mission10-33 再会する親子


***



 気づけば彼は柔らかなベッドの上で横たわっていた。


 一体いつの間に?


 覚えのない状況に、どこまでが現実でどこまでが夢なのかの境界が分からなくなって、彼は焦りとともに飛び起きる。


 どこからか、懐かしい人の匂いがする。


「久しぶりじゃのう、ドーハ」


 ドーハは恐る恐るベッドの脇に立つ声の主を見上げた。


「お久しぶりです、母上。その……お変わりないようで」


 ドーハが母親・エルメと会うのは実に七年ぶりのことだった。


 その間に声変わり前だったドーハが青年へと成長したのに対し、エルメの風貌は彼が知っている頃とほとんど変わらない。年齢を感じさせない肌つやの良さと、一方で長年生きている賢者のような謎めいた雰囲気。母親に対する評価として適切なものではないかもしれないが、それでも彼が知っている女の中で最も美しいひとだと思った。


 ただ、かつて過ごしていたヴァルトロの家では見たことのないルーフェイの王族としての衣装、そしてイバラ型の金冠に、まるでよく似た別人のようだと少しだけ戸惑いを覚える。


(いや……そう思うのは服装のせいだけじゃない、か)


 かつての母の姿を脳裏に思い浮かべ、ドーハは一人合点する。


 ヴァルトロにいた頃の母はどこか寂しげで物静かなひとだった。しとやかで優美なルーフェイ王室で育った彼女は、血気盛んなヴァルトロの人々と合わなかったのか滅多に自室を出ることはなく、幼い子どもたちと共に本を読んで過ごしていることが多かったように思う。


 それがいつしか変わっていった。何がきっかけだったのか……当時幼かったドーハはあまりよく覚えていないのだが。


 とにかく今の彼女は、かつてとは違い堂々と自信ありげな佇まいで目の前にいる。


 政略結婚のために遠い異国の地に差し出された娘ではなく、故国の政治をほしいままにする王女として。


「あの……俺はどうしてここに」


「覚えておらぬのか? わらわの部下が街で迷っていたそなたを拾ってきたのじゃよ」


 そう言われてドーハはようやく思い出した。


 街の中でどう王城に入ろうか考えあぐねていた時に行商人風の女が現れて、妙なことを言われたのだ。確か……『破壊神の弟クン』と。そこで急に眠くなって、その場で力が抜けて、今に至る。


(あの声、それに俺が破壊神の弟だって知ってるってことは……たぶんあの女はジーゼルロックの封神殿にいた仮面舞踏会ヴェル・ムスケの……)


 封神殿での出来事が脳裏をよぎり、ドーハは思わず口を押さえた。


 変わり果てた兄・ライアン。実の弟に向けられた殺意。血を分けた子に刃を振るう父親の躊躇のなさ。兄を破壊神として穢れの充満する封神殿に閉じ込めていたのが母親だったという事実。そして、ヴァルトロからルーフェイに向けた宣戦布告。


 どれもがドーハにとっては反吐へどが出るような出来事だった。


 かといって、どうすればいいか一人で見いだせるほど彼は強くなかった。


 だから——


「母上」


 声が少しだけ震える。


 肉親とはいえ七年もの間離れ離れになっていたのだ、目の前に立つ母親が頭で何を考えているかなどさっぱり分からない。もしかしたら実の息子としてではなく、敵軍の王の側近として見られているのかもしれない。何しろここは敵地だ。言葉一つ選び間違えたら命取りになる。


 それでも彼は、自ら赴いて確かめたかった。


「教えてください。母上の目的は一体何なのですか?」


「目的、か」


「そうです。なぜ母上が破壊神となった兄上を擁護し、ヴァルトロの宣戦布告を受け入れたのか……俺はそれが知りたいんです」


 するとエルメはドーハから目をそらし、窓の外を眺めながらふうと小さくため息を吐いた。


「……ドーハよ。そなたはどうにもならないことに対して絶望を抱いたことはあるか?」


「いえ、そのような考えは一度も……」


 戸惑いながら返事をする。


 ドーハには彼女の質問の意図が分からなかった。


 ”世界の王となる者に、手に入らぬものなどあってはならない”——それが覇王たる父親の信条だ。だから、そもそも「どうにもならないこと」などあってはならない。離婚しているとはいえ、母親も同じ考えなのだろうと思っていた。


