mission11-23 ヴァルトロ兵団拠点




 山を下りた頃にはすでに日は落ち、空からはふわふわと雪が降り始めていた。


 峠越えが終わった安心感もあったのかもしれない。朝からずっと歩き詰めで、幾度も戦いをくぐり抜けてきた疲労が一行の身体にどっとのしかかる。無意識のうちに余計な体力は使うまいとしているのか、互いに会話はなく、ただ黙々と前方に見える街の明かりを重い足取りで目指していた。


 凱旋峠を始めとする山々に囲まれた街、「ヴァルトロ兵団拠点」。


 兵団拠点、と呼ばれているのはかつてヴァルトロが傭兵団であった時代の名残らしい。今はヴァルトロ軍の一般兵やその家族たちが暮らしている、城下町のようなものである。覇王マティス、四神将らが待ち受ける覇者の砦はこの街の中央にそびえており、避けては通れない場所だ。


「うーん、そろそろ少し休みたいね。敵の本拠地の中じゃ場所もないだろうし、ここら辺で野宿でもする?」


 ターニャが伸びをしながらそう切り出したが、野宿するにも十分な食糧や寒さを凌ぐための毛布が足りない。道中、戦場を速く駆け抜けるために積荷を減らした結果だった。この辺りの寒さは南方のスーネ村以上に厳しく、物資不足の状態で野宿をしたら眠っている間に凍え死んでもおかしくはない。


「おれが買い出しに行ってくるよ。万が一敵に見つかっても、クロノスの力でなんとかなるだろうし」


 そう言ってルカはそそくさと歩き始める。


「待って、ルカ! ルカだって相当体力を消費しているでしょう? そんな状態で、もし何かあったら……」


 ユナは引き止めようとしたが、彼は歩みを止めなかった。山頂での戦いがあってからずっとそうだ。どこか焦っているように早足で進み、声をかけても心ここに在らずといった様子が続いている。


(たぶん、クレイジーさんのことが気がかりなんだ……)


 あれから何度かサンド二号からの通信を試みたが、クレイジーとは繋がらない。磁場による影響もあるかもしれないと思い込みたくても、不安は募るばかりだ。


 それでも進まなくてはいけない。


 ここまで自分たちを送り出してくれた仲間たちのためにも、進まなくてはいけない。


 彼らに託されたという責任感が、足を止めてしまうことへの恐れが、ルカを突き動かしているのだ。


 だが、そんな彼の行く手を阻む人影があった。


 街に向かう道の途中、ぽつんと一人、ニヴルトナカイを従えた何者かが立っている。


「敵か……!?」


 武器を構えるルカ。


 人影はゆっくりとこちらに近づいてきた。濃紺色の軍服を着た女……ヴァルトロ兵だ。待ち伏せだろうか。そう思って警戒を強める一行であったが、よくよく見ると彼女は腰に携えている拳銃を手に取る気配はない。それどころか、すっと両手をあげ、分厚い皮で作られた防寒に長けた帽子を脱ぐ。何もしない、という意思表示だ。


(ん? あいつは……)


 雪の降る暗がりの中、ドーハはじっと目を凝らした。露わになった相手の顔に見覚えがあったのだ。


 耳下までの短いブロンドヘア、涼しげな顔立ちに、切れ長の淡い青の瞳。


「……ヒルダ!?」


 すると、女兵士はニコッと柔らかい表情を浮かべた。


「ええ、ドーハ様。よくぞここまでたどり着かれました」


 女兵士は両手を挙げたまま歩み寄ってくる。


「知り合いか?」


「ああ。俺の幼なじ——」


 すると、女兵士の瞳がたしなめるようにじろりと睨む。


「ああああいや、直属の部下だよ」


 慌てて言い直すドーハであったが、どうにも格好がつかなかった。本当に部下なのかと訝しむルカ。


 アイラもまた、警戒を解くことはなかった。銃口をヒルダと呼ばれた女兵士に向けたまま尋ねる。


「そのドーハ王子の部下の方が何の用かしら? まさか彼が私たちと行動を共にしてるってことを知らないわけじゃないわよね?」


「もちろん。ドーハ様は今や我々ヴァルトロ軍と敵対するお立場。それは全兵士が認識していることです」


「なら、どうしてここに?」


「伝令のためです。フロワ様から全軍にお達しが出ました。『ヴァルトロの兵たるもの、夜間に武器を手に取り、ましてや敵の寝首をかくような卑劣な行為は自粛すべし』と」


「それって……夜の間は戦わないってことですか?」


 ユナの問いに、ヒルダは「その通りです」と微笑む。


「そもそも、この土地では夜間外にいるだけでも命がけの行為ですからね。あなた方もどうか無理はなさらず、街で宿をおとりください。ヴァルトロの人間が関わっていない、登録商人ギルドが営む宿もありますから」


