mission10-38 本音



 張り詰める空気。


 愛しい者にそうするように、裏切り者に触れるエルメ。


 クレイジーが神器を使えばその胸にナイフを突き立てることなど簡単なように思えたが、クレイジーはそうしなかった。……できなかったのだ。


 ロビンと兄妹喧嘩をしているように見えるハリブルが、神石の力を使ってクレイジーの影を縛っている。そのせいで身動きが取れない。無理矢理床に膝をつく格好にさせられ、エルメを近くで見上げながら動かせるのは唯一、口だけ。


「……つまり、ボクたちは『玖首蛇くずへびの式』の人柱になるためにまんまとおびきだされたってわけ?」


「その通り。それこそがそなたらを生かしてここまで来させた理由よ」


 エルメはくすくすと笑って続ける。


「『玖首蛇の式』とは生贄となった者の神通力の分だけ神通力の上限を引き上げる術。特にそなたらのような神石との共鳴者の神通力は格別じゃ。たった一人でも、そう、の総和をゆうに超えるくらいにな」


 ルカは一瞬エルメと視線が合い、心臓が波打つのを感じた。


 「数百人もの貧民街の人々」と聞いて真っ先に思い浮かんだのは昨日軍部で見た資料のことだ。他の部隊と比べて不均衡に増員された楯士団じゅんしだん。その多くは貧民街出身で、指揮官曰く彼らはこんなことを口走っていたという。


 もうすぐ救いがやってくる、自分たちがそれを担う——と。


 エルメの狙いが彼らを生贄にすることだとして、それによってもたらされる「救い」とは何なのか。


 悪寒が走る。


 ルーフェイの貧民街の人々にとっての救いといえば、思い浮かぶのは一つだ。




「もしかして……『玖首蛇の式』を破壊神に使うつもりなのか?」




 ルカの問いに、エルメは妖艶な笑みを浮かべた。




「そうじゃ。禁呪の力で我らが破壊神は本来の力を取り戻す」


 彼女が床に色白な手をかざす。


 するとその手に引かれるようにして床から影がずずずと這い出て、何か布に包まれたものを彼女に献上した。


「……鏡だ」


 グレンが呟く。


 エルメがゆっくりとした動作で丁寧に布の包みを解いていく。露わになったのは、まるでその先に空間が続いているかのような奇妙な奥行きを感じさせる、曇り一つない円形の鏡。


 ルーフェイ王家に伝わる宝具・八咫やたの鏡そのものだった。


 エルメがその鏡をひと撫ですると、一瞬鏡面に絵の具を落としたかのような朱色が滲んだ。それが徐々に形を変えていった時、ルカたちはかつてジーゼルロック封神殿の最奥部で感じたような恐れを抱いた。


 間違いない。あの中に、破壊神がいる。


 災いを鎮める宝具として伝わる物の中に、世界に終焉をもたらす存在が封じられている。


「けど何でだ……? 俺たちが破壊神に会った時、すでに破壊神は覚醒していたんじゃ」


 グレンが疑問を口にする。


 そもそもジーゼルロックの封神殿の役割は、七年前の発現の際に弱体化した破壊神を匿い力を蓄えるものだったはずだ。


「くくく……そなたらも封神殿にいたのなら見たであろう? の左胸に穿うがたれた無残な穴を……!」


 余裕のある表情を崩しはしないが、エルメは拳を硬く握り締める。長く整えられた爪がその皮膚に食い込むほどに。


「誤算だった! あれのせいで、七年の時間をかけても全ての力が戻ることはなかったのじゃ。これも全てはのせい……! だからこそ『玖首蛇の式』で失われた力を補い、ヴァルトロを叩き潰し、世界を終焉に導く……我らの悲願を遂げるのじゃ……!」


 女王の高らかな笑い声が部屋中に響き渡る。


(そんなの、理解できるかよ……!)


 ルカはぐっと奥歯を噛んだ。


 分からない。彼女がそこまで破壊神にこだわる理由が分からない。いくら実の息子とはいえ……いや、実の息子だからこそ。


「あんたはライアンを救ってやりたいとは思わないのかよ……! あんな血の気のない姿になった息子を薄暗い封神殿やそんな鏡の中に閉じ込めてさ、世界を破壊するために使役するなんて……それでもあんた、母親なのかよ……!」


 一瞬、エルメの動きがぴたりと止まった。


 美しく怪しげに彩られた彼女の顔が歪む。


 そこにあるのは醜い憎悪。




「……そなたには分かるまい」




 どこか悲しげな響きをこめて、彼女は吐き捨てるように呟いた。


「エルメ」


 クレイジーは何か言おうとしたが、それは途中で遮られた。エルメの細い指が彼の首を締めつけたのだ。


「妾に哀れみの言葉でもかけるつもりか、クレイジー? それができる立場ではないだろう……のルカ・イージスをうしなえば変わるかもしれんがな」


(二人目……!?)


 その時、シュッと風を切る音がした。グレンが矢を放ち、ハリブルに攻撃したのだ。不意打ちに反応しきれなかったのか彼女の影の拘束が解かれ、クレイジーは瞬時にエルメのもとを離れる。


「こんなタイミングで攻撃するなんてっ! サイテーっ! サイテーよっ! 今からが悲劇のクライマックスだったのにっ!」


 ぎゃーぎゃーと喚くハリブルに、グレンは一言「うるせぇ!」と返す。


「クレイジー、あんたもあんただ。これ以上こいつらと話をしてても無駄だってのは分かってるだろ。こうなったら力ずくであの鏡を奪ってここを脱出するしかないんじゃねぇのか」


 首を絞められていたクレイジーは息が上がってはいたが、いつも通りの余裕の笑みを浮かべて「確かにね」と呟いた。


 対するエルメは自らを落ち着けるように一息つくと、低い声で「ハリブル」と部下の名を呼ぶ。


「何でしょうエルメ様?」


「この者たちを捕らえよ。人柱として神通力さえ使えれば良い……四肢はもいでも構わん」


 ハリブルの口の端がにぃっとつり上がる。


「はーい、仰せのままにっ!」


 再びいくつもの影が湧き上がり、それが人の形となって襲いかかってくる。ルカたちは武器を構えた。影の数に比べてこちらは少数。一人一人分断するように影に四方を囲まれる。薙ぎ払ってもまた新たな影。きりがない。グレンは自らが影による攻撃を受けるのも承知で、本体のハリブルに向かって矢を放つ。一瞬生まれた隙。影の猛攻が弱まる。今だ。ルカは神石に意識を集中し、床を蹴った。"音速次元"——人の目では捉えられない速さで、狙うは女王の手元。破壊神を封じる八咫の鏡。災いをも飲み込む宝具。


 怪しげに煌めく鏡面。


 あと少し、手を伸ばせば届く。


 ……だが。


 エルメのすぐ目の前でルカは強い力で肩を掴まれ引き止められた。


 喉元には赤紫色のナイフ。


 背後に迫る人物の表情を振り向いて確かめる余裕はなかった。代わりに、女王が満足げな勝利の笑みを浮かべるのが見えた。




「……エルメには触れさせないよ」




 手の形や気配で分かっていたはずだった。


 それでも声を聞いて、絶望が色濃く確かになる。




——どうして。


——どうしてだよ、クレイジー。




 投げかけたい問いは喉の中で消える。


 信じていたかったのに。


 信じちゃいけなかったのか?


「……ごめんね、ルカ」


 それは初めて聞く響きを伴う声だった。


「あんた狂ってるよ。こんな時に本音だなんて、ちっとも嬉しくない——」


 ルカの言葉に返事はないまま、後頭部に強い衝撃が走った。


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