mission11-21 八つ首の竜王



 ***




 ニヴル雪原での戦いが始まってからというもの、覇者の砦の玉座は空くことがない。その場から誰もいなくなろうとも、覇王マティスは眉間に深いしわを寄せ、新たな大刀の鞘を掴みながらそこに座り続けていたからだ。


 彼がその頭の中に何を考えているのか、知る者はいない。


 ただ、しばらくして玉座の側に現れたフロワは「あら、なんだか楽しそうですね」とのんきな口調で言った。


 マティスは肯定も否定もせず、ただ不機嫌にしか見えない厳格な表情を浮かべるままであったが、その中には長い付き合いの者だからこそ見抜ける、わずかながらの高揚があった。


 思えば彼の五十年の歩みは波乱に満ちている。フリームスルス族への復讐から始まり、ニヴルヘイムの人間を卑下してきたガルダストリアに実力を認めさせ、二国間大戦に参戦、長い戦いの末に『終焉の時代ラグナロク』が幕を開け、自らの息子が破壊神となり、そのけじめをつけるためにも進むことをやめず、ついには次代の支配者として世界に君臨した。


 いよいよ破壊神を討伐すれば名実ともに彼が世界の覇者となるところで、その道を阻もうとする者たちが現れた。


 義賊ブラック・クロス、そして実の息子であるドーハ。


 あくまで話し合いや協力を求める彼らの姿勢こそ気に入らないものの、今のヴァルトロに立ち向かおうとするその意気は買っている……ということなのだろう。そんな覇王の胸中を推し量り、フロワはくすりと笑う。


「戦況についてのご報告は?」


「要らん。奴らがここにたどり着かないのならそれまでの話。相見あいまみえて初めてこの戦いは意味を為す」


「かしこまりました。では私も、あの子たちがマティス様の期待を裏切らないことを祈るとしますかね」


 フロワはにこにこと微笑みながら、ガラス張りの窓から南にそびえる凱旋峠の方を見つめる。


「……そういえば」


 彼女はもとより細い目を一層細めて呟く。ほんの少しだけ、語気を強張らせて。


「この戦いの士気にあてられてか、凱旋峠で眠っていた"八つ首"が目を覚ましたようで」


 マティスはふんと鼻を鳴らすだけだった。


「あの老害め、まだ生きていたか。……だが、奴らにとってはちょうどいい相手だろう」


「このまま放っておく、と?」


 マティスはただ、瞼を閉じる。


「『死に八つ蛇』に勝てぬような相手には、つるぎを抜く気も起きん」




 ***




 激しい吹雪が吹き荒れる、凱旋峠の山頂。


 自然発生したものではない。二つの竜の首がそれぞれに吐き出した、肌を撫でるだけで身体の芯から凍りつきそうなブレス攻撃だ。


 荒く削り出された岩々の上にある山頂は狭く、敵から身を隠す陰もなければ、振り回してくる尾をかわすための場所さえ限られている。


 山の向こうへと下るための道はドラゴンの巨体が塞いでおり、彼をどかすか撃退しない限りは先に進むのは難しい。


「そうは言っても、ね……!」


 振り下ろされる氷の鉤爪を剣で受け止めつつ、ターニャは言った。


「下にいたフリームスルス族以上に、堅い——」


「「裏切り者どもと同じにするなと言っておろう!!」」


 片方の首が口を開き、ターニャに向けて氷の息を吐こうとする。


「させない!」


 アイラが砂弾を撃ち込んだ。ドラゴンの首は少しだけ仰け反るも、ダメージは浅く、


「「小癪な!!」」


 ドラゴンの頭部にある核が怪しく煌めいたかと思うと、今度は二頭揃えて氷の息を吐き出した。アイラは側転、素早く回避する。だが、慣れない雪深い足場に分厚いブーツのせいか、ほんの一瞬の見誤りがあった。完全には避けきれず、左足のつま先が冷気に触れる。


「っ……!?」


 ほんの少し、触れただけのはずだった。


 パキパキと何かが凍っていく音がして、アイラはハッと自らの左足を見る。つま先から膝にかけて、氷がせり上がってきていた。


 とっさに"熱砂"によって自らの左足を撃つ。痛みが走る。熱を帯びた血が噴き出すと共に、アイラの足を覆おうとしていた氷は溶けて元に戻っていった。


「アイラ、大丈夫!?」


 ユナが駆け寄り、クレイオの歌で彼女の傷口を塞ぐ。


 アイラは呼吸を整えながら頷いた。


「なんとかね……ただ、あの氷、普通じゃない」


 思い出し、全身に寒気が走る。


 氷の冷たさを感じる間などなかった。一瞬のうちに脚が消えて無くなってしまったような、そんな感覚だった。


 ただ触れるだけで、瞬間的に氷が侵食してくる。


「「くく……がははははは!!」」


 八つ首の竜王、と名乗った氷のドラゴンは高らかに笑う。


「「これぞ我が力"絶対零度アブソリュート・ゼロ"! 八人の王の力の結集よ!」」


 得意げにそう言い放ち、ぶんと尾を振り回した。


 氷の棘がいくつも連なっている太い尾はそれだけで凶器。跳躍して避けるか、尾の届かない所まで後退するかしかない。


 このままでは防戦一方だ。


 神石の力を温存できる相手でもない。


 ルカとリュウは互いに目を合わせ、反撃に躍り出た。ルカが敵の口元近くまで飛び込み、捕食器官を伸ばしてきたところでリュウが攻撃する作戦だ。ルカなら瞬間移動で敵に捕食される前に逃げ出せる。


「おら、こっちだ!」


 ルカが高く跳躍、片方の竜の首に向かって挑発する。


 やはり本質はフリームスルス族と同じなのだろう。頭部の赤い光が揺れ、ほんの少しルカに向かって伸びてくる。


「うおおおおおおおお!!」


 そこへ神石トールの雷をまとったリュウが、鬼人化状態で拳を叩き込んだ。


 だが——


「「甘い!!」」


 竜の口は閉ざされ、リュウの攻撃にはびくともしない。多少感電したようではあるが、巨体な分、雷撃を受けた片方の首の動きが少し鈍ったくらいだ。


「リュウの技も効かないなんて……!」


 弱点を狙ってもこの結果。あとはターニャやドーハと協力して連携の数を増やすしかない。ただ、一箇所に固まればあの氷の息による攻撃で一斉にやられるリスクもある。


 ルカが考えあぐねていると、リュウが真剣な顔つきで呟いた。


「さっきから疑問なんだが」


「ん?」


「なぜ奴は『八つ首の竜王』と名乗った?」


「なぜって……どう名乗ろうとあいつの自由だろ」


「いや、おかしいだろう。今の奴には


 ルカはハッとしてリュウの口を塞ぎにかかる。


 確かにそれはこの場にいる誰もが疑問に思っていたことだ。ただ、敵を刺激しないように口には出さないでいた。だが、リュウはそんなことを配慮できるような男ではない。


 案の定、一歩遅かったらしい。


 わなわなと震えるドラゴンの身体が、その怒りの様を表していた。



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