mission10-42 シリーとの決着



 リュウの体力はほぼ限界に近いところまで来ていた。


 確かに戦いを有利に運ぶ状況を作れてはいる。ターニャが決死の覚悟で繰り出した一撃により敵の視界を奪い、ユナが新たな歌の力により味方の速度と回避力を引き上げた。


 だが、シリーは少しも弱るそぶりを見せない。


 リュウの攻撃が効いていないわけではないが、それでも敵の守りは堅く、鬼人化や神石トールの雷撃のダメージがほとんど通らないのだ。


 戦いが長引けば長引くほど、こちらの消耗が大きくなり不利になる。できれば短期で決着をつけたいところだったが、こうも与えられるダメージが少ないと難しい。


 リュウは身にまとうトールの雷を全身から右腕のみに抑える。その分鬼人化する場所を限定して体力を温存するつもりだ。


クン イ ジャッケ弱気になったか


「なっ……!?」


 それまで接近戦を続けていたシリーが急に退いたかと思うと、彼は床に向かって大槌を強く叩きつけた。立っていられないほどの震動。ボゴッという鈍い音がしたかと思うとすぐ目の前の木の床がまるで杭のように隆起し、こちらに向かって襲いかかってくる。避けようにも隆起した床は四方から迫ってきていた。


 もう一度全身鬼人化で破壊するしかない。そう思った時、上方で白銀色の煌めき。


「はぁぁぁぁぁぁっ!」


 高く跳び上がったターニャが、前方の杭を貫き砕く。


「後ろは任せるよ!」


「ああ!」


 リュウは足だけを鬼人化させると、後方の杭に回し蹴りを放つ。バキバキと杭は割れ、勢いが収まった。


 助太刀に入ったとはいえ、ターニャは先ほどのダメージがまだ残っているのかぜぇぜぇと肩で息をしている。


「もう少し休んだ方がいいんじゃないか」


「いい、これくらい平気。それより耳貸して」


 ターニャがさっと作戦を耳打ちする。その間にもシリーは大槌を抱えてこちらに向かってきていた。


「……ってこと。もう一撃いけそう?」


「ああ、なんとかな」


「オッケー。みんなボロボロだから、この作戦に賭けよう」


 リュウは頷くと、ばっと逃げるように駆け出した。シリーは視線で追うが、一方その場に残って悠々と剣を構えるターニャからも注意を逸らさない。


「そうそう、ちゃーんと見ておいた方がいいよ……遠距離攻撃ができるのは何も君だけじゃないんだから」


 彼女は余裕のある笑みを浮かべると、神石に手をかざし、その場で剣を薙ぎ払った。瞬間、剣身が白銀色を帯びたかと思うと、眩い光の衝撃波を生み出す。


 それは、かつてのエルロンド王・クリストファー十六世の得意とする技に酷似していた。並外れた膂力りょりょくによって衝撃を生み出す王とは違い、ターニャのそれは神石の力そのものを波動に変化させたものだ。


「ふふ……この前散々見せつけられたから、見よう見まねでやってみたけど、案外できちゃうもんだね!」


 そう言って剣をもう一振り。


 押し寄せる津波のように、二つの衝撃波がシリーに襲いかかる。


 だが——


ジョ テイ クン リキこの程度か?」


 シリーは鼻で笑って後退する。ターニャの生み出す衝撃波は最初こそ勢いがあるものの、部屋の端の方まで届くわけではなかった。少し退けば容易に避けられてしまうのだ。


 それでも構わず、ターニャは剣を振るい続けた。ほとんど当たらないその攻撃は無駄に体力を消費するだけで、まるで自棄やけになっているかのようにすら見える。


シ タイ退屈だケッ シュウ コ セン終わらせてやる!」


 しびれを切らしたシリーが大槌を高く掲げた。リュウを襲った遠距離攻撃の構え。


「今だ!」


 ターニャが短く叫ぶ。その合図とともにユナはエラトーの歌を歌った。相手の感覚を狂わせる歌だ。さすがのシリーもがくんと膝を折り、動きを鈍らせる。


(そう、一瞬でいい。そのためにあたしはあいつを壁際に追いやったんだ)


