mission10-44 妹と弟
***
およそ三十年前——
マグダラの予言に導かれ、ルーフェイを繁栄に導いたと言われる先々代王ジクードが王政を取り仕切っていた時代。
その長男ジグラル、長女エルメは子どもの頃はとても仲の良い兄妹だったという。
次期王位継承者としての父親からの期待を一身に受け、心身ともに磨き上げようと人一倍努力を重ねるジグラル。そしてその兄を支えるべく、常に寄り添い、呪術など兄の苦手な分野を率先して身につけたエルメ。
誰もが二人の兄妹に一目置いていたし、ジクードもそれを誇りに思っていた。
エルメが十歳を迎えた年、ジクードは大巫女マグダラの謁見の際に自慢の子どもたちを連れて行こうと考えた。ルーフェイの繁栄はマグダラの予言があってこそ。きっと次代を担うジグラルとエルメにとっても明るい未来を示してくださるに違いない、そう考えたのだ。
だが、実際にマグダラが告げたのはジクードの期待とはまるで違ったものだった。
「この先の時代、これまでとは違う能力が求められるじゃろう。ジクードよ、伝統に縛られるな。次期王の選び方を
それはどういうことです、ジクードに問いに対してマグダラははっきりとは答えなかった。
「お主の国には確か
どことなく不安を感じながらも、ジクードは国に帰り、宝物庫から八咫の鏡を取り出した。
これまでマグダラの予言は一度も外れたことがない。彼女の言うことに従ってきたからこそ今がある。だから、きっと今回も彼女の言葉は正しいだろう、と。
古くから伝わるその鏡は、普段は表面が曇っていて何も見えない。初代の女王がこの鏡の力を使って『不死鳥の逆鱗』の難を逃れたという言い伝えはあるものの、それ以降まともに鏡が力を発揮することはなかった。ゆえにしばらくの間、宝物庫の中でほこりをかぶっていたのだが……。
二人の子どもを前にして、曇った鏡の表面がきらめいた。どれだけ磨いても取り除けないと思っていた年月によって蓄積された汚れは徐々に鏡面から消えていき、今や澄んだ泉のようにつややかで奥行きすら感じさせる。
興味津々に二人の子どもはその鏡を覗き込む。
だが、そこに映っていたのはエルメだけだった。
八咫の鏡が選んだのは、ジグラルではなくエルメだったのだ。
その頃から、兄妹の仲は少しずつ崩れていった。
ジグラルはエルメに対してあからさまな敵意を見せるようになり、エルメと口を利くのを嫌がったり、父親には公務に付き添うのは自分だけにして欲しいと申し出たりした。
「マグダラ様の予言が外れることはない。だが、鏡がなぜエルメを選んだのかは分からぬ。その理由が分かるまで、次期王位継承者をジグラルから変える気はない」
ジクードはそう言ったが、それでもジグラルの中に芽生えた不安は消えることはなかった。
エルメはエルメで、少しでも兄の不安を取り除こうと政治から離れ、貧民街の訪問など慈善事業に没頭するようになった。だが、それがかえって国民からの支持を得ることにつながり、ジグラルからの不信はますます大きくなるばかり。
幼い兄妹の絆は、約束された地位によって下支えされていた脆い関係だったのだ。
ある日、二人は父王に連れられて十一番街を訪れた。そこは
「父上、今日はなぜこのような場所へ?」
ジグラルが尋ねると、ジクードは先を歩きながら答えた。
「間もなく第一二八期生の入隊試験が行われる。この試験を突破した者は年頃的に最もお前たちを支える存在になるだろう。だから今のうちによく見ておくと良いと思ってな」
そう言って、ジクードは養成所の中にある広い庭の方を見やった。そこではまだ三歳に満たない子どもたちが取っ組み合いの訓練をしていたり、武器の扱いを教えられている様子が見えた。
「入隊試験というのはどのような内容のものなのですか?」
何気ない問いだった。だがジクードは眉をひそめ、声を低くして呟く。
