mission11-25 痕跡を探して



「おい、待ってくれ! あんたもしかして……”砂漠の蝶”か!?」


 街中を散策しているさなか、そんな風に声をかけられてアイラは「しまった」と思った。


 いくらフロワから指令が出ているとはいえ、油断すべきではなかった。彼女は義賊としての所属歴が長く、手配書で顔が割れている。言いつけを破ってでも手柄を立てたい者にとって、夜道を一人で歩いている彼女は格好の的になってもおかしくはない。


(私としたことが、見立てが甘かったわね)


 なるべく騒ぎを起こしたくはなかったが、こうなっては仕方ない。両耳のピアスを神器として変化させようとした、その時——


「お、俺、あんたのファンだったんだよ!」


「え?」


 拍子抜けして振り返ると、そこには息を弾ませた男が一人立っていた。ヴァルトロ軍の制服を着ているが今は武器を何も持っていない。アイラはじっと目を凝らす。どこか見覚えのある顔だ。


「……あなたもしかして、キャラバンによく来ていたお客さん?」


 すると男は嬉しそうにぱぁっと顔を輝かせた。


 その表情ではっきりと思い出す。


 九年前から二年の間、アイラは踊りや音楽などの芸事を生業とするキャラバンに所属していた。


 目の前の彼は、その時足繁くアイラの踊りを見に来ていた客の一人だ。


「そう、そうだよ! いやぁ光栄だなぁ! まさか”砂漠の蝶”に顔を覚えていてもらえるなんて」


「……恥ずかしいからその呼び名はやめて。今はもう踊り子じゃないわ。ただのアイラ・ローゼンよ」


「おっとすまない。嫌な思いをさせてしまったかな」


 アイラは首を横に振る。


「いいえ。 そういうわけではないけれど……生きるのに必死だったあの頃のことは、私にとっては苦い思い出なの」


 当時のスヴェルト大陸は二国間大戦の真っ只中。


 ソニアが施設の大人たちを殺した後、居場所を失った子どもたちの多くは路頭に迷うことになった。アトランティス民族解放軍に入って略奪行為に身をやつした者もいれば、難民たちが集まるキャンプに身を寄せたところ戦火に晒されて行方知れずになった者もいる。


(でも、私はソニアを見つけるために野垂れ死ぬわけにはいかなかった)


 踊り子を募集していたキャラバンに志願し、初めは見習いとしてどんな雑用も、どんなに厳しい練習も乗り越えてきた。やがて一人前として認められるようになったが、その後の苦労はそれまでの比ではない。危険を承知の上で戦地を転々とし、各国の兵士たち相手に興行する日々。地元の難民相手には何をやってもいいと思っているのか、兵士たちに嫌がらせをされたこともあるし、時にはスパイの疑いをかけられて殺されかけたこともある。それでも彼らから金を稼ぎ、ソニアの行方を掴むために情報を探り続けた。


 そしてようやく彼がヴァルトロ軍の元にいると知った時……『終焉の時代ラグナロク』の時が訪れて、彼女には再び何もなくなってしまった。


「そうか……。あの頃はただ戦いの辛さを紛らわすために君の踊りに夢中になったものだけど……あの華やかな舞台の裏で、君たちアトランティス人にはたくさんの苦労があったんだろうね」


 しょぼんと肩を落とす目の前の男は、当時は一般兵として上官とともにキャラバンの興行を見にきていた。階級が低いからかテントの隅の方の末席で人混みに押しつぶされそうになりながらも、一瞬として舞台から視線を逸らさず、きらきらとした眼差しで鑑賞していたものだから、アイラの中でも印象に残っている。


 興行の後の宴席でお酌をした時には、まだ飲んでいないのに真っ赤になっていたっけ。


 その時のことを思い出し、アイラはくすりと笑う。


 辛かったことは多いが、彼のように気のいい人間に巡り会うことがあったのもまた事実だ。


「あの頃は人を探していたんだろう。見つかったのかい」


「ええ……あなたたちヴァルトロ兵ならよく知る人よ」


 男はきょとんとしている。


 相変わらず、こちらに対する敵意はまるでない。


 とはいえ、ヴァルトロの街には彼のような穏やかな性格の人間の方が少数派だろう。どのみちこの先一人で散策するのは危険だ。自力で「あの場所」を探すには限界があることを薄々感じ始めていた頃合いでもあった。


