mission11-24 神さまでもないかぎり



 ヒルダに案内された宿は、ここが敵地であることを忘れそうになるほどに快適であった。


 清潔さはさることながら、全館暖房が行き届いていて外の寒さに痺れていた身体はあっという間にほぐれていくし、食事も世界中の食材を取り揃えており、宿泊客の好みに合わせて作ってくれるらしい。外に買い出しに行こうと思っていた物資でさえ、館内に常駐している登録商人ギルドの商人に依頼すれば代わりに取り揃えてくれるという。


 さらに、普段は相部屋で宿代を抑えることが多いが、宿側の好意で同じ価格で個室を用意してもらえることになった。


 何から何まで至れり尽くせりである。


 おかげで今夜はそれぞれ自由に過ごし、明日の戦いに備えることになったのであった。






 ロビーに置かれていたニヴルヘイム大陸の歴史書を読んでいたユナは、誰かの足音が近づいてくるのを聞いてふと顔を上げる。


 防寒具を着込んだターニャだ。彼女はユナが読んでいる本を覗き込み、細々とした文字の羅列に「うげっ」と呟いた。


「ミハエルもそうだけどさ、よくそんな本読もうって気になるね」


「ターニャは本読むのあまり好きじゃないの?」


「まぁ、得意ではないかな。そもそも〈チックィード〉の地下街には本なんて一冊も置かれてなかったしね」


 彼女が貴族の娘だった頃はそれなりに勉強をさせられたようだが、それも好んでのことではなかったという。


「私もミハエルくんには敵わないよ。ただ、今は……なんだか一人で過ごす部屋って落ち着かなくて、本でも読んで気を紛らわしたいなって思って」


「はは、そういうことだったんだ。だったら一人で読書なんかしてないで、他の奴らとお喋りでもしてきたら?」


「うーん、それも考えたんだけど……。アイラは煙草買いに行くって言ったっきり戻ってこないし、ルカとリュウは庭でずっと組手してるから声かけられなくて」


「組手!? さっきまでぐったり疲れた顔してたのによくやるなぁ。体力馬鹿なの? はー、若いっていいね」


 ターニャは呆れた表情を浮かべて笑う。


「ターニャは? これから出かけるの?」


「うん。宿のレストラン、お酒の値段高かったでしょ。だから街の飲み屋で飲み直そうかと思って」


「私もついていっていい?」


 意外な申し出だったのか、ターニャはきょとんと目を見開いた。


「いいけど、ユナはお酒平気なの?」


「うん、飲めないわけじゃないよ」


 コーラントでは十代でもご馳走の前には食前酒を飲む文化がある。王族ゆえに人前で多量に飲むことはないが、アルコール自体には慣れているのだ。


「じゃ、せっかくだし付き合ってもらおっかな」


「ちょっと待ってて、すぐに準備してくるから」


 そう言ってユナは本を元あった場所に戻し、上着を取りに部屋に戻る。途中、廊下の窓から庭で組手を続けるルカたちの姿を横目に見ながら……。






「うおおおおおおっ!」


 組手用の木製の棍を振るい、ルカはリュウに殴りかかる。リュウはそれを鬼人化した腕で受け止め、みぞおちに一発。


「うっ!?」


 回避しそびれてよろけるルカ。リュウはそのまま彼の襟首を掴むと、ぶんと投げ飛ばした。


「はぁ、はぁっ……いったたた……」


 背中から地面に落ちたルカはぜぇぜぇと荒い呼吸で身をよじる。


「もうやめておけ。さっきから全然力がこもっていないぞ」


 リュウはそう言って部屋に戻ろうとしたが、ルカが立ち上がる音がして足を止める。


「まだまだ……! こんなんじゃ、マティスには……ッ!」


 もう一度棍を手に取りリュウに向かっていく。だが、結果は同じだ。リュウは軽くいなして返り討ちにしてしまった。


「疲れもあるだろうが、それ以上に集中が足りん。一撃一撃が軽いし、俺の動きも読めてない。今のお前は俺が今まで知る中で一番弱い状態だ」


「っ……。そう、だよな……」


 棍がカランと音を立てて地面に落ちる。ルカは糸が切れたようにその場にどさっと座り込んだ。


「……分かってるんだ。考えたって仕方ない、って。だけど……考えないようにしようと思えば思うほど、頭ん中がいっぱいになる……!」


「何の話だ?」


 リュウの言葉に構わず、ルカは顔を覆って深いため息を吐く。


 ルカとは三年以上の付き合いだが、こんな風に困惑している様子の彼を見るのは初めてだった。


「いったい何に悩んでいる?」


「…………」


 直球な問いに、ルカはしばらく黙っていた。雪がしんしんと降り積もり、彼の金髪の上で綿毛のように咲いていく。


 やがてルカは俯いたまま重い口を開いた。


