mission10-27 九番街の食堂
立ち話もなんだから、とレオナルドはグレンたちを隣の九番街へと案内した。
九番街は学生専用の食堂や研究用品を販売する店が集まっていて、八番街の人々がよく利用しているらしい。
レオナルドはその中で一番大きな食堂の中へと入っていく。
「立派な食堂だなぁ……」
ヤオ村が丸ごと入ってしまいそうなほどの広さに、グレンは思わず嘆息する。
「ここは王立研究所直営の食堂だからね。所属研究員ならタダで飯が食えるのさ」
レオナルドはどこか得意げにそう語った。
「ちなみに所属研究員じゃない場合は?」
「ああ、その場合は割高になるね。悪いがおごってあげられるほどの余裕はないので、君たちは自分で好きなものを頼んであの奥の席まで来てくれたまえ」
そう言って、悪びれもせずトレーを持って配膳カウンターまですたすたと歩いて行ってしまった。
「……あのおっさん、いい歳こいてなかなかケチだな」
思わず愚痴をこぼしたグレンの頭をロビンが小突く。
「こら。博士の悪口を助手の前で言うとは失礼な人ですねー、全く」
彼女は軽い口調でそう言ったが、グレンはムッと顔をしかめてそっぽを向いた。
なんとなく、彼女がそばにいると落ち着かない。
それは彼女の身長が、男子として平均身長はあるはずのグレンより頭一つ分飛び抜けていて威圧感があるというのも一つの要因だったが、それ以上に気になったのは香水の匂いだ。
夜の花のような甘い香り。
かつてヤオ村を陥れたとある女の匂いによく似ている。
「それ、ミスティ・リリーの精油だろ」
そう指摘すると、ロビンは感心したような声をあげた。
「あらー、よく分かりましたねぇ。ミスティ・リリーは中央都の高床の影で自生するただの野花。安易に手に入るため、かえって不人気で香水としてはマニアックなものなのですが」
「そうなのか? なら何でわざわざ」
そんな不愉快ものを——と言いかけたところで口を閉ざす。
グレンが苛立っているのはこの匂いがハリブルの象徴だからなのであって、今日会ったばかりのロビンには関係のない話だ。
グレンの理不尽な態度にも関わらず、ロビンは落ち着いた口調で答えた。
「これは、戒めですよ」
「戒め?」
「そうです。幼い頃の貧しい暮らしを忘れないための、ね」
ロビンは配膳カウンターに並びおかずを受け取りながらグレンに自らの境遇を語った。
貧民街に生まれ育ったという彼女にとって、ミスティ・リリーは馴染みのある花だ。今こうして精油を香水として使っているが、貧民街では滅多に身体を洗えないために臭い消しとして使うことが多かったのだという。
彼女はたまたま素質があって、たまたまレオナルド博士に出会い、たまたま助手のポストが空いているからと仕事を与えてもらえたが、多くの貧民街の人々は一生を薄暗い下層の地域で過ごす。
今の自分があるのは様々な巡り合わせの結果であって、あがき続けなければ再び下層に逆戻りする可能性だってある、だから初心を忘るるべからず——そのために常にこの香水をつけているのだ。
(もしかしてハリブルも同じなのか……?)
ふとそんな考えが浮かんだが、よくよく振り返ってみるとヤオ村がダイアウトになっていたあいだ物資の取引をしていたとはいえ、彼女自身の話を聞いたことはほとんどなかった。
(それもそうか。あいつの本当の目的は物資の取引じゃなくて、ヤオ村の人間が封神殿の秘密をばらしたり反乱を起こしたりしないか見張ることだったんだもんな……)
ヤオ村にはびこっていた疫病が消えて再び地図に載るようになったとはいえ、グレンの中での後悔は未だ消えないでいた。
あの時自分がハリブルにそそのかされていなかったら——何度でもそう思ってしまう。
だからこそ、彼はクレイジーとともにルーフェイ中央都の潜入任務に就くことを断らなかった。再び彼女たちに向き合い、自分自身の後悔にけじめをつけるためにも。
リュウとグレンはそれぞれに好きな料理を注文すると、レオナルドが指定した席についた。そこは食堂の端、柱の影にあたる位置でやや暗いが、ゆえに元気のありあまる学生たちがあまり座りたがらないのか静かで落ち着いた場所になっていた。
すでに食べ始めているレオナルドに対し、グレンは早速本題を切り出す。
「なぁ、あんたら本当に俺の両親のことを知っているのか?」
「もちろんだとも」
レオナルドは薬草の練りこまれた翡翠色の麺をすすりながら頷いた。
「二人は中央都の中でも優秀な薬師であり回復呪術師だったからね。私は彼らに何度も命を救われたんだよ」
「何度もって……博士、あんたもしかして何か重い病気を患って……?」
一瞬同情しかけたグレンだったが、レオナルドの横に座っているロビンは「いいえ」ときっぱり否定した。
「そんなんじゃないですよー。博士は研究のために樹海の探索に出かけることが多いんですが、たまに本当に未知のヘビなんかと遭遇して噛まれたりするから、教本通りの治療しかできない薬師じゃ治せなくって、いつもアイシャさんのところにお世話になっていたというわけです」
「たまにって言うんじゃないよ、たまにって!」