 ターニャはもう一度強く剣を振るう。これまでがさざなみ程度の大きさだったとしたら、今度は津波。シリーの巨体さえゆうに飲み込むほどの衝撃波が勢いよく宙を駆ける。


「さっきのはわざと抑えてたの! こっちがあたしの本気!」


「グッ……!」


 それでも王家を守る隠密部隊の底力は違っていた。ユナの歌で平衡感覚が狂っていてもなお、シリーはとっさに床に伏せて衝撃波を避ける。


 ターニャ渾身の技は、シリーにはかすらず彼の背後にあった壁を破壊する。


 だが、それこそが狙いだった。


 シリーが今うずくまっているのはターニャが先ほど打ちつけられた壁の手前。つまり、その向こうには食料庫。


 壁に大きな穴が空いたせいで、さまざまに混ざり合った食糧の匂いが漏れ出す。貯蔵のために冷やされた空気とともに。


「ッ……!」


 シリーはすぐさま反撃に出ようとしたが、思い通りにはいかなかった。冷気が彼の身体に触れたせいでいつも通りの力を発揮できないのだ。


 その隙にリュウはシリーの元へと駆け出す。動きの鈍った相手の襟元をむんずと掴むと、食料庫の奥へと投げ込んだ。


 積まれていた野菜が潰れ、破れた香辛料の袋から粉塵が舞う。


 粉塵の向こうでシリーが鼻をおさえてうずくまるのが見えた。冷気に加えて、知覚が鋭敏な鬼人族にとっては刺激の強すぎる状況。


 リュウにとってもそれは同じだが、彼には半分人間の血が通っている分影響が少なかった。


「あんたに恨みがあるわけじゃないが、俺たちは先に進まなければいけないんだ」


 残る力すべてを込め、リュウはシリーに向かって拳を構える。


 ふと、違和感がよぎる。


 心なしか、シリーの口元に笑みが浮かんでいるように見えたのだ。


「……クン ソ ゼン貴様らはそれでいいクン ゲン コ セイ レイ “シリー”馬鹿げていてもこれが俺の生き方だ


 冷えですっかり身体が固まって動けなかったのか、あるいはそもそも避ける気などなかったのか、リュウの拳はぶれることなくシリーの顔面に命中。


 陶器の仮面が割れるとともに、彼は意識を失った。


 仮面の下には里で過ごす鬼人族となんら変わりのない男の顔があった。あれだけ超人的な力を持っていても同じ生き物であるということを見せつけられているようで、リュウは目を伏せる。


 世の中にはまだまだ自分より強い者がいる。そして、力を手にしていても自由に生きることのできない者もいる。


「む……?」


 割れた仮面の内側に、何かきらりと光るものを見つけてリュウはそれを手に取った。指の爪ほどの小さな鏡の破片だ。


「何だこれは」


 目を凝らして見ると、鏡の表面には小さく呪術文字が書かれている。だが呪術の心得のないリュウにはそれが何を意味しているかは分からなかった。


 ターニャたちは知っているだろうか、尋ねようとしたが、口を開いたのはターニャの方が先だった。


「リュウ!」


 彼女はユナとともに血相変えて食糧庫の方に向かってくる。


 その後ろには武器商人と商談をしていたはずのラヴィシュという仮面舞踏会が追ってきていた。さすがにこの騒動で気づいたのだろう。商談を中断して侵入者の取り締まりに切り替えたのだ。


 だが、もう一人の仮面舞踏会と戦う力は三人には残されていない。シリーとの戦いで体力のほとんどを使い果たしてしまっている。


「今すぐこの場を離れよう!」


 ターニャが言う。


「けど、どうやって」


「君の足元!」


 そう言われ、リュウははっと下を見た。散らばった香辛料で一部隠れているが、そこにはポイニクス霊山で見たような転送術式が描かれていた。


「いや、待て、これを使うと言っても俺たちの中には転送術式を使える奴が——」


 リュウの懸念をよそに、転送術式はぼうっと淡い光を放ち始めた。


「なっ……!?」


 手に持っている鏡の破片がほんのりと熱を帯びる。小さく書かれた呪術文字が転送術式と同じ色に光っていた。


「ははっ、どうやら深く考える必要はなさそうだね!」


 ターニャはユナを抱え、飛び込むようにして転送術式の中に入る。呪術式の光は三人の身体を包み込み、どこかへと連れ去った。


 ラヴィシュはぎりぎりのところで追いつかなかったものの、ふんと鼻で笑って転送術式に足を踏み入れた。


「所詮は運搬用の転送術式。どこへ行くかはおおよそ見当がつきます。この城の中で我々から逃げようなど——」


 はて、とラヴィシュは首をかしげる。


 仮面舞踏会ならば仮面の内側にはめ込まれた鏡の破片の力で思い通りの場所に移動できるはずの転送術式が、少しも反応しなかった。


「あれ? あれ? あれぇ……?」


 何度術式を踏んでみても無反応だ。


 この城の転送術式を扱えるのは城内に常駐している呪術師、仮面舞踏会、そして王族。限られた人間しか使えないはずの複雑な呪術式が組まれていて、仮面舞踏会の移動を拒絶するような操作を誰かがするとは思えない。


 とある人物を除いて。


「まさか、が……?」


 ラヴィシュは身を翻し、食糧庫を後にする。


「まずいですね……彼が動き出したとなると、侵入者を追っている場合ではないじゃないですか……!」




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