mission10-29 十四番街の罪人
男は十五番街に隣接する十四番街の宿舎まで逃げてきていた。
さすがにここまでは追ってこないだろう。
彼は肩で息をしながら、自分をなだめようと順を追って状況を整理する。
彼は過去に犯したとある罪により、十五年以上ものあいだ薄暗い牢の中で過ごしてきた。
本来であればそのまま牢の中で一生を終えるはずだったが、ある日転機がめぐってきた。エルメが王室の実権を握るようになって、彼を投獄したかつての総帥・テスラが失脚し、ルーフェイ国内の働き手の不足もあって受刑者の懲役期間の見直しが図られたのだ。
この機を逃すまいと、男は牢の中から地道にエルメを支持する姿勢を示し、やがてそれが認められて呪術師団の指揮官クラスのポジションに返り咲いた。
軍の中には未だにテスラを支持する者も多く、彼はたびたび後ろ指をさされているのをなんとなく悟ってはいたが、それでもエルメの命令に従いさえすれば彼女の後ろ盾により自分のポジションが危ぶまれることはなかったため、堂々と過ごしていた。
だが、たった今そんな彼を揺るがすものが現れた。
「しっかし一体なんだってんだ……? どうして今さら俺のところに来るんだよ……! あの人はもう死んだはずじゃ……」
「あの人って誰のこと?」
「ひっ……!!」
ルカが声をかけると、男は青ざめた顔で振り返った。
「おおおおおお前ら、いつの間についてきたんだっ! やっぱり幽霊か!? 幽霊なのかっ!?」
ルカとユナは互いに顔を見合わせる。
クロノスの力で高速移動しながら家までついてきてしまったことに多少の罪悪感はあったが、見知らぬ人間にいきなり幽霊呼ばわりされる心当たりはない。
だが、男はふざけているわけではなく本気でルカたちのことを幽霊だと思い込んでいるようだった。がちがちと歯を震わせながら身を縮こまらせて言った。
「悪かった……俺が悪かったんだよう……! 反省してるんだって! ただの出来心であんな大事になるなんて思っちゃいなかったんだ……!」
「あんたさっきから何言ってるんだ? おれたちのことを知っているのか?」
ルカの問いは、恐怖心でいっぱいの男には届いてはいないようだった。彼はただただうわ言のように言葉を吐く。
「頼む……頼むよ……誰にも言わないでくれ……! 俺がコーラントでやったことは……!」
「コーラントって——」
ルカはハッとしてユナの方を見た。
彼女はすでに気づいているようだった。
ユナの表情には、怒りも悲しみもない。
そんな言葉で言い表せるような感情はとうに飛び越えていた。
彼女が今までに見たことのない無表情。それはどこか冷たく、男に対して蔑みと拒絶の意思がこめられている。
「もしかして、あなたが私のお母さんを襲った人なんですか……?」
ユナがそう尋ねると、男は目を見開いた。
「お母さん、だって? ちょっと待て、ってことはあの人の娘……?」
「そうです。あの事件が起きて……そのあとに生まれましたから」
男は呻き、頭を抱えてその場に崩れ落ちる。
そんな彼に視線を落としながら、ユナもどこか苦い表情を浮かべて口をぎゅっと結んでいた。
魔法の国コーラントの人々が敬愛していた王妃を失い、その娘であるユナとよそ者を忌み嫌うようになった元凶が目の前にいる。
重々しい沈黙の中、ルカはユナの気持ちを汲むことなく深入りしてしまったことを後悔していた。
ルーフェイ中央都に入ってからというもの、ユナは表情こそ平気そうにはしていたが、本当は内心不安で揺らいでいたのかもしれない。それにも関わらず、まさか彼女にとって母と自らの仇とも呼べる相手と引き合わせてしまうことになるなど……。
引き返そうとも思ったが、ユナはその場に根が生えてしまったかのように一歩も動かない。
男はというと、さっきから床に手をついて頭を下げ、「ごめんなさいごめんなさい」と何度も呟いていた。
「……どうして」
ユナは震える声で沈黙を破った。
「どうして、謝る気になんてなったんですか?」
罪を犯した男からの直接の謝罪は無かったと、父親からはそう聞いている。
当時のルーフェイにとって、コーラントは国力拡大のために接収しようとした小国の一つに過ぎない。ゆえに男は大国ルーフェイの兵士の一人としてコーラント人に対する差別意識を持っていた。だからこそこのような悲劇が生まれたと、ユナはそう思っていた。
「は、反省したんだよ! 十五年以上牢の中に閉じ込められて、いつの間にか二国間大戦が終わっていたことすら知らず、ただただ退屈な闇の中で過ごしたんだ……! こんなことになるなら死んだ方がましだと」
「そうじゃ、ないですよね」
ユナは悲しげな表情を浮かべて男の方を一瞥する。
確か一級呪術師はこう愚痴を吐いていたはずだ。
——どんな罪で捕えられてたかは知らないけどさ!
無期懲役という重い罪であるにも関わらず、その罪状が公表されていないということ。それは恥ずべき罪として軍の上層部の中でもみ消されたということだ。
「あなたは私に謝りたいわけじゃない」
むしろ怒りの方が強いのかもしれない、とユナは思う。差別意識のある人間ならきっとこう考える——たかが小国の女一人を襲ったことでどうして自分がこんな理不尽な目に遭わなければならないのか、と。
「あなたが恐れているのは、私があなたの犯した罪について言いふらすこと。だから謝るふりをして
「うっ……そ、そんなつもりじゃ」
言葉で否定しつつも、男は動揺していた。
一方問い詰めている側のユナもだんだん顔色が悪くなっていく。元来優しい性格の彼女にとってこんな問答は苦痛だった。
(……それでも)
ユナは自分に言い聞かせる。
(ここに来た目的は、この人を陥れるためなんかじゃない)
顔を上げ、きっぱりと告げる。
「取引をしましょう。私たちはあなたの罪を言いふらさない。代わりに、ルーフェイ王家について知っていることを教えてくれませんか」
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