 だが、エルメは呆れたように首を横に振った。


「まったく……幼い頃はそなたの方こそ妾に似た子じゃと思っておったのに。やはりあの男マティスの元に置いてきたのが悪かったのかのう」


 そうぼやいた後、彼女はくるりとこちらを向いて、すっとドーハのベッドの端に腰掛けた。柔らかな手で、そっと優しく息子の顔を包み込む。


「ドーハや。今からでもいい、ヴァルトロなど離れて妾の元においで。そうすればそなたに隠しごとはしない。先の質問にもすべて答えよう」


 慈愛に満ちた母の視線が温かく降り注ぐ。


 幼い頃、どちらかといえば厳格な父よりも優しい母の方が好きであったことを思い出す。


 彼女が二国間大戦のさなか突然家を出て行ってしまった時は一体どれだけ泣いたことか。


 家族が誰一人いない家で声が出なくなるまで泣き続けたドーハに、戦争終結後ようやく帰ってきた父親が投げかけた第一声は、


『貴様のような愚図の方が生き残るとはな』


 ただ、それだけだった。


 その後で、兄が戦死したという話を聞いた。


 母はもう二度と家には帰ってこないのだと聞いた。


 ドーハに残された選択肢は、唯一の肉親である父親に捨てられぬよう必死にしがみつくことだけだった。


 それが自分に向いていないことだと薄々分かっていつつも。


「もし俺が母上の方につくと言ったらヴァルトロはどうなるのですか?」


「滅びるじゃろうな。そなたが味方につくことで、ライアンはようやく本来の力で戦えるのじゃから」


「兄さんが、ですか……?」


 母は妖艶な笑みを浮かべて頷く。


 それまで抱いていた安堵に近い感情が嘘であったかのように、急に背筋に悪寒が走る。


 母の言葉には違和感があった。


 封神殿で破壊神となった兄に会った時、彼はドーハや父親のことを認識できていなかったはずだ。家族に対して力の加減をするような理性はなかった。それどころか、本気で殺しにかかってきた。


 だから、ドーハが味方につくことと破壊神の本来の力というのは関係がないはずなのだ。


 嫌な予感がする。


「母上、どうか考え直してください。俺は片方の国が滅びることなど望んではいないのです。ヴァルトロも、ルーフェイも……それに破壊神も、共生できる道がないかと思って——」


「ドーハ、すまぬ」


 エルメがドーハの顔から手を離し、パチンと指を鳴らす。


「……ッ!?」


 急に胸に焼けつくような痛みが走り、ドーハは言葉を失った。


「こ、これは……」


 気を失っている間に着せられていた寝巻きのような服の前を開いてみると、左胸のあたりに赤紫色の染料で呪術式が描かれていた。


「やはり念には念を入れて正解じゃったな。その呪術式は妾や仮面舞踏会の合図、そしてこの城を出ようとすると反応するように仕組んである」


「どういうことですか……!? このようなことをされなくても、俺は無断で逃げるつもりはありません」


「それは、と言ってもか」


「は……?」


 頭が真っ白になる。


 だがふざけて言っているような様子ではない。


 エルメはとても悲しげな表情を浮かべ、ドーハの頭を撫でた。


「妾も心苦しいのじゃよ。じゃが、いずれ破壊神の力でこの世からすべてが消え去る。すぐに後を追うから、少しの間だけ我慢しておくれ」


「そんな、こと……! 兄さんも望んでいるはずが……ッ!?」


 再び胸に痛みが走り、ドーハはベットの上でうめき声をあげうずくまる。


 どこからか人の気配がして、ドーハの身体は軽々と持ち上げられてしまった。胸の痛みのせいで全く抵抗ができない。


「少し頭を冷やしてくるが良い。妾もそなたを痛めつけたいわけではないのじゃ」


「母上……な、ぜ……」


 エルメは何も答えない。


 やがてドーハの身体を担いだ人物——痛みのせいで意識が朦朧としてはっきりとは分からないが、おそらく仮面舞踏会の一人だろう——になにか命令したかと思うと、彼は部屋の外に出て城の下へ下へとドーハを運んでいくのだった。






