mission10-36 フタマタシロヘビ



「おい、そこの金髪の」


 むすっとした少年王に声をかけられ、ルカはハッと居住まいを正す。


「さっきからじろじろと見おって……余の顔に何かついておるか?」


 ルカは慌てて首を横に振った。


「い、いえ、何もついてなど……!」


「そうか、ならいい。実はちょうどチョコシュークリームを食べ終わった後だったのだ。よく頰にチョコがついたままだと叔母上に小言を言われるからな」


 そう言って笑う彼の歯にはしっかりとチョコクリームがこべりついていたが、ルカは何も見なかったふりをする。


「で、そなたが王立研究所のレオナルドか?」


 相変わらず緊張した様子のレオナルドは、名前を呼ばれてびくりと肩を震わせた。


「は、はいっ! お初にお目にかかります、王立研究所自然環境学科、大陸新生物生態調査専攻研究員部長のレオナルド——」


「自己紹介は要らん。そなたがどういう人間かなど余には興味がない」


 すっぱりと言われてレオナルドは涙目になった。昨晩寝ずに長い肩書きを噛まずに言うための練習をしたというがどうやら無駄だったようだ。


「余が知りたいのはフタマタシロヘビをいかに『玖首蛇くずへびの式』に使えば良いかということだけだ。その箱に生きた伝説の蛇を捕らえておるのだろう? 早う見せてくれ」


 少年王はうずうずと待ちきれない様子で、玉座から立ち上がりこちらに歩み寄ってきた。


「……その前に」


 ディノが箱を開けようと手を伸ばした時、ロビンがすっと口を挟んだ。


「さしでがましい質問かもしれませんが、陛下はなぜに禁呪についてご興味がおありなのでしょうか? お父上である先王ジグラル様、そしておじいさまである先々王ジクード様は、僕たち学府の人間に対して調べること自体を固く禁じられていたはずですよ」


 するとディノはふんと鼻を鳴らした。


「その理由をそなたたちが知る必要はない。そなたたち学者は、王立研究所に勤める者として王家に知識を還元すればそれで良い」


「ですが、禁呪は術の発動それ自体が危険だと言われ——」


 熱くなりかけたロビンの口をレオナルドが押さえる。なぜですか、と目で訴えかける彼にレオナルドは小さな声で囁いた。


「君が真面目なのはいいことだけど、陛下に喧嘩を売るなんてナンセンスだよ。そういうのは私のようなおじさんの仕事だ。それに……ここに来た時点で私たちの覚悟は決めていたはずだろう」


「ですが……」


 レオナルドはちらりとグレンやルカたちの方を見やる。


 そしてふっと笑みを浮かべて呟いた。


「大丈夫、胸を張ろうではないか。元はただ禁忌を破ることにしかならないと思っていた知識を、こうして恩人の息子さんのために使うことができるのだから」


「おい。さっきから何をひそひそと話しているのだ」


 眉をひそめるディノ。レオナルドは一歩前に進み出て、深々と頭を下げた。


「陛下、一つお願いを申し上げます。私たちは『玖首蛇くずへびの式』とフタマタシロヘビについて、知る限りのことをお話しします。その報酬として、この若者たちをエルメ様に会わせてやってはいただけないでしょうか」


「ふむ……それは構わんが、なぜそなたではなくその者たちなのだ?」


 ディノが訝しむようにルカたちの方に視線を投げかけてきた。


「フタマタシロヘビを捕獲できたのは彼らの貢献があったからこそです。特に黒髪の彼の解毒薬がなければ私は今この世にはいなかったことでしょう。ゆえに、彼らの功績を女王陛下にもお認めいただきたく。若い者の実力を評価していただく場を作ることこそ先達のつとめ。違いますかな?」


 レオナルドの過大評価にルカたちは思わず身をすくめる。確かに、今朝レオナルドと合流した後にフタマタシロヘビの捕獲を手伝ったが、暗がりに潜む動きの鈍い生き物なのでそこまで苦労はしていないし、解毒薬の件についてはグレンが作ったものではなくかつて彼の両親が作ったものである。


 さすがに怪しまれるのではないだろうか。


 ディノの方に視線をやったルカは、ふと違和感を抱いた。


(……あれ?)


 彼はレオナルドの言葉を怪しむというよりも、少しだけ苦しげに表情を歪めているように見えたのだ。ルカの視線に気づいたのか、少年王は誤魔化すようにして玉座の脇の皿に積まれた巨大なドーナツを口いっぱいに頬張った。


「ふん、褒美に関しては好きにせよ。それよりも余は早くフタマタシロヘビを見てみたいのじゃが」


「し、失礼いたしました。では早速——」


 レオナルドは肩にかけていた鞄から分厚い書類の束を取り出した。彼の研究成果がまとめられたレポートだ。


「そもそも『玖首蛇の式』について……陛下は一体どこまでご存知でしょうか」


「ある程度はな。そなたの他にも禁呪について知る学者を何人か呼んで話を聞いたことがある」


「では、おさらいまでに簡単にお話しいたします」


 そう言ってレオナルドは説明しだした。


 『玖首蛇の式』とは、八つ首の蛇にもう一本の首を据えるがごとく、人の生まれつきの上限を超えて神通力を引き上げる高度な呪術である。


 数百年前の優れた呪術師が大成させたが、その発動方法が危険視されたために呪術師は処刑され、発動方法については彼の研究資料と共に闇に葬られたと言われている。


「ですが……学者たちの間ではある噂がありました。知識を大成した者は『玖首蛇の式』にたどり着く、と。眉唾ものだと思っていましたが、私も研究過程で禁呪の一端に触れることになりました」