「……リュウはさ、死ぬのを怖いって思ったことはあるか」


「は?」


 唐突な話にリュウは思わず聞き返す。


 ルカは膝と膝の間に顔を埋めながら、拗ねたような声で言った。


「真面目な話だよ。自分が死んだらどうなるかってのを考えたことあるか、ってこと」


「ああ……それなら」


 思い当たる節があった。


「どんな時?」


「メルクリウス・フェストでヨギがさらわれた時だ。あの時が初めてだな、自分が死ぬかもしれないと思ったのは。こんなに突然、敗北感のまま自分が消えるのかと思うと……怖いというより、情けなかったという感じか」


「なんかお前らしいな」


「そうか? それからは戦いに挑む時に常に意識するようにした。いつ死んでも後悔のない戦いにしよう、と」


「戦うのをやめようとは思わなかったのか?」


 リュウは腕を組んで考えていたが、やがて首を横に傾げた。


「思わなかったな。俺にとっては、ヨギを見つけ出せないまま死ぬことの方が怖かった。だったら何度も戦って強くなるのが一番近道だ。そのために戦うのは怖くない」


「そうか……」


 ルカはうなだれながら呟く。


「お前はどうなんだ、ルカ。お前こそ、死ぬことを恐れない人間だったはずだろう」


 リュウはルカが時の島からブラック・クロスの本部に連れてこられた時のことを知っている。記憶も言葉も赤子のような状態だった彼は、なぜか取り憑かれたように何度も自らの命を絶とうとし、その度に何かに妨げられて必ず失敗に終わった。




 ——生きる理由を見つけるんだ。今のキミには死ぬ自由すら無いんだから。




 彼を立ち直らせたのは、クレイジーのその言葉だった。


 それから先、しばらく行動を共にすることはなかった。だが、ヤオ村での任務から久々にルカに同行するようになった時、彼がまとう空気がどこか以前と変わっているような気がしたのを覚えている。それが何なのか、リュウには上手く言葉にできなかったが。




「……生きる理由が、たくさんできたんだ」




 ルカは消えそうな声で、そう呟く。


「みんなとずっと旅をしていきたい。ブラック・クロスの任務をこなしながら、世界中のいろんな人と会って、いろんなものを見てみたい。そう思えるようになったからこそ、どんどん死ぬのが怖くなってきたんだ。いつか命が終わる時が来る。旅が終わりを迎える。みんなと一緒にいられないようになる。その時のことを考えると……怖くて足がすくむ。手が、震える」


 顔を上げて、彼は自らの手を見つめた。不安が色濃く現れているその顔を上げ、ルカはリュウの方を見る。


「なぁ、こんな大事な戦いの前に死ぬ時のことを考えるなんて、おれはおかしいのか? クレイジーやグレン、みんな必死におれたちを送り出してくれたのに、今になって死ぬことが怖くなるなんて! 勝手だよな……。こんなことなら初めから任務を受ける資格なんてなかっ——」


 続く言葉を遮るように、リュウの拳がルカの頬を殴った。倒れるルカの胸倉を掴み、無理やりに引っ張り起こす。


「らしくもないことを言うな。大切な仲間が生きていく世界を守るため、破壊神に囚われたライアンを救うため、お前は戦うことを選んだ。もしその決断を間違っていたと言うなら、お前はお前の守りたいものを放棄して逃げるということだ」


「っ……! だったらこの感情をどうすればいいんだよ! 考えないようにって思えば思うほど、恐怖がどんどん湧き出てくる……! どうやったら断ち切れる!?」


 リュウは小さくため息を吐いた。


「断ち切る必要なんてない」


「え……?」


「好きなだけ悩めばいい。俺たちはいずれ死ぬことが定められている生き物だ。死の概念が存在しない神でもない限り、死への恐れは付きまとう。俺だって、他の奴らだって同じだ。そしてお前にとっては、たまたま今その恐怖がでかくなっているだけだろう。何もおかしいことはない」


 掴んでいた彼の服を離してやると、ルカはよろよろと数歩引き下がった。


「……神でもない限り、か……」


 リュウの言葉を反芻して、やがて弱々しくもくすりと笑う。


「確かにそうだよな。……うん、納得できたかもしれない」


「大丈夫か?」


 ルカは頷き、顔を上げた。


 先ほどリュウが殴った頰がうっすら赤く腫れている。鬼人化させていない生身の拳で手加減したつもりだったが、今の彼にはやけに痛々しく見えた。だが、どんよりと曇っていたルカの表情は、少しだけ晴れやかになっていた。


「ありがとう、リュウ。……ちょっと気が楽になってきたよ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る