「……殺し合いだ」
「え……!?」
「三歳を迎える歳に同期と殺し合い、唯一生き延びてまだ身体が動く者が仮面を身につける資格を得るのだ」
「そ、そんな、幼い子ども同士で殺し合いなど、むごいことを……。彼らは皆優秀な子らなのでしょう? ならば殺さず他で生かすことも」
「ジグラル」
ジクードは息子の言葉を遮った。
「人の上に立つ者がそのような
そう言われて、ジグラルは押し黙る他なかった。まるでそんなことを言っているから鏡に選ばれなかったのだと責められているような気がしたのだ。
二人から少し距離を空けて後ろを歩くエルメは、ふと気になったことを父に尋ねた。
「そう言えば……第一二八期といえばイージス家の子は二人ともここにいるのですか?」
「ああ、二人ともいる。優秀な血筋にも関わらず惜しいことをしたものよ……双子を生んでしまうとはな」
ジクードは庭の中心を指差した。そこには同期を何人も軽々と投げ飛ばし、得意げに笑っている子ども。そしてその子とよく似た顔立ちの子がもう一人、庭の隅の木陰で足を組んでぼうっと座っていた。
中心にいるのが双子の兄、ロマ。
端にいるのが双子の弟、ヴェニス。
代々仮面舞踏会の筆頭を排出する優秀な血筋、イージス家。当代の息子二人は双子で、同時に生まれたために同期として養成所に入ることになってしまった。同期になったからには、入隊試験ではどちらかが生き、どちらかが死ぬ運命を辿ることになる。両親も養成所の指導官も、やる気があって身体能力もやや上回っている兄・ロマの方を贔屓しており、弟・ヴェニスの方はほとんど放置されているようだ。
「全く……あの様子では今年は試験をするまでもないな」
ジクードはどこか安堵を含む声で言った。
(いてもいなくてもいい存在……いや、むしろいることが邪魔な存在、か)
意識的にか無意識にかは分からないが、なるべく目立たつまいと影に佇んでいるヴェニスを見ていて、エルメはそんなことを思った。
そして、そんな彼のことをいつの間にか自分に重ねていた。
父から養成所を自由に見て回っていいと言われ、エルメは何気なくヴェニスのいる木陰に向かった。
「あなたは……?」
淡い青色の瞳がエルメを見上げた。くすんだカーキ色が混じる色素の薄いくせっ毛は柔らかく、風に吹かれてなびいている。
「妾はエルメ。この国の姫じゃ」
「お姫さま?」
ヴェニスはぽかんとした様子で首を傾げるだけだった。この施設では王族への礼儀は最低限教育されているはずだが、彼にはピンときていないようだった。
「そなた、さてはここの訓練をサボっておるな?」
すると少年はへらっと笑う。
「だって、ボクにはいらないものなんでしょ」
幼い子どもには似つかわしくない、諦めのこもった言葉。エルメはやれやれとため息を吐き、彼の隣に座った。
この場所からは庭全体の様子がよく見える。ロマを中心に人だかりができていて、子どもたちはこれから訪れる自分たちの運命を知らないのか、それとも自覚がないのか、楽しげに談笑している。
ヴェニスはそんな彼らをぼーっと眺めていた。よく見るとその視線は双子の兄をずっと追っている。
「……そなたは兄のことが好きか」
するとヴェニスは何の迷いもなくこくりと頷いた。
「うん、好き。ロマはボクのことキライみたいだけど」
「どうしてそう思う?」
「ボクが何かするとおこるんだ。話しかけるのも、いっしょにくんれんするのも、きげんがわるくなっちゃうから」
ヴェニスはしゅんと肩を落とす。エルメにとって、その様子は実際に目にしなくとも容易に想像ができた。
「そうか……そなたは妾と同じじゃな」
「え? ボクとお姫さまが?」
どうして、という無邪気な言葉にエルメは返事をせず、膝の間に顔をうずめた。兄に疎まれる自分の行く先をこの
ふと、髪を撫でる柔らかい手の感触。
