mission10-31 二十番街の墓場



 数時間前——


 クレイジーは仲間たちより一足早く待ち合わせ場所の酒場に着いていた。


 開店前だが、店内には明かりがついていて人の気配がする。


 扉を開けるとカランカランと鐘が鳴り、五席ほどしかない小さなカウンターの向こうにいたマスターが顔を上げた。髪を油できっちりと後ろにまとめあげ、切り揃えたあごひげを生やし、いかにもバーテンダーといった風体をしている初老の男は、クレイジーを見てにっと笑った。


「来ると思ってたぜ、クレイジー」


「お久しぶりです、ラウリー先輩」


 クレイジーはぺこりと長身を折って会釈する。


「よせよせ。俺もお前も仮面舞踏会ヴェル・ムスケにいたのはずいぶん昔の話じゃねぇか。堅苦しいことは無しでいこうぜ」


 そう言ってラウリーはグラス二つ用意して、丸く大きな氷を一つずつ入れると、棚から一本の酒瓶を手に取り、赤紫色の透き通った液体を注いだ。ルーフェイ中央都の名酒「不死鳥の血」である。


「ひとまず乾杯しようじゃねぇの。偉大なる裏切り者の帰還によ」


「ハハ、嫌味だなァ」


 クレイジーはグラスを取り、ラウリーのグラスと合わせる。二人以外は誰もいない静かな店内に小気味の良いガラスの音が響く。


「……んで、お前さんは一体何しにわざわざ戻ってきた? ツレがあちこちで嗅ぎ回っているようだが」


 そう言ってラウリーはカウンターの上で握りこぶしを開く。すると中から一匹、羽に呪術文字が描かれたホタルが飛び出した。


「諜報用の仕込みホタルか。今でも街中の照明に仕込んであるのかい?」


「ああ、勘が鈍らないようにな。ジクード様の崩御と共に仮面舞踏会を離れて以降、こうして街の片隅の酒場の店主をやっているとなかなか呪術を使う機会がなくってよ。情けねぇことに今じゃ全盛期の半分も呪術を使えなくなってる」


「それでもボクらの行動を把握できるほどのホタルを仕込むのには相当な神通力が必要なはずでしょ。全く、先輩には敵わないねェ」


 クレイジーはけらけらと笑う。だが、ラウリーは冗談を言うつもりではなかったらしい。真顔になって声をひそめた。


「そういうことじゃない。衰えた俺でも把握できるくらいだ、現役のハリブルには当然筒抜けだってことを伝えたかったんだよ。奴は神石の力を使ってこの街のあらゆる影に潜んでいる。手洗い場での悪口一つ聞き逃さないって話だぜ」


「別に構わないよ。わざとボクらがここに来たって教えてあげているんだ。向こうから近づいてきてくれた方が城には入りやすいからね」


 クレイジーの答えにラウリーは呆れたように肩をすくめる。


「やれやれ……そういう危なっかしい橋を渡りたがる性格はオッサンになっても相変わらず、か」


「ひどいなァ。ボクまだ三十二だよ」


「『まだ』じゃない、『もう』だよ後輩。お前が仮面舞踏会にいた頃から十二年以上経っているんだ。忌まわしいの後、この国じゃ色んなことがあった……。あの頃とは城も人もまるで別物になっていると思え。特にエルメ様については、な」


「む……」


 クレイジーは拗ねた子どものように押し黙る。そんな彼の肩を、ラウリーは励ますようにぽんぽんと叩いた。


「悪い悪い、余計なことを言った。俺も引退した身だ、お前らの目的に深入りする気はない。好きにすればいいさ。俺はただ、お前がもう一度深手を負うような日が来ないことを願っているだけだよ。先輩のお節介ってやつだ」


 ラウリーはがははと豪快に笑う。


 釣られるようにしてクレイジーも薄ら笑いを浮かべ、くいっと酒を飲み干した。


 空になったグラスに二杯目を注ぐ間、ラウリーはふと思い出したように呟く。


「そういや、二十番街にはもう行ったか?」


「二十番街って共同墓地だよね。どうして」


 するとラウリーは「そうか、お前は知らないんだもんな」とカウンターの向こうで何やらペンを走らせると、四つ折りにした紙切れをクレイジーに渡した。


 開いてみると、そこには二つの墓の場所が記されていた。


「ここにを密かに眠らせてある。せっかく帰ってきたんだ、挨拶くらいしてやったらどうだ? ツレがここに来るまでにまだ時間はあるんだろう」


 クレイジーはしばらく呆然と紙切れを眺めたまま微動だにしなかった。やがてゆっくりと顔を上げる。その表情は仮面に隠されていて、長い付き合いであるラウリーにも読み取ることはできない。


「……これも、お節介?」


 冷たい声音で吐き出された問いに、ラウリーは「さぁな」と首をひねる。


 クレイジーは小さくため息をつくと、黙って酒場を後にしたのだった。






 二十番街は共同墓地。


 名もなき死者から栄華の限りを尽くした王の亡骸まで、あらゆる者たちが眠っている。それは二十番街の高床を支える大樹が「冥府の獄」と呼ばれる黒々とした枝の細かい樹で、死者の魂を安定させるのに適した場所と考えられているからだ。


 クレイジーは墓地の入り口で盲目の花売りの老婆から花を二輪買った。幸い夜の墓地には人が近づかない。仮面をつけたまま死者の安寧の地に踏み込む裏切り者を咎める者は誰一人としていなかった。


 ……もしかしたら、死者はそうではないかもしれないが。


 ラウリーが示した場所にたどり着く。そこに眠る人の名が刻まれた墓標を見て、クレイジーは仮面ごと顔を押さえてその場にしゃがみ込んだ。


「……ハハハ、なるほどね。ボクは今、初めて君の本名を知ったわけだ。仮にもボクらは夫婦だったのに」


 彼にとって、墓標に刻まれた名前はまるで馴染みがなかった。


 リア。


 それがクレイジーの知っている彼女の偽りの名だ。


 偽名ですら、口に出して呼んだことはほとんどなかった。彼女と結婚したのは当時仕えていたジグラル王子に勧められたからであって、彼女自身に対しては微塵も興味がなかったのだ。日々任務に追われていて何日も家を空けることなどざらにあったし、家に帰ってもどことなく彼女のことを避けてきた。


 彼女のことを、哀れだと思っていた。


 自分のような、人を愛することとはほど遠い人間と結婚する事になってしまって、なんて不運な人なのだろうと思っていた。


 だから、せめてもの情けで期待など持たせないように振る舞ったのだ。


(……本当に情けをかけられていたのは、ボクの方だったんだけどね)


 永遠の別れを告げることになった十二年前のある日まで、気づくことができなかった。


 だから余計に、彼女が見せた最初で最期の笑顔がずっと脳裏に焼きついて離れない。


 クレイジーは自分を落ち着けるように深呼吸をすると、リアの墓とその横にある小さな墓に一輪ずつ花を添えた。


 そして仮面の下で瞼を閉じ、そこに眠る家族であった人たちに想いを馳せる。


「リア。今度こそは失敗しないよ。ボクはを遂げてみせる。だから——」


 ある言葉を言いかけて、クレイジーは途中で口をつぐむ。


(ボクも甘いなァ)


 思わず自嘲する。


 許してくれ、なんて言えた義理ではない。


 彼女と、幼い息子は自分のせいで命を落とすことになったのだから。


 クレイジーはふっと笑みを浮かべて立ち上がると、墓石に背を向けて呟いた。


「せめて地の底からわらっていてくれよ。狂った道化の愚かな舞台を……」



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