mission11-22 峠を越える未来



「「ほんの三十数年前のことになる……」」


「「八つの魂から成る我らが完全体は、っくき小僧によって奪われた!」」


「それってまさか……」


 ルカとドーハは思わず顔を見合わせる。


 八つ首の竜王は、全身を怒りで震わせながら低い声で叫んだ。


「「そう、マティス・エスカレード!!」」


「「奴に我らが敗れたのを見て、巨人共は奴を戦神などとたたえ、我を裏切りおった」」


「「愚かなことよ……! 崇高なる霧氷の一族が、人間風情にこうべを垂れるなど、あるまじきこと!」」


「「だが」」


 合わせて四つの瞳が、じろりと見定めるようにしてルカたちに視線を向ける。


「「貴様ら全員を喰らえば失った力も幾分か戻るかもしれぬ……そうであろう!?」」


 ドラゴンの巨体は背にある翼を羽ばたかせ、宙に舞い上がる。そして身体を回転させながら、滑空するスピードを利用してルカたちに向かって勢いよく突進してきた。


「みんな、弾き出されるな……っ!」


 なんとかその場で持ち堪えるも、地上にいたフリームスルス族よりひとまわりふたまわりは大きい巨体だ、体当たりによるダメージは大きい。


 ユナは傷ついた味方の回復に専念する。だがそれでも敵の攻撃の一撃の重さに追いつかず、クレイジーも攻撃をやめて回復呪術に切り替える。


 ルカたち前衛は再び武器を手に取り立ち向かうも、やはりあまりダメージを与えることができず苦戦していた。


「はぁ、はぁ、はぁっ……」


「ぜぇ、ぜぇ……くそ、防戦一方だ……」


 神石の力を使った攻撃や防御を繰り返すうち、体力はもともと凱旋峠を越える時点で残しておくはずの分はとうに使い切っていた。特に回復のたびに神石の力を使うユナの消耗が激しい。


「ユナ、一旦休むんだ」


 自身も多くの神通力を使っているはずのクレイジーが声をかけてきた。


「でも、それじゃみんなが……」


「どのみちこの戦い方じゃ全員力尽きる。少し作戦を変えないと」


「何か考えがあるんですか?」


 クレイジーの紫の唇から、小さな吐息が漏れる。


「ボクの考えというより、ミハエルの考えだけどね」


「え……?」


 どういうことなのか、尋ねる余裕はなかった。


 八つ首の竜王は再び宙に高く飛び上がり、大きく息を吸い込んだ。


 フリームスルス族の核である赤い光が、煌々と輝きを放つ。


「げ、まさか……」


 ターニャは剣を構えながら苦笑いを浮かべる。


 敵のあの動作、次に待ち構えている攻撃は、想像しうる中で最悪の攻撃。


「「全員氷像となるがいい!」」


 二つの首が、同時に口を開く。


 凍える風が吐き出され、ルカたちの視界は一瞬のうちに真っ白に包まれた……。






「「ふん、他愛もない」」


 八つ首の竜王は退屈そうに呟いた。


 凱旋峠の山頂はしんと静寂に包まれ、彼自身が雪を踏む音以外は何も響かない。


 彼の眼の前には先ほどまで戦っていた人間の氷像が七つ。


 しばらくの間、山中に眠り続けた彼にとっては思わぬ収穫だ。


「「どれ、どの人間から喰ろうてやろうか……」」


 鋭い鉤爪を愉しげにかち鳴らしながら、吟味する。


 そして想像する。


 彼らの並外れた神通力を取り込み、かつて失った力を再び得ることができたのならば。手始めに山の向こうにそびえる覇者の砦を破壊しよう。次にその眼下にあるヴァルトロ兵団拠点を潰す。ヴァルトロの主要機能が崩れたところで、再び霧氷の巨人たちを配下に従え、この雪氷に包まれた大陸の覇者として君臨するのだ。かつての日々のように、人間たちが怯え逃げ惑う姿が目に浮かぶ。


「「む……この者は……?」」


 八つ首の竜王は、氷漬けになったドーハの前でふと立ち止まる。髪の色、体型、そして何よりフリームスルス族のみが感じ取ることのできる神通力の波形が、彼の宿敵マティスによく似ていた。