顔を上げると、ヴェニスがエルメの頭を撫でていた。
「お姫さまがどうしてかなしいのかよくわかんないけど、げんきだして? ボクは、お姫さまと同じって言われてちょっとうれしかったよ」
「……なぜ」
「だって、同じってことはボクはひとりぼっちじゃなかったってことでしょう」
そう言って、ヴェニスは再びへらっと笑った。
前向きなのか、ただの楽天家なのか。いずれにせよ、彼のその言葉はエルメの胸に凛と響いた。
「そうか……そなたはそう思ったのじゃな。ただ、もしそなたが入隊試験で死んだらどうなると思う?」
ヴェニスはうーんと首を傾げていたが、やがてはっとしてうろたえる。
「もしかして、ボクが死んだらお姫さまにとって『同じ』人がいなくなっちゃう? お姫さまはそれがかなしかったの?」
「まぁ、な」
するとヴェニスは再びうーんうーんと首をひねった。
「そしたら……お姫さまが一人ぼっちにならないために、ボクはどうすればいいかな?」
ヴェニスの透き通った瞳が覗き込む。
期待などするつもりはなかった。穏やかに死を迎えようとしている彼の心を乱すつもりもなかった。
だが、エルメはつい本音を漏らす。
「生きのびよ」と。
それが、彼に与えられた最初の任務だった。
後日行われた第一二八期生の入隊試験は誰もが予測しない結果に終わった。
入隊資格を得たのはヴェニス・イージス。
試験開始の号令があってすぐ、彼は一番近くにいた子どもたちの足を折って機動力を削いだ。彼がやる気をもって試験に臨むとは考えていなかったから、おそらく油断があったのだろう。
次に、そんなヴェニスの行動にうろたえている者たちを狙ってナイフを投げていく。一体どこで練習していたのか、それとも天性のものなのか、ナイフは一寸の狂いもなく彼らの首筋に命中し、戦闘不能にしていく。
さすがのロマは状況判断が早かった。異常を察知し、仲のいい子どもたちと組んで複数人でヴェニスを抑え込もうとした。だが、それも上手くはいかなかった。ヴェニスは庭の端で過ごすことが多かった分、それぞれの子どもたちの得意技、あるいは苦手な立ち回りを熟知していたのだ。ロマたちの連携の穴を突き、ロマ以外をあっさりと倒してしまった。
「そ、そうだ! これはさくせんなんだよな? オレがしけんにごうかくするために、ほかのやつらをたおしてくれたんだよな?」
ロマの言葉に対し、ヴェニスは返り血に染まりながらもいつもどおりの無邪気な笑顔を浮かべていたのだという。
「ちがうよ。えっとね……ロマのことは好きなんだけど、ボクにはもっと好きなひとができたんだ」
「ど、どういうことだよ! お前言ってただろ、仮面舞踏会になるのはオレにゆずるって」
「ごめん、気がかわったんだ」
そう言って、双子の兄の胸をナイフで貫いた。
「こんな、の……くる、って……る……」
ロマが白眼をむいて倒れた時、ヴェニスは笑いながら泣いていた。感情が欠落しているというより、溢れかえってしまって本人では制御できていないようであった。
入隊試験を終えたヴェニスは両親のもとに駆け寄ったが、与えられたのは冷たい視線と怒鳴り声だけだった。
ヴェニスの試験成績は速度、技術ともにかつてないほどの優秀なものだったが、誰もが彼を気味悪がって自分の派閥に入れたがらなかった。
たった一人を除いて。
「よくぞ妾の望みを叶えてくれたな」
呆然とした様子のヴェニスに、エルメは丁寧に包装された箱を差し出す。その中には陶器でできた派手な仮面が入っていた。
「ヴェニス・イージス。そなたに新たな名前を与えよう」
血でべたついた彼の髪を、エルメは優しく撫でながら言った。
「『クレイジー』——これからはそう名乗るがよい。そして共に狂った運命を歩もうではないか」
***
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