 アイラは逡巡ののち、彼のそばに近寄ると、そっと耳元で囁いた。


 ……ソニア・グラシールが育った家に案内してほしい、と。






 グラシール家。


 ヴァルトロ兵団拠点の住宅の中では珍しく庭がある、敷地の広い家。華美な装飾はないが、余裕のある敷地の使い方や、家を囲む塀の頑健さは、ここに住む者の裕福さを表しているように見える。


 案内してくれた男の話によると、当主はもう六十近くになる老人らしい。元はガルダストリアの軍人であったが、ヴァルトロとガルダストリアが同盟関係となって以降、ガルダストリア軍を退役する際にヴァルトロ傭兵団の剣術指南役としてこのニヴルヘイム大陸に移り住んだという。荒くれ者たちの多いヴァルトロ傭兵団には、まともな型を習ったことのないままに剣を振るう者も多くいたからだ。


 やがて彼の指導力の高さがマティスにも伝わり、マティスの息子たちの指導も任されるようになった。特にライアンは彼のことを師と仰ぎ、信頼も厚かったようだ。


(この家のあるじが、ソニアを育てた……)


 アイラは閉ざされた門の前に立ち、塀の向こうに見える邸宅を眺める。


 不思議な感覚だった。


 アイラのよく知るソニアのことを思うと、こんなに広い家で暮らしている姿が思い浮かばない。施設にいた頃のように、あの漆黒の右眼のせいでいじめに遭うことはなかっただろうか、そんな余計な心配すらしてしまう。


 それでも、彼がいつしか名乗り始めた「グラシール」の姓は紛れもなくこの家に育てられた者である証だった。


 わからない。一体どういう経緯で養子となり、一体どんな育てられ方をしたのか。


 ソニアは、ヴァルトロの人間になって幸せなのか。


 知らないことが、多すぎる。


 呆然と立ち尽くしていると、門がキィと音を立ててゆっくり開いた。その隙間から、白髪の老人が顔を出す。


「どちら様かね?」


 通りすがりだと言ってすぐに立ち去るつもりが、その場に根が生えてしまったかのようにピタリと身動きが取れなくなった。


 老人と言えど鍛えられた肉体は健在、足腰もしっかりしていれば言葉もはつらつとしていて衰えているようには見えない。そんな相手にじっと見つめられ、急に恐ろしくなってきたのだ。


 今の自分は、ソニアのことを何も知らないくせに、彼のヴァルトロでの暮らしに介入しようとしている。彼にとっては、スヴェルト大陸での過去は思い出したくないものかもしれないのに。


 だが、老人——グラシール家の当主である男は、彼女の不安を和らげるかのような穏やかな笑みを浮かべた。


「ああ……もしかして、あなたがアイラさんですかな」


「え……?」


「ソニアがたまに話をするんですよ。えんじ色の髪、灰色の瞳のアトランティス人が訪ねてきたら、それは自分の姉だ、って」


「ソニアが、私のことを?」


 思わず瞳の端から涙がこぼれる。アイラはそれをすぐに拭うが、相手にはしっかりと見られていたらしい。


 老人はすかさず胸のポケットからハンカチを取り出し、アイラに差し出した。


「どうです、少し中でお茶でも。何か話したいことがあってここへ来られたのでしょう」


「でも、私はブラック・クロスの一員よ。私たちがここへ来て何をしようとしているのか、まさか知らないわけではないでしょう」


「それが何か?」


 老人は首をかしげる。


「大切な息子が姉と慕う人は私にとっても娘のようなもの。それに、軍はもう引退した身ですからな」


 そう言って、老人はアイラを半ば引っ張るようにして屋敷の中へと招き入れるのだった。



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