mission10-45 その背を超えて
ユナたちが武器商人と共に城に入る少し前のこと。
底なし地下牢に囚われたドーハは困惑していた。
それもそのはず、元ルーフェイ軍総帥テスラを名乗る老人に「私と一緒にこの国を変える気はないか」といきなり問われたからだ。
「ええと、この国を変えるとは一体……」
「ああすまない、質問が悪かったな。言い方を変えよう。君は、国民の命を犠牲に破壊神を完全体にしようとしている母親を止める気はあるか?」
それは、つい先ほどドーハがエルメの口から聞いたこととほとんど同じだった。
「ちょっと待ってください……あなたは、一体どこまで知っているんですか?」
「この城、あるいは中央都で起こる、おおよそのことは把握しているよ」
テスラがパチンと指を鳴らす。するとドーハの背後の陰から何かがずずずと這い出てきた。巨大な釘のような形だ。
「これは私が独自に編み出した呪術で、『影踏みの式』という。ハリブルという
「こ、こんな術があるとは……あの女は気づいているんですか」
「いいや、今のところは。エルメ様ならともかく、ハリブルには自身に仕込まれた呪術を見破れるほどの技量はないからな」
淡々とそう言う老人に、ドーハはごくりと唾を飲み込んだ。
元ルーフェイ軍総帥・テスラ。
その名はドーハも噂には聞いたことがあった。国一番の技術を持った呪術師であり、その温厚かつ聡明な人格によって先々代王ジクードが若い頃から王政を支えてきたと言われている。
「あなたは本当にあのテスラ様なんですか? 数年前から表立ってお名前を聞かなくなったので、てっきり病を患ったか、あるいは引退されたのかと」
「はっはっは、そう思われても仕方あるまい。実際は女王の手によってここに幽閉されていたのだがね」
「母上がそんなことをしていたとは……」
苦い表情を浮かべるドーハ。
一方のテスラは飄々とした様子で言った。
「まぁ仕方あるまい。私は長い間王家の相談役を務めてきたが、それゆえに君のお母上には良く思われていないのだ。彼女をヴァルトロの首長の妻として差し出すよう当時のジクード王に進言したのは私だからね」
政略結婚。
二十年以上前、ルーフェイとガルダストリアの対立が強まった際、戦争を回避するためにガルダストリアの傭兵部隊であるヴァルトロの首長のもとにルーフェイの姫が嫁ぐことになった。それがマティスとエルメであり、その間に生まれたのがライアンとドーハだ。
だが、結局その後、戦争に反対していたマグダラが倒れたことをきっかけに二国間大戦が始まってしまった。
(確か……母上の様子が変わったのも戦争が始まった頃のことだったような……)
当時七歳だったせいで記憶は曖昧だが、物静かでおとなしかった母が少しずつ感情を見せるようになっていったのがその頃だったように思う。幼いドーハに見せまいとしていたが、陰で泣いたり怒ったりしていたのを覚えている。
当時は二国間大戦で夫が戦場に出かけていることが彼女の感情をかき乱しているのだろうと子供心に思っていたが、今改めて振り返ってみると別の理由だったのかもしれないと思えてきて空恐ろしくなる。
『……ドーハよ。そなたはどうにもならないことに対して絶望を抱いたことはあるか?』
久々に再会した息子に母はそう尋ねた。
十二年前、彼女をかき乱したのは、「絶望」だ。
自分の意思を押し殺してまで国と国の間を取りもつための駒となったのに、あっけなく戦争が始まり、夫が祖国ルーフェイの人々を殺しに戦場に赴くという、絶望。
(ただ何かが引っかかる。あの頃、他にも何かがあったような……)
思い出そうとしてみたがやはり記憶は曖昧だった。
「何か気にかかることがあったかい?」
テスラにそう言われ、ドーハははっと我にかえる。
「いや……ただ、先ほどの母上の言葉の意味がようやく分かったような気がして。家族だというのに俺は母上のことを何も知らなかったのだと……恥ずかしい限りです」
「君が気にする必要はない。家族だからこそ分からないことだってあるものだよ。だが、一方で家族にしかできないこともある」
「それが、母上を止めることですか?」
「そうだ。少なくとも君は、エルメ様とお兄さんをどうにかしたいと思ってここへ来たのだろう? 宣戦布告状態にあるヴァルトロの人間が敵国ルーフェイの地に足を踏みいれるなど、本来は自殺行為だ。その危険を冒してまで、なんとかしようと思ったからこそここへやってきた。違うかい」