 案内しますよ、と彼女はくるりと身を翻し、街のある方を指差した。


「……信頼できるのか?」


 ルカが声をひそめて尋ねると、ドーハはやや自信なさげではあったがこくりと頷いた。


「ヒルダは嘘を言うような奴じゃない。それに、騙し討ちするんならこうやって俺たちにわざわざ会いに来ずに黙々とやってのけるはずだ。手際がいいからさ」


「ふーん……」


 ターニャは納得がいかない様子で、腕を組んでいる。


「ねぇ、どうしてそんな親切にしてくれんの? あたしらがどこで野垂れ死のうと構わないはずでしょ。これからあんたたちの大事な王様がいるところに乗り込もうとしてるんだよ」


「だからこそです」


 彼女は何のためらいもなく、きっぱりと言った。


「陛下、そして四神将の方々が望まれるのは、立ちはだかる強者たちを打ち果たし、世界の頂点に立つことです。弱者と戦う価値はありません。だから、あなた方には万全の状態で臨んでいただかなくてはいけないのです。他に何か理由が必要でしょうか」


 ヒルダの瞳に嘘はない。神石ヴァルキリーの力を使うまでもなく、彼女の意志が好意によるものであるのが伝わってくる。ターニャはやれやれと肩をすくめた。


「……いや、よく分かったよ。ここはそういう国だったね」






 すっかり陽が落ちた後だというのに、ヴァルトロ兵団拠点の街は活気に溢れていた。街の入り口から覇者の砦までまっすぐに伸びる中央通りの脇にはいくつもの飲み屋が立ち並んでいて、兵士たちが自分の顔以上の大きさはあるジョッキを片手にどんちゃん騒ぎをしているのが外にまで漏れ聞こえている。


 街の建物は紺色の壁、えんじ色の屋根など、濃い色で塗られているものが多い。雪に埋もれて自分の家の場所が分からなくならないようにするための工夫らしい。どの家にも暖炉に繋がっているのであろう煙突があり、屋根の上から悠々と煙をふかしている。


 スーネ村と大きく違うのは街のところどころにある最新鋭の機械たちだ。老人でも手押しで扱える除雪機に、屋外暖房の機能を兼ね備えている街灯、雪をかきながら街のあちこちを走る路面電車。ヒルダの話によると、いずれもアラン=スペリウスの発明を元に作られたものらしい。彼女はアランが今どうなっているのか知らないらしく、誇らしげに彼の技術を誉めたたえるので、一行は少し罪悪感を覚えるのであった。


 中央通りを中ほどまで進み、西側に道を曲がるとそこは商店街だった。その奥に宿屋の看板を提げた建物が見える。


「この辺りは登録商人ギルドが管轄する区域です。武器屋、防具屋、道具屋、その他食料品の取り扱いがある店もあります。彼らは中立の立場ですから、どうぞお気兼ねなくご利用ください」


 よく見ると、それぞれの店にはこの土地の生まれではなさような人々が出入りしている。ヴァルトロが勢力を拡げていく過程で、他国からもヴァルトロ軍に志願したり、ヴァルトロの街で暮らすことを望んだりする者が増えてきた。そういった者たちが生活しやすいよう、世界中の物品を取り扱うことのできる登録商人ギルドに営業許可を出しているらしい。


 登録商人ギルドの商店街を超え、路地の突き当たり、宿屋の前まで来るとヒルダはぴたりと足を止めた。


「私からの案内はここまでです。今夜はゆっくりとお過ごしください」


「ありがとう、ヒルダさん」


「いいえ礼には及びません。明日からはまた敵同士ですから。よろしくお願いしますね。それで……ドーハ様」


「ん?」


「少しお話がありますので、この後よろしいですか」


 えっ、とまごつくドーハ。やけににこにこと笑みを浮かべているヒルダの表情を見て、少しだけ身震いする。


「お疲れのところ申し訳ございませんが、大事なお話ですので……」


 と謙虚なことを言っているが、笑顔の裏から断ったら許さないという気迫を感じる。あまりいい予感はしない。


 ただ、ここまでの丁寧な対応から彼女が敵意のある人間でないことはルカたちも分かっていた。むしろ、威厳のないドーハに対しても敬う姿勢を欠かさず、彼の持っていた荷物をニヴルトナカイに運ばせるなど細やかな気配りができるところは優秀な部下そのものである。


「話、聞いてあげたら? 幼なじみなんだろ」


「う……分かったよ」


 ドーハとヒルダ、二人が街の中へと引き返すように去っていくのを見送り、ルカたちもまた宿に入っていくのであった。


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