mission10-47 クレイジーの本心



 ユナの歌が、ターニャの剣が、リュウの拳が、たちまちに詠唱に専念していた呪術師を妨害し、『玖首蛇くずへびの式』の呪術式に満ちていた光は徐々に弱まっていく。


「そなたらはブラック・クロスの!? なぜじゃ、ハリブルの報告ではクレイジーが仕留めたと——」


 まさか。


 エルメが気付いた時にはすでに遅かった。


 背後から刺青の入った長い腕が伸び、彼女を羽交い締めにする。喉元には赤紫色のナイフが突きつけられていた。


「これは……どういうことか説明してくれるかの、クレイジー」


 エルメの言葉には答えず、クレイジーの視線はユナの方に向けられた。目が合ったユナはこくりと頷き拘束されて横たわるルカたちの方へと駆け寄った。


「遅くなってごめんね。怪我はない?」


「あ、ああ……ユナたちが儀式を止めてくれたおかげでなんともないよ。けど、どうして」


 ユナたちはクレイジーの手で始末したと、そう言われた。クレイジーの裏切りを目の当たりにしたルカたちにとって、それは信じたくなくとも想像に難くない状況だった。


 だが、ユナたちはこうして何事も無かったようにこの場にいる。


 それどころか。


「今手錠を外すね」


 彼女の手には赤紫色の小さな鍵が握られていた。


「いつの間に鍵なんか手に入れたんだ?」


「クレイジーさんがくれたの。私たちを攻撃したように見せかけて、ね」


 ユナはそう言って何があったのかを話す。


 仮面舞踏会ヴェル・ムスケシリーとの戦いを終え、追っ手から逃げる中でユナたちはクレイジーに会った。ユナたちはシリーから彼が裏切ったことを聞いていたし、クレイジー本人もそれを隠すつもりはなかった。立ちはだかる仮面の男は仲間ではなく敵。そう認識したものの、疲弊していたところに不意を突かれて攻撃され、三人ともその場で意識を失った。


 だが、目覚めてみると自分たちの身には傷一つなかった。刺されたと思っていた脇腹に滲んだ赤紫色は、ユナの血の色ではなかった。


 普段は刺青としてクレイジーの身体の中にある神器が液状化したものだったのだ。


 ユナが目を覚ますのに反応するようにしてあったのか、液状化した神器は徐々に一箇所に集まっていて、やがて小さな鍵になった。


 はじめは何の鍵かは分からなかったが、鍵の持ち手の部分に書かれていた呪術文字が手掛かりになった。それは仮面舞踏会の持つ鏡の破片を使って転送術式で移動する際に表示される呪術文字で、儀式が行われる最上階の場所を示すものだったのだ。


 つまり、クレイジーはユナたちを始末するどころか、ここに導いて場をかき乱した張本人なのである。


「本当はそんなつもりはなかったんだよ」


 ようやくクレイジーが口を開いた。


「ユナたちには引き返してもらうのが最善策だった。ユナを危険な目に遭わせたらルカにもっと嫌われるだろうと思ったからね。なのに、ボクの忠告も聞かずにルカのところに案内しろって言い出してサ。信用されてないなァってちょっとショックだったんだから」


 引き下がる様子のないユナたちに、クレイジーは予定を変更した。影から見張っているハリブルに対して光の呪術で目くらましをしつつ、ユナたちを倒したふりをしてルカたちの手錠の鍵を託したのだ。