「それは、何がきっかけだったのだ?」


「学府の図書館にある禁帯出本です。持ち出し禁止となっている本の多くは百年以上前から所蔵されている貴重な資料がほとんどで、おそらく例の呪術師も使っていたのでしょう。本の中にはわずかながら書き込みがあって、その本の分野の専門知識を持つ者しか解読できない暗号が記されていたのです」


 話を聞いているディノ王はどこか得意げににやりと笑う。


「他の学者も言っておったぞ。呪学、薬学、地学、生物学……それぞれの専門書に別々の情報が書き込まれている。おそらく全てをつなぎ合わせることによって『玖首蛇の式』が完成するだろうと」


「その通りです。私が解読した暗号は、フタマタシロヘビは伝説上の生き物ではなく実在するということ、そしてその生息場所の手がかりと触媒としての使用法についての情報でした」


 暗号を解読した後、レオナルドの中での学者としての情熱はかつてないほどに燃え上がったという。禁呪に足を踏み入れる恐れよりも、伝説のヘビの生態を調べたいという欲求がはるかに上回った。そうしてその生息場所である樹海の奥地に探索に出るようになったのだ。


「暗号を解読して、生息場所を突き止めるのに十年はかかりました。未知の毒にやられ、生死の境をさまよったこともありました。それでも暗号の神秘に取り憑かれた私は調査を続け……そしてついに捕獲するに至ったのです」


 レオナルドがおもむろにヘビの箱に手をかける。


 ディノ王だけでなく、その場にいた全員が思わず息を飲んだ。


 皆の注目を浴びながら、レオナルドはゆっくりと箱の蓋を開ける。


 ディノはそれまでの尊大な態度とは裏腹に、年相応の子どもらしい無邪気な表情を浮かべて箱の中を覗き込んだ。


 レオナルドはコホンと咳払い一つすると、一気に蓋を取り外す。


「これが、フタマタシロヘビです」


 中身を見た瞬間、好奇心に輝いていたディノの表情はあからさまに曇っていった。


「……トカゲではないか」


 箱の中に入っていたのは、名前の通り二つの尾を持つ白い蛇……ではなく、青みがかった鱗を持つ四つ足のトカゲだ。


 どう考えても「フタマタシロヘビ」とは思えない姿だが、当のレオナルドは落ち着き払った様子で言った。


「伝説とは常に尾ひれがつくものです。トカゲの姿をしてはいますが、ヘビのように強い牙と猛毒を持つので、こうした名前がついたのではないかと推測します。そして、暗がりに生息しているので人の目には錯覚で白色のように見えますが、実際はこのように青色なのです」


 だが、すっかり白い蛇の姿を期待していたディノは納得がいかないようだった。


「ふざけるな! こんなもの、どうとでもいえるではないか! これが本物だという証拠は一体どこにあるのだ!」


 するとレオナルドは分厚い手袋をした後で、箱の中のトカゲを一匹捕まえる。ロビンがすっと実験用のガラス皿と小型のナイフを手渡すと、レオナルドはそのナイフでトカゲの尾を切り落とした。


「なっ……!」


 汚らわしいものを見るかのようにディノは鼻を押さえて顔をしかめる。


 切り落とされたトカゲの尾はガラス皿の上でじわりと青黒い血を滲ませている。一方、トカゲ本体はというと何事もなかったかのようにけろりとしていて、切れた尾からはすでに新しい尾が生え始めていた。


「ミハエルくん、君は確か呪術の心得があると言ったね?」


 レオナルドに急に声をかけられ、ミハエルは戸惑いながらも「はい、少しなら」と返事をした。


「十分だ。触媒を一切使わず、このガラス皿の上に光を灯してごらん」


 ミハエルはおずおずと進み出る。もともと触媒を使わずに呪術を発動させるほどの神通力を持つミハエルであるが、その場合はそこまで威力のある技にはならない。せいぜいロウソクのような明るさの光を作り出すくらいだ。


 だが——


 ミハエルが呪文を唱え、ガラス皿の上に手をかざす。


 その瞬間、目がくらむほどの強い光が部屋中にあふれ、その場にいた全員が思わず目を覆った。


「な、ななな、なんなんだこれは!?」


 うろたえるディノ。


 一方のレオナルドといえば、最初の緊張はどこへやら、落ち着き払った様子で答えた。


「これこそが本物のフタマタシロヘビである証拠です。高い再生力を持つフタマタシロヘビの尾に流れる血は、微量でも神通力の増幅効率の高い触媒となります。『玖首蛇の式』のような禁呪は一級呪術師クラスの神通力でも術式を上手く発動させられない可能性があるため、染料にこの血を練り込む必要があるのです」


 レオナルドの解説に、どこからか拍手が響く。


 その音は前方のディノからではなく、背後から聞こえてきた。


 ハッとして振り返ると、いつの間に現れたのか、そこには床まで届きそうなほどに髪の長い女がそこに立っていた。イバラの金冠に、何重にも重ねられた高貴な生地のヴェールを羽織る。美しさと併せ持つ謎めいた雰囲気は並大抵の人間のものではない。


 何者なのかは、説明がなくとも理解ができた。


 女王エルメだ。


 彼女はディノ含めて唖然とする一同をからかうようにくっくと笑う。


「上出来だ、レオナルド博士。そなたらの願いを叶えるため、わらわ自ら出向いてやったぞ」



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