mission10-28 十五番街の軍部



 ルーフェイ中央都十五番街——


 軍の本拠地が置かれたその区域では、きたるヴァルトロとの戦争に向けて軍人たちがせわしなく奔走していた。


 ルーフェイ軍には特色の異なる三つの部隊が存在する。


 一つは主力部隊・呪術師団。国中の優秀な呪術師が集まる花形の部隊である。攻撃型、回復型、支援型など様々な分野に突出した者たちが集まり、他国の軍に比べて一人ひとりの兵力が高いことで有名だ。


 二つ目は楯士じゅんし団。文字どおり楯となって呪術師たちを守るための部隊で、国中の力自慢や頑丈さが取り柄の者たちが集まる。部隊の一部には中央都に友好的な鬼人族も所属しているのが特徴だ。


 そして三つ目が飛鼠ひそ師団。中央都の樹海に住む人間ほどの体長を持つアルフオオコウモリに乗って、偵察や物資の運搬、あるいは斥候など状況に応じて様々な役割を担うのがこの部隊だ。アルフコウモリを乗りこなすには高度な技術と長期間の鍛錬が必要なことから、少数精鋭で構成されている。


 ちなみに、王家直属部隊・仮面舞踏会ヴェル・ムスケについてはルーフェイ軍とは別の組織である。


 国を守るための軍と、王を守るための隠密機関。二つが分かれているのには、かつてルーフェイを襲った大災害『不死鳥の逆鱗げきりん』の頃の歴史に関係しているのだが——


「おい、そこの二人」


 呪術師団の中では士官クラスにあたる、一級呪術師の飾り紐を外套がいとうにくくりつけた若い男が通りがかり、資料室の中にいる二人の兵士に声をかける。


「資料なんか読んでいる暇があるなら僕の仕事を手伝え。こっちだ、早く!」


 一級呪術師は苛立ちを足音に表しながら、ここ呪術師団本部の奥の部屋へと向かって行く。


 二人の兵士は顔を見合わせた後、手に取っていた資料を元の場所に戻して一級呪術師の後を追った。


「……しっかし、意外と気づかれないもんだな」


 兵士に扮装しているルカは、隣を歩くユナにだけ聞こえる音量で呟く。


「そうだね。でも油断せずに行こう」


 ユナはルーフェイ軍の制服である外套についているフードを深めに被って頷いた。


 数時間前——王城に近づくために軍部の調査をすることになったルカとユナは、初めは何の準備もせずに十五番街を訪れたが、すぐにそれが無謀だと分かった。十五番街は他の区域とは異なり、周囲は厳重な鉄柵で囲まれ、東西南北の門にはそれぞれ門番が立ち、出入りする人物の身柄を徹底的に確認していたのだ。


 正面から入ることは難しいだろうと判断し、ルカの瞬間移動で門番の隙を突いて中に入った後、休憩中の兵士二人をユナのポリュムニアの歌で眠らせて制服を拝借し、こうして兵士のふりをして敷地内を見て回っていたのである。


 ただ一つ困ったことに、二人が制服を奪ったのは最下級クラスの兵士だからか、出入りすることのできない場所や見ることのできない資料がいくつかある。


 ゆえに、上層階級である一級呪術師から声がかかったのはまさに渡りに船だったのだ。


 一級呪術師は上層階級のみしか出入りできないエリアに二人を通すと、執務室の中に入るよう促した。


「うわ……」


 そんな言葉が思わず漏れてしまうほど、木机の上に大量の書類の山ができている。ブラック・クロスの本部でノワールが抱えている山といい勝負……あるいはそれ以上だ。


「これは最近入隊したばかりの新人の検診結果だ。普段は保管して終わりなんだが、急に王政に提出しろと言われてね。名簿順に並べつつ検診のクラス判定ごとに分類してくれ」


 そう言って、彼はぶっきらぼうにルカとユナにひと山ずつ渡すと、自身も席に座り「まったく何で僕がこんな仕事を……」とぶつぶつと文句を言いながら書類をり分け始めた。


 面倒なことに巻き込まれてしまった気はするが、新たな情報収集にはつながりそうだ。なんせ、書類には入隊者の名前・出身地・得意技・体調・配属先が全て記載されている。数は多いがルーフェイ軍の現状を把握するにはこの上ない資料である。


 最初に渡されたひと山が片付きそうなところまで差し掛かり、ルカはふと手を止めた。


「あれ……? よく考えてみるとやけに貧民街出身のひとが多いな。しかもほとんどが楯士団配属」


 先ほど資料室で見ていた軍構成によれば、呪術師団と楯士団の人数構成はほぼ同じはずだった。壁が分厚すぎると後方からの呪術攻撃が届かないためだろう。だが手元にある書類を見る限り、最近の入隊者によってそのバランスが崩れてしまってもおかしくない。


 一級呪術師は深くため息を吐く。


「そんなこと僕が知るものか。王室の判断でいつの間にか勝手に決められていたんだから」


「王室が勝手に……? 議会の判断じゃなくて?」


「そうだよ。お前たちもルーフェイ人なら分かってるだろ。議会がまともに機能してたのなんかもう七年以上前の話だよ。今は実質、王家の独裁政権さ」


 どうも資料で読んだルーフェイ政治体制と現状は異なるらしい。


 本来、ルーフェイにおける王室と軍部はそれぞれ独立した組織だ。互いに意見を言う権利はあるが、命令権はない。別の組織に干渉するには、王室、軍部、学府などの複数の有権組織の長が集まった議会で過半数以上の承認を得ることが必要だ。