「それで顔なじみになったものですから、アイシャさんとお話する機会も多々ありまして。それで君、グレンくんのこともよく聞いていました。まだ甘えたい盛りだから村に置いてきたのが心配、次に休暇が取れたら真っ先に会いに行きたいって」
ロビンの言葉に思わず瞳の奥がじんわりと熱くなって、グレンは顔を覆う。
「あの人たち……そんな風に俺のことを……」
ずっと音沙汰がないから、嫌われてしまったのかもしれないと思っていた時期もあった。
だが、そんなことはなかったのだ。
離れた場所にいながらも、両親はずっと自分のことを気にかけてくれていた。
ただそれだけで嬉しかった。
「それで、ご両親は元気にしているかい? 七年前くらいに急に中央都からいなくなって、風の噂では地元に戻ったと聞いていたけれど」
リュウが珍しく心配そうな視線を投げかけてくるのを感じて、グレンはふっと笑みを浮かべる。
「ああ、両親とも元気にやってるよ。鬱陶しいくらいにね。だからそんな感傷的なこと言ってたなんて変な感じがするんだ」
自分でも驚くほど自然と嘘が口を突いて出た。
長年嘘をつき続けてきたせいだろうか。
何か言いたげなリュウを横目に、グレンは胸の内で苦笑する。
「それで、君はどうして中央都に来たんだい? 何か困っているのであれば力になろう。恩人の息子さんなわけだからね」
レオナルドにそう言われ、グレンはふとここへ来た目的を思い出した。
どこか頼りない気もするが、長年王立研究所の所属研究員をしているレオナルドなら王城への出入りの手がかりを知っているかもしれない。
グレンは再び嘘をでっち上げることにした。
「俺があまりにできが悪いから、勉強してこいって半ば強制的に家を追い出されたんだよ。しかも、爺さんみたいに王様付きの薬師になるくらい優秀になってこいなんて言われてさ……」
「ほう、それは大変な話だね。ディノ国王はまだ幼い。身体も丈夫というから薬師に需要があるかどうか」
「別に本当に王様付きになる必要はないんだ。何か王家に認められたって証拠さえあればそれで良くて」
「ううむ、なるほど。手っ取り早く王家に認められる方法はなくはないんだけども……」
レオナルドは口を濁す。
どこか気が進まないような様子だ。
確かに、方法を知っていてかつそれが簡単ならすでに彼自身が試していてもおかしくない。研究費を打ち切られたと噂されていたほどだ、すぐにでも王家に取り入りたい状況のはずだが、できていないということはその方法に何か懸念点があるということなのだろう。
それでも、かまうものか。
「どんな方法でもいい。教えてくれ」
強い口調で言うグレンにレオナルドは観念したように話し出した。
「実は最近、王家から学府に対してある募集があってね……」
レオナルドの話を聞いた後、グレンは席を外して手洗い場に入った。ひとまずレオナルドから話を聞き出せたのは良かったが、罪悪感で少し一人になりたかったのだ。
「君は嘘をつくのが下手ですねぇ」
「……っ!?」
急に背後から声をかけられ、危うく心臓が胸から飛びだしそうになる。
振り返るとそこにはにこにこと笑みを浮かべたロビンが立っていた。
「な、なんで嘘だとわかったんだよ……」
「妹が嘘つきだったから、人の嘘には敏感でして。ご両親、本当は亡くなっているんでしょう?」
なぜばれたのだろう。心当たりはない。
だがロビンに鏡を見るように指差され、グレンはようやく気づく。
目が充血してうっすら赤くなっていた。
おそらくロビンから両親の話を聞いたあたりからだ。
「あの、博士には——」
「言いませんよ。あの人が本当のことを知ったら、ショックで寝込んじゃいそうですし」
そう言って彼女はけらけらと笑って続ける。
「それに、罪悪感を感じる必要はないんじゃないですか。人は呼吸をするように嘘をつく生き物です。でも、君の嘘は他人を傷つけるための嘘ではありません。そういう嘘をつく人は、きっと優しくて孤独な人なのでしょう。自分を責めるのは心の毒になりますよ」
彼女はどこか遠くを見るような目を鏡に向けながら言った。
それはまるでグレンではなく、別の人間に向けて言っているかのように聞こえた。
だが、彼女の言葉ですっと胸がすくような気になれたのは確かだ。
「そんな風に言われたのは初めてだよ」
あんた変わってるな——そう言おうとして、グレンはふと気づく。
おかしい。
なぜ彼女がここにいるのだろう。
ここは、男性用の手洗い場のはずだ。
「ちょ、ちょっと待って、あんた何当たり前みたいな顔してここにいるんだよ! 今すぐ出て! 怪しまれるから!」
「平気ですよ。だって僕、男ですし」
「……は?」
「嘘じゃないですよ。そもそも女だなんて、一言も言ってないですしね」
ロビンはあっけらかんとした様子で丈の短い白衣をペロリとめくって見せた。
ああ……確かに男だ。
「趣味でこういう格好しているだけなんですけどねー。たまに勘違いして本気で迫ってくる人もいたりして」
そう言って無邪気に笑うロビンに対し、グレンは引きつった笑いを浮かべた。
香水の匂いだけじゃない。
彼女——もとい彼のその表情は、どこかハリブルと似ているような気がしてならなかった。
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