「「腹ただしい……どういう関係かは知らんが決めた、まずはこの者から——」


 パキッ。


 ピキピキピキパキッ。


 どこからか氷が割れる音がする。


 馬鹿な。


 ドラゴンの巨体が、音がした方に向き直る。


 仮面の男・クレイジーの背から、赤紫色の何かが飛び出していた。一瞬血液かと見紛みまごうそれは、地に落ち彼の足元に滲んで広がっていく。


「「何だ……?」」


 やがて赤紫色の液体は、クレイジーを中心に円を描くようにして線が繋がった。その瞬間、地に描かれた模様が怪しげに光を放つ。


「「グッ!? これは……炎!?」」


 円陣から湧き出るようにして炎が燃え上がった。


 思わず退く八つ首の竜王。


 その間、ごうごうと燃える炎はクレイジーの身体を包んでいた氷を溶かしていく。


「……ふー、ギリギリ間に合ったみたいだ」


 彼はぺろりと唇を舐めると、その場にしゃがんで燃え盛る円陣に手をついた。


「”火を司る眷属よ。たけきその御霊みたまに問う! 汝のほむら酷冷こくれいの前にしずむものか? 是か非か! 我ヴェニス・イージスの魂を糧に汝のこたえを示したまえ”」


 クレイジーが呪文を唱え終わると同時、円陣の炎は一層激しさを増し、渦を巻くように燃え広がっていく。やがてその炎はクレイジーだけでなく、側にいた仲間たちをも包み込んだ。氷はたちまちに溶けていき、彼らの鼓動が響き始める。


「「うぬぬ……おのれ! ならばもう一度——」」


 八つ首の竜王の頭の赤い光が強く輝き、再び"絶対零度アブソリュート・ゼロ"の構えをとる。だが、勢いを増すクレイジーの炎が迫り、攻撃を中断して宙へと退避する。


「助かりました……! クレイジーさん、今のは?」


 ユナが駆け寄ると、クレイジーは懐から革袋を取り出してみせた。呪術の触媒薬が入っていた袋のようだ。今は空になっている。


「ルーフェイを発つ前、エルメからもらったんだ。ボクみたいな凡庸な呪術師でも一級呪術師クラスの術が使えるようになる強化薬でね。万が一の時のために、刺青の中に仕込んでおいたんだけど」


 まさかもう使う羽目になるなんて、とクレイジーは残念そうに呟く。


「でも、この力があれば八つ首の竜王に対抗が」


「いや」


 息を弾ませるユナに対し、クレイジーは首を横に振る。


「触媒は一回分しかなかった。もうすぐ効果が切れて、次にあの氷漬けを食らったらどうしようもない。……どうやら本当にミハエルの言った通りになったようだねェ」


「ミハエルくんが……? クレイジーさん、あなたはもしかして、わたしたちが知らないことを何か聞いているんですか?」


「ボクだけじゃない。グレンも、ジューダスも、あらかじめ聞かされていたんだよ。あの子が"千里眼”で視た、ボクたちの戦いの結末を」


「っ……!? それって、まさか……」


「そ。あの子の眼には、ボクらが覇者の砦に辿り着けない未来が視えていた。誰がどこで致命傷を負い、脱落するか、はっきりとね」


 カラン。


 いつの間にか近くに来ていたルカが思わず武器を落とす。


 フリームスルス族の陣を抜ける時にクレイジーが言った言葉を思い出したのだ。




 ——ミハエルも不憫だよねェ。視たくもない未来が視えちゃうんだからサ




「あんた……知った上でこの作戦に乗ったのか?」


「だからボクだけじゃないって言ってるだろ。グレンも、ジューダスも、ミハエルが視た未来を変えるために初めからあの場所に残ると決めていたんだ。……そして、ボクの持ち場はここ」


 そう言って彼は持ち歩いていたバッグの中から一升瓶を取り出した。ラベルに書かれているのは「氷兎馬ひょうとば」の文字。それを袖をまくった自らの腕に垂らしていく。酒に濡れた刺青から浮き出る無数のナイフ。


「買い取るの苦労したんだからサ……少しは効いてくれるかな!」


 クレイジーが宙に舞うドラゴンに向けてナイフを放つ。いくつかは避けられてしまったが、巨体なだけに数本その胴体に突き刺さった。


「「ウグ……グオオオオオオ!? なんだこれは!?」」


 ナイフが刺さった場所から白い煙が噴き出す。


 神通力によって氷の身体を維持しているフリームスルス族にとって、神通力を分解してしまう酒は毒のようなものなのだ。八つ首の竜王に対してはさすがに量が少ないのか見た目には影響はなさそうだが、ナイフを抜こうともがき、集中力が乱れている。


