mission10-46 玖首蛇の式



 エルメの自室の扉を叩く音があった。


「なんじゃ」


 女王が尋ねると、「すべてが整いましてございます」という声。


「そうか、ついにか」


 妖艶な笑みを浮かべて呟くと、彼女は葡萄酒をくいっと飲み干した。


「クレイジーよ。思い出話はそろそろ終いにして、儀式の場へと向かおうぞ」


「そこにルカたちもいるのかい」


「ああ、そうじゃ」


 そう言って、エルメはベッドの上に腰掛けているクレイジーの前に立ち彼を抱き寄せる。そして柔らかいくせ毛の頭を優しく撫でた。彼が仮面舞踏会ヴェル・ムスケに入ったばかりの頃、訓練でこってり絞られたり、任務に失敗したりして人知れず落ち込んでいたのを慰める時にしていたように。


「少しの間の辛抱よ。今は義賊の者たちと立場をたがえようと、儀式を終えて破壊神が完全体となれば、世界は終焉を迎えあらゆる命が塵と化す。そうなれば我らも彼らと同じ地の底にたどり着くのじゃから」


「うん、分かってるよ」


 クレイジーはそう言ってエルメを引き離す。毅然としたその声には迷いなど微塵も含まれていないように感じた。エルメは安堵のようなため息を漏らすと、彼の耳元に小さく囁く。


「もう二度と、妾を悲しませるようなことはするでないぞ?」


 クレイジーはただ苦笑いを浮かべて頭をぽりぽりとかくのであった。





 ルーフェイ王城の最上階は、大樹の太い幹が細かな枝に分かれていく境目を切り拓いたところにある。そこは天井がなく、空を覆い隠す木の枝も刈り取られているので、ルーフェイ中央都の中では最も太陽と月の光が降り注ぐ場所だ。


 今はすっかり日が暮れて、空高く月がこの場を照らしている。


 普段は王族の戴冠式や学府や軍の表彰式・就任式などの儀式に使われるが、今は一面に『玖首蛇くずへびの式』の呪術式が描かれている。


「へェ、こんなに大きな術式なんて見たことないや」


「禁呪は多量の触媒と神通力を必要とするからな。術者も一人では足りん」


 エルメの言葉通り、術式の円を囲むようにして九人の呪術師が立っていた。彼らは右腕に分厚いグローブをして、それぞれ青色のトカゲを掴んでいる。神通力の増幅を促すためのフタマタシロヘビだ。


 それぞれの呪術師の近くには木の柱が建てられ、真っ白な衣を着た人々が柱にすがるような格好となって縛りつけられている。


「彼らは選ばれし者たちじゃ。破壊神のにえとなることを望んだ者たちの中で神通力の高い者がここにおる」


「選ばれなかった人たちは?」


「奥の方じゃ」


 エルメが指し示した広場の奥には、とても城内には似つかわしくないみすぼらしい身なりの人々が跪き、両手に碗を抱えていた。碗の中には赤黒く濁った液体が入っている。


「もしかしてあれは……」


「ああ、穢れに満ちたヤオ村の聖水じゃ。池が浄化される前にハリブルにすくわせておいた」


「あれを飲んだ者は破壊の眷属になってしまう。彼らはそれを望んでるってことかい」


「そうじゃな。贄となる資格が無いのならば、せめて破壊神のしもべとなる。それほどまでに彼らはこの世界の終焉を望み、破壊神による魂の解放を望んでおる。彼らのことは……破壊神にしか救うことはできんのじゃ」


 エルメの視線は呪術式の中央に視線を向けられる。そこには玉座のような豪勢な椅子が設置され、血の気のない肌の色をした青年が力なく座って眠っていた。頭にはイバラの金冠を載せ、全身にはきらびやかな金色の刺繍が細かく施されたヴェールを何枚も重ねて巻きつけてある。ルーフェイ王家の伝統衣装だ。


(あれが今のライアンか。すっかり変わり果ててしまったようだねェ)


 クレイジーがジーゼルロックの封神殿で見たのは彼が現人神あらひとがみとして変化へんげした姿だった。こうして人としての姿を見るのは今から十二年前、ライアンがまだ十三の子どもだった時以来である。