 だが、今の議会の構成員はほとんどが王女エルメの息がかかった人間で意味をなしておらず、最近は見せかけの議会を開くことすらなく直接お達しが下されるのだという。


 軍部の中にはそのことに不満を持つ者もいるが、結局は長である総帥もまたエルメの支持者であるためこうして陰口を言うことくらいしかできないのだ。


「あーあ。テスラ様が戻ってきてくれたらなぁ……」


 一級呪術師はうなだれる。


 彼が口にした名前は、ユナにとって聞き覚えがあった。


「テスラ様って先代の総帥、ですよね?」


 一級呪術師は頷いた。


「ああ。あのお方は王に対しても物怖じせずに意見を言う公明正大な人で、僕たちはみんな憧れていた。先々代王のジクード様や、先代王ジグラル様からも相当信頼されていたらしい。だけど、ジグラル様の妹であるエルメ様とはどうも折り合いが悪くてね……あることで口論になった後、軍を辞めて行方不明になってしまった」


「そうだったんですか……」


 かつてコーラントで、ルーフェイの兵士がユナの母親を襲った事件があった。その時に足を運んで謝罪にやってきたのが当時の軍総帥テスラだ。


 父親から聞いた話によると、テスラは大国の軍のトップという立場でありながら腰が低く誠実な男であったという。武器を一切持たない状態でコーラントを訪れ、自分の部下が犯したことを恥じ、真摯に謝罪をしてきた。それでユナの両親の傷が癒えるわけではなかったが、テスラを見ていると怒鳴って話を聞かずに追い返そうとしていた気も削がれ、罪人の処遇と同盟の条件を聞いて彼を帰国させたらしい。


「まったく、テスラ様がいなくなってからというもの気に食わないことばかりだ。ここ最近、エルメ様を信奉する貧民が能力もないくせにやたらと入隊してくるし、本来なら無期懲役のはずの罪人が釈放されて上官になるし……」


 彼の苛立ちはだんだんとヒートアップしてきたのか、早口に愚痴をまくしたて始めた。


「だいたいね、あの上官は呪術の腕でいったら僕より下なんだよ! なのに釈放してすぐに昇進なんて! 馬鹿げてる! どうせ牢屋でエルメ様に媚びたんだろ! それで僕に自分が無能だってバレるのが怖いからこんな雑用を押し付けてさ……!」


「お、おい、その辺にしておいた方が……」


 部屋の外で足音がする。


 ルカは止めようとするが、彼は聞く耳を持たなかった。


「どんな罪で捕えられてたかは知らないけどさ! あの温厚なテスラ様が無期懲役にしたくらいだ、きっと相当やばい罪に決まっている……! そんなのが僕の上官だなんて——」


「おいおい、一体誰の悪口を言ってやがる?」


 扉が開く音がして、目の前の一級呪術師の顔はさーっと青ざめていった。


 振り返ると、背の高い人相の悪い男——外套の飾り紐からして階級は一級呪術師より上だ——が不機嫌そうに腕を組んで部屋の入り口に立っていた。


「俺が無能だって? 部下の顔も覚えられねぇクズに言われたかねぇなぁ」


 そう言って彼はずかずかと部屋に入ってくると、がっとルカとユナの肩を掴んだ。彼は二人の顔を見て歪んだ笑みを浮かべる。


「俺は一度見た顔は忘れねぇんだ。よく見ろ。お前が不用意に部屋に入れたこいつらは、ウチの軍の人間じゃねぇぞ」


「ええっ!?」


 唖然とする一級呪術師。


 まずい流れだ。


 外部の人間が忍び込んだと知れたら、一体どんな仕打ちにあうか分からない。ルカは逃げ出そうと試みるも、肩を掴んでいる上官の手の力が強くて上手く抜け出せない。


 上官は探るような視線でルカとユナの顔を交互に見た。


「それにしてもお前ら、どこかで見覚えのある——」


 ふと、ユナの顔をじっと見て彼は身動きを止めた。


「へ……? いや、そんな、まさか……」


 急に瞳がぐらぐらと揺れ出し、額に汗を滲ませる。


 それまでの尊大な態度が嘘かのように、彼は「ひぃっ」と短く叫んで崩れ落ち、ぶるぶると震えだした。


「おっ、俺に仕返しに来たのか!? やめろ! くるな! う、うわああああああああっ!」


 無様な悲鳴をあげ、上官はわたわたと部屋から逃げ出す。


「な、なんだったんだ一体……君たちは何者……?」


「巻き込んじゃってごめん! おれたちのことは忘れてくれ!」


 ルカは一級呪術師に短く詫びて、きょとんとした表情を浮かべるユナの手を取った。


「あの上官を追おう! 放っておくとおれたちについて王家に告げ口するかもしれない」


「う、うん。そうだね」


 ユナはルカに促されるまま、執務室を出てルカとともに上官を追った。


 胸の内に、かすかな不安を抱えながら——


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