしまったんです。ドーハは無責任だ、お父上の期待を裏切る気か、私たち部下にも刃を向けるつもりなのか、って! よく知る間柄だからこそ、一番彼が傷つくだろう言葉をぶつけてしまいました……。それなのに、ドーハはただ頷いて聞いていて……『その通りだよ、ごめん』って」


 ヒルダは机に突っ伏してぐすぐすと泣き出した。


 初めに見たクールな印象とは打って変わって、今は幼い少女のようである。


 敵対する立場であるユナたちにこんな話を打ち明けるくらいだ、相当まいっているのだろう。


 何か励ます言葉をかけなくては。ユナが口を開きかけたところで、ターニャがあっけらかんとした口調で言った。


「でもさあ、よかったんじゃない?」


「ターニャ!?」


 ギョッとするユナに構わず、ターニャはそのまま続けた。


「だって、ずっと変わらない人間なんていないよ? 誰しもいろんな出来事を経て少しずつ変わってく。変化を受け入れられないんだったら、それまでの関係だったってだけじゃん。今のうちに疎遠になった方が気楽かもしれないよ」


 さすがに聞き捨てならないとばかり、ヒルダは顔を上げてターニャを睨む。


「それは……私が忠誠心の無い部下だと言いたいのですか」


 するとターニャは笑みを崩さないまま、だが冷たい声で言った。


「お互い様でしょ。あんたは遠巻きに、ドーハが変わったことをあたしたちのせいにしようとしてる。違う?」


「……ッ!」


 ハッと息を飲む。図星だったらしい。


 ターニャはやれやれと肩をすくめた。


「分かってないな。彼はあたしたちに流されたんじゃなくて、自分の意志で変わったんだ。たまたま目指す方向が同じだったから、ここまで一緒に来ただけ」


「そんな……。それでは、私はドーハに見放されたということになるじゃないですか……!」


「知ーらない。あのドーハにそこまで考える器量があるとは思えないけど、少なくともヴァルトロに反抗するって決断した時点では、君のことが頭になかったのは事実——」




「そこまでにしてくれ、ターニャ・バレンタイン」




 ヒルダとユナが後ろを振り返ると、気まずそうな表情を浮かべたドーハが立っていた。


「俺のことを庇ってくれてるのかそうじゃないのかよく分からないけど、あんまりヒルダを困らせるようなことは言わないでほしい。あんたにそのメリットはないはずだろ」


 するとターニャはペロリと舌を出した。


「ちぇ。やっと面白くなってきたとこだったのに」


「……ヒルダ、家まで送るから」


 そう言ってドーハはヒルダをテーブルから、というよりターニャから引き剥がす。


 だがヒルダはその手を拒絶して振り払った。


「い、いい! けっこうです! どうしてドーハ様がここにいるんですか? 私に愛想を尽かして宿に戻られたんじゃなかったんですか」


「え? いつの間にそんな話になってるんだよ」


「だって、先ほど私が非難した後に席を立たれて、しばらく戻られなかったから……もう、戻ってきてくれないのかと……!」


 再びぼろぼろと泣き始めるヒルダ。


 だが、当のドーハも困惑した表情を浮かべて、ばつが悪そうにごにょごにょと呟く。


「いや、別にそれは、深い意味はないというか……」


「じゃあ、どういう意味なんですか」


 涙目でじっと見つめられ、ドーハは後ろへ数歩たじろいた。


「その……大したことじゃないっていうか、あんまり言いたくない話なんだけど」


 煮え切らない返事。


「この期に及んではぐらかす気?」


「そうですよ、ドーハさん。はっきりさせてください」


 ターニャとユナの後押しが効いたのか、ドーハは「はぁ」とうなだれた。


「二人とも、俺が酒に弱いの知ってるだろ。久々にヒルダのペースに合わせて飲んだからさ……その、気持ち悪くなって吐いてただけなんだけど」


「え……それだけ、ですか?」


「それだけ、だけど……」


 思わず手を上げて詰め寄るヒルダ。


 ドーハは恐怖で身体をこわばらせるが、彼女のその手は振り下ろされることなく、優しくドーハの背を包み込んだ。


「うわぁぁぁぁん……。ドーハ様に嫌われたんじゃないかって、不安で、不安でぇっ……!」


 ぐずるヒルダに抱きしめられ、ドーハはしばらく戸惑っていたが、やがて自らの両腕も彼女の背に回す。


「嫌いになるわけないだろ……。こんなに勝手な行動をとったのに、それでも部下でいてくれて、俺のこと本気で叱ってくれる人が他にはいないよ。ヒルダだけだ」


「ううっ、ううう……。光栄ですっ、ドーハ様ぁぁぁぁ……」






 その後、ヒルダがなかなか泣き止まないため、周りの客たちが何事かと集まってきてしまった。ドーハは彼女を家まで送ると言って店を後にし、野次馬たちが解散するとユナとターニャは再びその場で飲み直すのであった。


「あーあ、全く。とんだ茶番に付き合わされた気分だよ」


 ターニャはぶっきらぼうにそう言ったが、彼女のことだ、きっとドーハがヒルダを探しにやってくるのを見越してあんな風に煽るようなことを言ったのだろう。


「まー確かに誰かを探してうろうろしてるドーハのことは見えたけどさ、別にそれだけじゃないよ。ちゃんと嫌がらせの意味もあったし。期待に添えなくて申し訳ないけど、あたしはそこまでできた人間じゃないから」


 そう言って酒を煽るターニャはどこか寂しげにも見える。


「でも、ターニャの言ってたこと、確かにって思ったよ。よくよく考えれば私……ルカにひどいこと言っちゃったのかもしれない」


 もう一度、昨晩のルカとの会話を反芻する。


 とてもヒルダの話が他人事には思えなかった。


 結局同じだ。


 ルカを肯定しているつもりが、否定してしまっていたのだ。


「私、ルカに謝ろうと思う。きっと……傷つけちゃったから」


「そっか。ユナがそう思うんなら、そうした方がいいのかもね」


 ターニャはじっと手元のグラスを見つめて呟く。


「大切な人が変わっていく姿を見られるってのは、それだけで幸せなことだよ。死んじゃったら、変わることのない思い出が少しずつ褪せてくだけだからさ……」



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