「はぁぁ……なんて悲劇的なんでしょう。思わず見惚れてしまいましたよっ」


 エルメ一人残った部屋で、ベッドの陰からハリブルがぬっと姿を現した。


「やれやれ、相変わらず悪趣味な……まぁドーハを捕らえたそなたへの褒美にはなったかの? で、儀式の準備はどうじゃ」


「順調ですよー。唯一手がかりのなかったフタマタシロヘビの情報についても、ディノ陛下経由で入手できそうですっ」


 そう言ってハリブルはエルメに一枚の羊皮紙を見せる。


 それは今日、ディノ王の家庭教師募集の締切ぎりぎりに提出された申込書であった。


「ほう……ついにあのレオナルドも腰を上げたか」


「ええ。今までロビンを急かしても全く動じなかったんですけどねっ。ただ、これに関連して……一つ残念なお知らせがあります」


「なんじゃ?」


「義賊ブラック・クロスの一行と、我らが裏切り者クレイジーが中央都に忍び込んでいるようです。入国ルートは鬼人族の里かららしく……まったくもうっ! シリーのおバカさんが取り逃がしたせいでっ!」


 ハリブルは苛立ち露わに地団駄を踏む。


「どうします? ブラック・クロスはともかく、クレイジーはエルメ様のお命を狙っているかもしれませんっ。闇討ちをしかけて今のうちに息の根を——」


「放っておけ」


「へ?」


 きょとんとするハリブルをよそに、エルメはくすくすと余裕のある笑みを浮かべた。


「あの男に妾を殺すことはできんよ。十二年前も今も、な。たとえ裏切り者と蔑まれようと、忠誠心が骨の髄まで染み込んでおるのじゃ。守りの盾としての忠誠心がの……」






 一方ドーハは城の地下牢まで運び込まれていた。


 同じ城の中であるとはいえ、先ほどまでいた部屋とはまるで違うひんやりと湿った空気に思わず身震いする。


 牢は絶えずぐらぐらと揺れていて、じっとしていると酔いそうだった。ここは「底なし地下牢」と呼ばれる場所だ。牢は設置型ではなく、鳥かごのように吊るされた牢になっている。あたり一面どろっとした底なし沼になっていて、万が一牢を破ることことができたとしても沼に足を取られて沈んでしまうのだ。


「くそ、こんなはずじゃなかったのに……」


 鉄格子の隙間から顔を出してみる。明かりはほとんどなく周囲の様子はよく分からない。ドーハの牢の他にも鳥かごのような牢がいくつも吊るされているのは分かるが、しんとしているところを見ると他に囚人はいなさそうだ。


 ドーハはため息をついてその場にしゃがみ込む。


「俺の心臓を兄さんのためにって……。こんなことならヴァルトロを出るんじゃなかったな……。一体母上は何をするつもりなんだろう……」


「ちょっと待て、今『母上』と言ったか?」


「……!?」


 急に背後から声がした。


 ドーハ恐る恐る声がした方を振り返る。


 どうやら近くの牢の中に囚人が一人いたらしい。


 顔はよく見えないが、人影がぼんやりと見える。


「君はもしかして、エルメ様の息子なのか?」


「そう、ですが……」


 訝しみながら答えると、人影は急に「そうか……そうか!」と大きくうなずきだした。


「あ、あの……何なんですか、あなたは一体……?」


 するとシュボッという音がして、小さな火が灯った。声の主が呪術で火をつけたらしい。その火でようやく彼の顔を見ることができた。


 歳は父親くらいかそれ以上に見える男で、ほとんど白に染まった伸び放題の髪とひげは彼がいかに長く牢に閉じ込められていたかを物語っているかのようだ。服もボロボロだが、その風貌とは違って目はらんらんと輝き、どこか嬉しそうな表情をしている。


「初めまして、だな。私はテスラ。元ルーフェイ軍総帥のテスラだ。突然こんなことを言って困惑させてしまうかもしれないが……私と一緒にこの国を変える気はないか?」




***




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