「サ、今のうちに山を下りるんだ」


「でも……!」


 立ち止まろうとするユナの背中を、クレイジーは強く押した。


「ミハエルが視た未来はね……ユナ、君が氷漬けになって、逆上したルカが反撃、だけど結局敵の体力を削ることはできなくて全員力尽きる、そんなくだらない未来だった。それが今なら変えられる。ボクがここに残れば、変えられるんだよ」


 クレイジーはもう一撃、ナイフを放った。


「「おのれ……おのれおのれおのれぇぇぇぇぇっ!」」


 八つ首の竜王の怒りがクレイジーに向けられ、先ほどまで塞いでいた山道の入り口はがら空きだ。


「前にも言ったでしょ? ボクはいつも『最悪の場合』を避けるために戦ってる。それくらいしか生きる目的がないんだ。だから、君たちがなんと言おうとここは譲らない」


 アイラとターニャが、立ち尽くすルカとユナの腕を引っ張る。


「行きましょう。ここはクレイジーに任せて……」


「ふざけるなっ……!」


 ルカはアイラの腕を強く振りほどく。


「あんただっておれたちの仲間だろ! おれの師匠だろ! 生き残って欲しいって思ってんのは、こっちも同じなんだよ……ッ!」


 激昂した八つ首の竜王がクレイジーに向かって襲いかかろうとしたところ、ルカが割って入り彼を庇う。突き飛ばされ、その場に倒れるクレイジーだったが、すぐに身体を起こし、ルカのコートの裾を引っ張った。後ろに倒れ込むルカに対し、馬乗りになって押し倒す。


「何して——!?」


 ズザッ!


 ルカの顔のすぐ横に、クレイジーのナイフが突き立てられる。


 至近距離で感じる殺気。久々の感覚に、全身の皮膚が泡立つ。初めての修行、彼にナイフを向けられた時の恐ろしさが蘇ってくる。


「いいから行くんだ。ここであの竜に二人とも殺されるくらいなら、ボクが君を殺してやる」


 言っていることは無茶苦茶だが、その低い声音はひどく冷静で、鋭い刃物のようにルカの胸に突き刺さる。


 思わず唾を飲み込むルカ。


 その隙にクレイジーはルカを引っ張り起こすと、他の仲間たちが進んだ先へと背中を押した。


「……分かったろう? この戦いは常に死と隣り合わせなんだ。ちゃんと伝えたいことは伝えておかないと、悔いが残るよ」


 クレイジーのその言葉は、途中からドラゴンの咆哮にかき消された。吐き出された凍える息吹に飛ばされるようにして、ルカは仲間たちの待つ下の山道へとたどり着く。背後からは激しい戦いの音が聞こえていた。


(クレイジー……絶対、死ぬな……!)


 ルカはぎゅっと唇を噛み締め、山頂の方を振り返らないまま下りの道を歩み始めるのであった。






 それからどれくらいの時が経ったのだろうか。


 クレイジーは空を見上げ、すっぽりと雲に覆われた景色に小さくため息を吐く。


 命を賭けた戦いの中では時を数えるような余裕はなく、気付いたら体力を使い切っていた。


 もう全身の刺青は消えてしまっているし、初級クラスの呪術を唱える力も残ってはいない。


(ルカたちはそろそろ下山した頃かな)


 八つ首の竜王の鋭いかぎ爪に押し潰されながら、クレイジーは先に行かせた仲間たちのことを思う。


 二つの竜の首が彼を喰らおうと、鋭い歯をむき出しにして顔を近づけた……その時だった。




 ドゴォッ!




 鈍い音が響き、ドラゴンの巨体が仰け反った。


 クレイジーを庇うようにして立つ、大柄な鬼人族の男が一人。


「「なっ……!?」」


 何が起きたか、事態を把握する前にぴくりと動きを止める。いや、強制的に止められたのだ。


 竜の影の一部が道化の形を成してわらっている。


「まさ、か……」


 朦朧とする視界の中、地面に倒れていたクレイジーに向かって差しのべられた手が映った。そのぬしは、よく知るバーテンダー風の男。彼はいたずらな笑みを浮かべて言った。


「よう。また死に損なったな、クレイジー」



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