テスラの言葉にドーハは俯く。
彼の言う通りだ。だが——
「俺は何もできませんでした。『影踏みの式』とやらで見ていたのなら知っているでしょう? 俺には母上を説得することなんてできなかったんです。俺は無力で、何もできずにこんな場所に放り込まれて……」
「だから、私の力を貸そうと言っているではないか」
ドーハが顔を上げると、テスラはにっこりと穏やかな笑みを浮かべた。
彼がパチンと指を鳴らすと、彼を捕らえている鉄格子が急に赤く光る。
「えっ!?」
ドーハは目を見開いた。
鉄格子が赤くドロドロと溶け始め、人一人通れるだけの隙間を作ってしまったのだ。
とはいえ底なし地下牢の檻の下にはどろりとした沼が広がっている。泳いで逃げようとしても沼の汚水が服に染み込んで囚人を絡め取り、底のない沼の中へと引きずり込んでしまう。
テスラはそこから身を乗り出した。「危ない」とドーハが言う前に、彼は再び指を鳴らす。
すると、どこからかパキパキという音が聞こえてきた。何かが沼の表面を渡ってこちらへ近づいてくる。それは——氷の橋だった。ドーハたちの真下まで伸びるとピタリと止まる。
テスラはその上に飛び降りて、今度はドーハの檻に向かってパチンと指を鳴らした。いとも簡単に鉄格子が変形していく。
「こ、こんなことができるならあなた一人でも母上をなんとかできるんじゃないですか!?」
むしろなぜ今まで大人しく捕まっていたのか。
ドーハが喚くとテスラはにこにことした表情で首を横に振った。
「そういうわけにはいかない。あの鏡がエルメ様の手元にある限り破壊神を完全体にするための儀式、『
「鏡……?」
「
確かにドーハはヴァルトロの王子であると同時に、ルーフェイ王族の血も流れている。鏡に選ばれるための最低条件は満たしているのだろう。
「だけど、俺が後継者になるだなんて……!」
自信がない。
今まで何をやっても中途半端で、武器の扱いも、身体能力も、神通力も、周囲の者たちに到底及ばなかった。王子という身分への配慮か四神将をまとめる立場を任されたが、彼らが言うことを聞いてくれることなどほとんどなく、裏で馬鹿にされているようで肩身が狭かった。
本当にマティスの息子なのかと、常に責められているような気分だったのだ。
なかなか降りようとしないドーハに、テスラはふと思いついたように尋ねた。
「そういえば歳はいくつだね?」
「十九、です」
「なら充分じゃないか。その年ならそろそろ親の背を追っているのではなく、親を超えることを考えてもいい」
「親を、超える……」
「大丈夫。私から見たら君は素質があると思うよ。若い頃のエルメ様によく似ているからね」
テスラはドーハに向けて手を差し出す。
今、この手を取らなかったら。
父親の蔑むような顔が頭をよぎる。
母親が破壊神となった兄に寄り添う姿が頭をよぎる。
(何も、変わらない……それじゃ父上に逆らった意味もなくなる)
ドーハは、檻を飛び出し氷の橋に向かって飛び降りた。
それを見てテスラは満足げに頷く。
「さぁ、早速ここを出なければ。もうあまり時間は残されていない。エルメ様が『玖首蛇の式』を発動してしまったらルーフェイは終わりだ。多くの命が失われ、破壊神が完全体になってしまう。仕方ないから少々強引な手を使わせてもらうとしよう」
氷の橋を進んでいくと、やがて沼の端に辿り着いた。地上へ登るための階段やはしごはない。その代わり、うっすらと転送術式が描かれていた。
テスラは沼の水をすくうと、転送術式の染料に混ぜてにじませ、術式の上になにやら別の呪術文字を書いていく。
「あの……何をしているのですか……?」
「改造だよ。そもそも城内の転送術式はすべて私が描いたものだ。こうして書き換えてやると……」
ボウッと呪術式が光を放った。
テスラがパチンと指を鳴らすと、光はうねうねと不規則に波打ち、やがてしゅんと収まった。
「よし、これで城内の転送術式はすべて私の思い通りに起動するようになった」
「な……!? そんなことができるんですか!?」
「できるさ。まぁ、こんなことをやってしまったからには城内の人間すべてを敵に回すことになるだろうけどね」
「それってまさか……」
テスラはにっこりと微笑んだ。
「ああ、私たちは今からクーデターを起こす。今更退くとは言わせないぞ?」
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