 そしてその足元には手足をしっかりと錠で固定されたルカ、グレン、ミハエルの三人が横たわっていた。


 床に這いつくばりながらも、ルカの鋭い視線が裏切った男の顔を見上げる。


「クレイジー……!」


 掴みかかろうともがく。その度に手錠が擦れ、彼の手首に赤い痕をつけていくのが痛々しい。


「やめなよ。鍵がないと外れない仕組みなんだ。力づくでどうにかなる錠じゃない」


「そんなことはどうでもいい……! なぁ、ユナたちはどうなってる? ここにいないってことはちゃんと無事なんだよな……!?」


 言葉ではそう言いつつ、もし無事でなければただじゃおかないという強い意志がひしひしと伝わってきた。


 クレイジーははぁと小さくため息を吐く。


「……やれやれ、両思いで羨ましい限りだよ」


「え?」


「ユナも同じだった。自分の身より君のことを心配してサ。いいよねェ、眩しいよねェ。……だからちょっとイラっときたんだ」


「何を、言って——」


「そなたらの連れはすでにクレイジーが始末したぞ」


 クレイジーの代わりにエルメは淡々と告げた。


「絶望に暮れたいのならそうするがよい。負の感情こそが破壊神の原動力となるのじゃからな」


「くそ……くっそぉぉぉぉ…………」


 嘆くルカたちに背を向け、エルメとクレイジーは呪術式の外へと向かう。


 すると外側で待機していた呪術師が近寄ってきて、エルメに耳打ちした。


「底なし地下牢に捕らえていたドーハ様のことなのですが」


「なんじゃ」


「ここにお連れしようとしたのですが、先ほどから下層階の呪術師と連絡が取れず……。さらに下層階につながる転送術式もなぜか動かず、状況の確認が行えておりません」


「まったく、こんな時に……」


 エルメは呆れたように呟くと、呪術師に「ディノを連れてこい」と命じた。呪術師は一瞬狼狽したようだったが、すぐに「かしこまりました」と言って姿を消す。


「陛下をどうする気?」


「儀式には神通力を付与する対象者と同じ血を引く者の心臓が必要なのじゃ。ディノはこの日のために生かしておいたようなもの。兄弟であるドーハよりは遠縁じゃが、条件は変わらん」


 やがてぎゃあぎゃあと喚くディノが仮面舞踏会二人に引っ張られるようにして連れてこられた。


「なぜ、なぜなのだ叔母上!!」


 彼の問いにエルメは答えない。


 暴れるディノに呪術師が薬を飲ませると、彼はがくんとこうべを垂れて大人しくなった。睡眠薬を飲まされたのだ。呪術師はそのまま彼の上着を開き、その左胸に小さな呪術式を施す。


 呪術師がエルメのそばにやってきて、準備が整ったことを告げた。


 エルメは頷き、懐から八咫やたの鏡を取り出して天に掲げた。


 月の光がきらきらと零れ落ちる。鏡面が泉のように波打ち、ぼんやりと淡い光をたたえだした。


 エルメは瞼を閉じ、ぶつぶつと詠唱を始める。


「”いにしえよりルーフェイの地に息づきし火・風・水・土を司る眷属たちよ。我らが魂と供物くもつを糧に、禁ぜられし汝の力を示したまえ”」


 床に描かれた呪術式がぼうっと光を放ち始める。


 エルメに倣うように、九人の呪術師が順々に詠唱を始めた。その度に呪術式は光を増していき、円形の外側から中央のライアンの元へと光が集まっていく。


「な、んだ、これ……力が、抜けて……」


「く、苦しい……」


 ルカたちは生きながらにして身体の中を流れている血が凍っていくような、そんな感覚を覚えていた。


 意識がぼうっとしていく中で、ルカはエルメのそばに立っているクレイジーをにらみ続ける。すがるわけでもないし、恨めしいわけでもない。もはや執念だった。最後の最後まで、狂った男が何をするのか見届けてやると、今のルカにはそれしかできなかった。


 だから、見逃さなかった。


 クレイジーの手に、いつの間にかナイフが握られているのを。


(何をする気だ……?)


 その時、呪術式とは別の光が瞳の端で強く瞬いた。


 転送術式に三人の人影。


 それは、見慣れた三人の人影だった。




「そこまでです! こんな儀式はもうやめてください!」




 ユナの凛然とした声が、その場に響いた——


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