mission10-41 テルプシコラの歌



「リュウ、君はどう戦う」


「奴の破壊力は俺の鬼人化でも防げない。だから守りは捨てる」


「よし。攻めに集中、ね」


 ターニャは白銀の剣の柄にはめられている神石に手をかざした。白銀色の光がほとばしる。仲間の士気を上げる力だ。ユナが続けてタレイアの歌を歌う。これもまた仲間の身体機能を引き上げる力である。鬼人族の皮膚は頑丈だ。これくらいしなければかすり傷さえ与えられない。


「なるべく短期戦で行きたいね。彼の弱点は分かる?」


「鬼人族は冷えが苦手だ。奴もその例外ではないと思うが」


「うーん残念、今のあたしたちの中にはそういう技を使える人間がいないね」


 グレンかミハエルであれば水氷系の技を使うことができるが、二人とも学者に同行する組の方にいる。


 何か別の方法を探るしかない。だが——


「ターニャ、リュウ! 来るよ!」


 後方に控えているユナの声で、二人は考えるのを中断した。


 どうやら相手は作戦会議をする余裕など与えてくれないらしい。


「オオオオオオオオオ!」


 シリーは雄叫びをあげる。巨体には不似合いな素早さで一気に間合いを詰めてきたかと思うと、大槌を片手で持って横に振りはらう。腕の長さに大槌のリーチがあいまって範囲の広い攻撃だ。ターニャとリュウは分散して避ける。かろうじて武器に触れなかったものの、風圧のせいで受け身の姿勢の均衡を崩す。


 二撃目。ターニャとリュウが体勢を整えるのを待たずして、シリーは今度は上から大槌を振り下ろした。


 ドゴォッ!!


 激しい音ともに床にヒビが入り、激しい震動が二人に襲いかかる。


「う、きっつ……」


 床がぐらつき一瞬めまいを覚えたターニャ。シリーの狙いが自分に向けられているのは分かるが、うまく身体が動かない。


「ウーラニア!」


 ユナが短く歌を唱えると、ターニャの頭上に薄桃色の小さな光が集まって、ぱっと弾けた。状態異常を治す力だ。


「助かった!」


 ターニャはぎりぎりのところで敵の攻撃を避け、背後をとった。ひるんでいるのに油断してほんの一瞬隙が生まれたのだろう。ターニャは柄を握る手に力を込める。


 エルロンド流の剣術は「斬る」より「突く」を得意とする。いくら強靭な皮膚を持つ鬼人族と言えど、一点集中で急所を突かれたらどうだろうか。たとえば、肩甲骨と上腕の間にある肩と腕の神経が集中する場所。ここを損傷すればしばらく自由に腕を動かすことはできない。


 だが、シリーもその弱点については理解しているようだ。


 前のめりの体勢を力強い踏み込みで持ち直し、そして並外れた瞬発力で振り返る。


(さっすが仮面舞踏会ヴェル・ムスケ、鍛え方が違うってことね!)


 振り向く遠心力を利用して、再び大槌がターニャを狙う。


 だが、彼女は退かない。応戦してきているとはいえ、今のシリーには自分の身を守る余裕はない。こちらが先に攻撃を仕掛けている分、一撃は与えられる。


「行くよ!」


 きらめく白銀の剣。その切っ先は当初とは標的を変え、仮面の奥の瞳に向けられていた。


「グアアアッ……!」


 シリーの右目を白銀の剣が貫く。


 それとほぼ同時、重い一撃がターニャの脇腹に入り、彼女の身体は勢いよく部屋の端まで飛ばされてしまった。


「ターニャ!」


 ユナは慌てて駆けつけ、傷を癒すクレイオの歌を歌う。外傷はあまり見られないが、殴打の衝撃で胃液を吐き出し、意識は朦朧としているようだ。


「ふふ…………きっつい、なぁ……。けど」


 彼女は弱々しい笑みを浮かべながら、震える腕でシリーを指す。ターニャの一撃により、彼の右目は血に染まりポタポタと赤い雫を床にこぼしていた。視界を半分奪えばあの大槌の命中率を落とすことができると考えたのだ。


「無茶なことを……! 少し休んでて」


 ユナはターニャを庇うように立つ。


 今、部屋の中心ではリュウとシリーが一対一で戦っている。温存せず神石の力を解放している影響もあってか互角にやりあえているようだが、どう見てもリュウの方が体力の消耗が激しい。形勢が傾くのは時間の問題だ。


(あのシリーって人、力があるだけじゃなくて動きが速い。だからこっちからなかなか攻められない)


 せめてルカの"音速次元"のように圧倒的なスピードがあれば。


 そんな考えがよぎった時だった。


“ねぇ、ユナはテンポの速い歌は好き?"