「クレイジー。あんた、おれたちを裏切ったんじゃなかったのか……?」


 半信半疑のルカの問いに、クレイジーは仮面の奥で目を伏せる。


「ごめんね。裏切ったふりをしたのは事実だよ。でもそうじゃなきゃ君は殺されてた」


「え……?」


「あの時——ディノ陛下の部屋で戦いになった時、もしあのままエルメに近づいていたら、鏡の力で君の心臓を貫かれていた」


「けど、あの時おれは”音速次元”で」


「普段ならそれでいい。けど相手じゃ話は別だよ。……そうだよね、エルメ?」


 クレイジーが拘束している相手の顔をのぞき込む。女王は肩を震わせて高らかに笑いだした。




「くくく…………はははははははは!」




 彼女の抱えていた鏡の表面にまばゆい朱色の光が満ち始め、いくつもの光線となって飛び出した。敵味方区別なく降り注ぎ、木の枝や木造の床に命中して火がついた。


「くっ、女王め、やけになったか!?」


「そんなことよりも縛られてる人たちの解放を!」


 ターニャの指示でリュウ、グレン、ミハエルは人々の救出を急ぐ。


 逃げ惑う呪術師たち。柱にすがる格好のまま状況に身を任せようとする生贄の人々。中にはすでに濁った聖水を飲み干してしまい、破壊の眷属と化してしまった者もいる。


 混沌とした儀式の場で、女王の笑い声が高く響いていた。


「あんたも共鳴者だったのか……!」


 ルカとユナは武器を構えてクレイジーに拘束されているエルメと向かい合った。彼女は不利な状況であるにも関わらず余裕の笑みを浮かべていた。


「その通り。八咫やたの鏡はルーフェイ王家に伝わる神器。鏡面は神石アマテラス。太陽を司る神じゃ。あの時クレイジーが止めなければ、今ごろそなたの心の臓は太陽の光で焼け尽くされておったじゃろうて」


 エルメはくすくすと笑う。


「しかしクレイジーよ。いつまでこうしておるつもりじゃ。まさか、本当に妾を裏切るつもりとは言うまいな?」


「ああ、裏切らなくて済むのが一番だとは思っていたよ。ボクがそばにいることであなたの気が変わることを少しだけ期待した。……でも、それは見当違いだった。あなたはボクがいようといなかろうと、破壊神のことしか考えていないのだから」


 クレイジーは拘束を強め、ナイフをエルメの喉元すれすれに寄せる。


「十二年前の任務の続きだ。ボクはあなたを裏切って、あなたを殺す」


 それは、ルカたちが今までに聞いたことのないような真剣な響きを伴った声だった。


 エルメはまぶたを閉じ、鼻で笑う。


「はん。何を今更……そなたに妾が殺せるか!」


「ッ!」


 エルメはナイフに構わず身を翻す。首の表面の皮が裂け、鮮血が飛び散る。


「そうじゃ、そなたは今無意識のうちに力を緩めた。このまま妾の首が飛んでは困ると、頭ではなく身体でそう判断したのじゃ」


 エルメは裂けた首筋を片手で押さえながら、鏡をクレイジーに向けた。鏡面が煌めく。クレイジーはとっさに後退した。彼が元いた場所には光線が放たれ、ぷすぷすと焼け焦げている。


「儀式は続行する! 詠唱を再開せよ!」


 エルメがそう言うと、逃げ惑っていた呪術師たちは慌てて元の持ち場に戻り詠唱を始めた。再び呪術式が光を帯びていく。


 全身の力が抜けるような感覚が再び襲いかかった。だが、それはルカたちだけでなく、術式の中で立ちはだかるエルメも同様だ。


「あんた自分も生贄にするつもりなのか……!?」


「どのみち終焉がもたらされれば消える命。その時期が少し早まろうがなにも変わらん」


「そうまでして破壊神にこだわるのかよ……!」


 ルカの問いに、エルメは妖艶な笑みを浮かべた。


「ああそうとも。実の息子に希望を託し、復活を望むことの何が罪なのじゃ?」


 彼女が鏡を空へと掲げる。すると朱色の光が夜空を突き抜け、やがて無数の星のように空に光が満ち始める。


「一人たりとて逃がさんぞ——アマテラス、紅炎の裁きを下せ!」


 エルメの宣告とともに、星から朱色の光が降り注いだ。太陽の灼熱を伴うその光は、木でできた城をいとも簡単に炎に包む。外縁から脱出するという選択肢は失われ、この場から逃げる手段は転送術式一つ。


「グレンとミハエルは消火を頼むよ! あたしとリュウで生贄の人たちの避難を誘導する!」


 ターニャが先導し、自力ではその場を動こうとしない白衣の人々を転送術式まで引っ張っていく。


 だが、その前に影が立ちはだかった。


「じゃじゃーんっ! ハリブル参上! ここからは逃がさないよーっ」


「ちっ……!」


 人々を誘導することに気を取られていたターニャは、不意を突かれて反応が遅れた。ハリブルがナイフを構え、影に潜りながらすっとターニャの間合いに入り込んでくる。


 避けられない——致命傷を覚悟したその時、ハリブルの背後の転送術式が強く光り、光弾が飛び出した。それはハリブルの影に命中し、彼女は「ぴぎゃっ」という悲鳴をあげて影から這い出てきた。