 不意に頭の中に聞き馴染みのない声が響いた。


(あなたは……?)


"私はテルプシコラ。ミューズ神の一人よ。カリオペはまだ早いって言っていたけど、あなたのうじうじした考えに耐えられなくって出てきちゃった”


(う……)


“この城に入る前だってターニャに言われていたけど、今だってこの場にいない人のことばかり考えちゃって。あなたが何とかする気が無ければ、状況は好転しないわよ?”


 言い返す言葉が思い当たらずユナはうなだれた。この女神はずいぶんとはっきり物を言う性格のようだ。おまけに早口。


“もう、だから前を向きなさいって。今から私の歌を教えてあげるから。私の歌はアップテンポな長調よ。風のように軽やかで馬に乗るときのように爽快な気持ちになれるわ”


 つまり味方の回避力とスピードを上げる歌。一撃一撃が重いシリーの技をかわし、先手をうつ状況を作ることができるだろう。


 だが、ユナはすぐにはテルプシコラの提案に乗らなかった。


“なによ、何か気がかりでも?”


(……これで、八番目の歌だよね)


 以前ウェスト・キャニオンでウーラニアが歌を教えてくれた時に一度警告を受けている。九つの歌を覚えれば第十の歌の資格者になる、カリオペはそのことを不安視しているのだと。カリオペ含めミューズ神たちはその理由をはっきり告げないが、おそらく問題は第十の歌——神格化に必要な代償だ。


『共鳴者の、共鳴者たり得るものを代償に捧げよ』


 それがどの神石であれ定められたルール。


 人によって代償の中身は異なるが、例えばターニャの神器は彼女の家族の命を奪っているように、その人にとって最も大切なものを失うのは間違いない。


 力の存在を知れば、いつかそれを使うことを考えるようになってしまう。


 カリオペが抱えている懸念はおそらくそういうことだ。ユナが何か大事なものを失うくらいなら、神格化に至らないほうがいいと考えているのである。


 ウーラニアと話した時は、それでも自分には歌の力が必要だと思った。


 だが今は少しだけ怖くなり始めている。


 もし代償に捧げなければいけないものが、自分の大切な人たちの命だったら?


 家族や故郷の大切な人たち、ともに旅する仲間たちの顔が次々と浮かんでは消えていく。


 ハァ、と呆れたようなため息が頭の中で響く。


“……後ろ向きに考えても仕方ないわ。そもそも、ここであなたたちが全滅したらそれで何もかも終わりなのよ”


 テルプシコラの言葉は正しかった。


(でも、どうやったら前向きになれるのかな)


“強くなるのよ、ユナ。力や技を磨くだけじゃなくて、あなたの心も。そうしたらきっと自信が湧いてくる。自然と前を向けるようになる”


(自信……)


“そう。今のあなたは周りに頼りすぎている。もっと自分の力を信じなさい。あなたが強くならなければ、仲間を支えることはできないわ。の弱さを受け入れてあげることも”


(待って、それってどういう——)


 テルプシコラの返事の代わりに、軽快な旋律が頭の中に響いた。確かに聞くだけで胸がすっと軽くなるようなそんな歌だ。


(私が強くなれば、仲間を支えることができる……)


 新しい力を身につけることへの不安はある。


 だが、迷ってはいられない。


 シリーの言葉が本当なら、クレイジーとともに行動していたルカたちは今どうしているのか。


 助けられるのは、自分たちだけだ。




逢い 愛 い 哀 山谷ありて

乞う 煌 う 幸 果てもなく

今吹く風をればこそ

足どり軽くなるものを




 歌い終えると同時、薄桃色をまとった風が吹いて自分たちの身を包んだ。


 背後でよろけながらもターニャが立ち上がる気配がした。


「……いいね、この風。なんか身体が軽くなってきた」


 息は荒いが、ターニャの表情にはいつも通りの余裕が戻ってきていた。


「そろそろ反撃しようじゃないの。活路も見えたしね」


 そう言って彼女は先ほど自分が吹き飛ばされた時にぶつかった壁の方を指す。木製で板が薄かったのか、一部崩れて壁の向こうが見えていた。ユナは目を凝らす。どうやらそこには様々な野菜や肉、香辛料などが貯蔵されているようだ。


「そう、あそこは食糧庫。ってことはだよ」


「まさか……!」


 ターニャは「しっ」とユナの口を押さえる。彼女の黒目がちな瞳がキラリと光ったように見えた。



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