「なにすんのよーっ! 服焦げちゃったじゃないっ」


 いったい誰が……ターニャは目をこすって確認する。転送術式の上に二人の人物が立っていた。


 一人はヴァルトロの王子ドーハ。もう一人は面識のない老人だ。


「危ないところだったね。銀髪のお嬢さん……いや、ゼネアの救世主ターニャ・バレンタイン」


「!? あたしのことを知ってるの?」


「ああ、知っているとも。君は二国間大戦で少女の身でありながら最前線でルーフェイの兵士を何人も殺したね。こちらの陣営では噂になっていたものさ。砂塵の影から現れる銀髪の悪魔に気をつけろ、って」


 穏やかな口調でそう言ってのける老人にターニャは苦笑いを浮かべる。


「なるほど。どっかで見たことある顔だと思えば……ルーフェイ軍総帥のテスラだね」


「元、だけどな。それに今は君たちと敵対する立場ではない」


 テスラとドーハが現れたことにエルメも気づいていた。彼女は怪訝な表情を浮かべる。


「テスラ……それにドーハまで。どうしてここにおる? そなたらは底なし地下牢に捕らえておったはずじゃが」


「聞いてください、エルメ様っ! 転送術式の異常は全部このおじいちゃんのせいだったんですよぉ! 底なし地下牢の転送術式も含めて全部書き換えて、上手く動作しないよう狂わせちゃったんです!」


「なんじゃと……」


「はっはっは、数年間おとなしく過ごしていたから安心されていましたかな? エルメ様はご存知なかったかもしれませんが、城内の転送術式はすべて私が作ったものなのですよ。だから本当はいつでも逃げられた。ただ機会をうかがっていたのです」


 テスラは意気揚々とそう言うと、隣に立つドーハの肩をポンと叩いた。


「破壊神に傾倒したあなたの政治はもう終わりです。次なる王のため、その座を明け渡してもらいますよ」


「お、王!? 俺が!?」


 ドーハは一人慌てふためくが、テスラとエルメの間には張り詰めた空気が流れていた。


 エルメはぎりと奥歯を噛みしめる。


 彼女の顔からは余裕は消え去っていた。額に青筋が浮かび、眉間に深いしわを寄せている。


「クレイジー、テスラ、ドーハ……揃いも揃って妾に刃向かいおって……!」


 彼女の瞳に、神石と同じ朱色が灯る。


「許さぬ……許さぬ……そなたらは妾のもの! 妾のものであるはずなのに……! 妾に刃向かうなど、決して許さぬ……!」


 エルメの身体が鏡とともに宙に浮かび、鏡から放たれた光の衣を幾重にもその身に纏う。不死鳥を思わせる四つの朱色の翼が背中から生え、羽ばたく風でその場の者たちを威圧する。


「おっとこれは……さすがに予想しなかったなァ」


 風に飛ばされないよう姿勢を低くしながらクレイジーが呟く。その横でくすくすと笑う声がした。ユナだ。


「なに?」


「いや……いつも『最悪の場合』を考えているクレイジーさんでも、そういうことあるんだなって思って」


 この状況にそぐわないのんきな言葉に、クレイジーはやれやれと肩をすくめる。


「あのねェ、ボクにはミハエルみたいに”千里眼”があるわけじゃない。だから『最悪の場合』っていうのは基本的に一つだけなんだよ。それを回避するために戦うんだ」


「じゃあ、クレイジーさんが考えてる『最悪の場合』って何なんですか?」


 クレイジーは「はぁ」と参ったようにため息を吐いた。




「ルカと、ルカにとって大切な人が死ぬこと。たったそれだけだよ」




 ぼそりとそう言うと、すっとユナの元を離れてテスラの方へと駆け寄った。


「テスラ。ルーフェイを裏切ったボクに対して言いたいことは色々あるだろうけど、今は同じ敵に立ち向かう同士だ。協力してくれる?」


 テスラは迷うことなく縦に頷いた。


「もちろんだ。お互い腕が鈍っていないか披露しようじゃないか」


 テスラは呪術で杖を現出させると、上空に佇む女王に視線を向ける。


 エルメは朱色の翼を大きく広げ、高らかに笑った。


「何人徒党を組もうが神格化の前では無力! 裏切り者どもよ。我が力の前にひれ伏すが良い……!」



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