mission10-22 袂分かつ親子




***



 北の大陸に位置するヴァルトロ帝国の拠点、”覇者の砦”。その眼下に広がるニヴル雪原は真っ白な大地が延々と続き、常に激しい吹雪が吹き荒れる場所だ。


「ハァァァァァァッ……!」


 覇王マティスはそこで一人佇み、届いたばかりの大刀を振るっていた。


 マティスが柄を握る拳に力を入れるたび、それに呼応するようにして深く青みがかった刀身に血管のような赤い筋が煌めく。


 それは白銀の世界の中で唯一色を持ち、沸き立つ生命力を余すことなく訴えかけているかのようだ。


 そう、そこに込められた作り手の想いの分まで。


 剣を振るうマティスの背後に、一匹、二匹……と注意深く獣が忍び寄る。赤い瞳と長い銀の毛を持つニヴルウルフだ。その性格は獰猛かつ賢く、群れをなして自分よりも体長の大きな獣にも容赦なく襲いかかるという。


 マティスは彼らの存在に気づいていた。


 だが動じることはなかった。


 やがてもう一つ、隠す気のない大らかな気配を感じ取る。


 その気配の主がパンと手を叩くと、ニヴルウルフたちは子犬のようにキャンキャンと鳴いて散開し、その場を後にした。


 マティスはゆっくりと振り返る。


 褐色肌に橙色の髪をたたえた大柄な女が立っていた。ヴァルトロ四神将の一人、”鉄狼守護壁てつろうしゅごへき”のフロワだ。


 無表情なマティスに向かって、フロワは温和な笑みを浮かべて言った。


「珍しいねぇ。マティス様がこんなところにお一人でいらっしゃるなんて」


 マティスは何も答えない。


 だが、別に不機嫌というわけでもなさそうだ。


 フロワは雪原の中でじっと佇む王のもとへと近づく。


「あらあら、手真っ赤じゃない。このままじゃ凍傷になりますよ」


 フロワは自身の着ている毛皮のコートの内側から予備の手袋を取り出そうとする。だが、マティスは首を横に振ってそれを断った。


「……今はこれくらいが都合がいい」


「はぁ、そうですか」


 フロワはあっさりと引き下がり、手袋をしまった。


 王がなぜこんな場所で武器を振るっているのか、聞かずとも理由を知っていた。先ほど自室で兵士の一人から聞いていたのだ。


 スウェント坑道最奥部でマティスの大刀を打ち直していたアランが、武器を転送してきた時の『陛下、これが俺の最高傑作です』というメッセージを最後に消息を絶ったという。


 最奥部は完全に崩落して、彼の生死を確かめるすべはない。


「大丈夫よぉ。あのアランちゃんのことだもの、きっとどこかで身を隠してしぶとく生き延びているわ」


 フロワは陽気な口調で励ますように言ったが、マティスは口を一文字に結んだまま黙っていた。


 アランは四神将の中ではフロワに次いで古株の一人だ。


 もう二十年も前のこと——慣れないガルダストリアの地で路頭に迷っていたところをマティスに拾われ、研究資金や実験のために必要な設備を与えられたことでめきめきと頭角を現していった。気性の激しい男ではあるが、実績のない頃から正当に評価してくれた王への恩義を重んじ、時には王が自ら口に出さない思いまで汲み取り先手を打つこともあった。


 そしてその象徴こそが、今マティスの手の中にある神器。


(重いんでしょうね……きっと以前の大刀よりも)


 フロワはマティスが何もない場所に向かって武器を振るう様子を見守りながら、現在の四神将の状況に思いを馳せる。


 キリは療養のおかげである程度回復したが、未だにどこか本調子でないのか普段よりも自室にこもっている時間が長い。


 ソニアに関しては、ゼネアでの任務に出て以降傷の治りが悪く、頻繁に痛み止めを飲んでごまかしながら無理に任務についている。


 そしてドーハは先日マティスと口喧嘩したきり出て行ったままで、今のところ一度も連絡を寄越さない。


「……四神将たちに何があろうと俺の進む道に変わりはない。破壊神を討ち、『終焉の時代ラグナロク』を終わらせる——ただそれだけだ」


 フロワの考えを察したかのような言葉に、彼女は微笑んで呟く。


「ええ……心得ておりますとも」


 長い付き合いの彼女は知っている。


 マティス・エスカレードは孤高の覇王。幼い頃から周りの力を頼らず、他者に弱みを見せず、自らの圧倒的な力をもってここまでのし上がってきた男。


 彼の住んでいた小さな集落が奇襲によって一夜で占領された時も、身を寄せた傭兵団の中で大人たちに取り合ってもらえなかった時も、戦時下で敵味方に疎まれ間者に命を狙われた時も……どんな逆境であろうと彼は折れることがなかった。


 ただまっすぐに、覇者の道を進んでいく。


 誰よりも強い男。


 だからこそ憧れ、慕う者も多い。


 彼女、フロワ・ティガーもその一人。


「ご安心を、マティス様。この”鉄狼守護壁”——あなた様が倒れるその瞬間まで、片時もお側を離れることはいたしませんから」


 するとマティスはふんと鼻で笑った。


「わざわざ言わずとも良い。フロワ、お前がそういう性分であることは昔から分かっている」






 その頃、ドーハはルーフェイの地に降り立ち、あてどなく中央都の一角をさまよっていた。


 正確に言えば、目的地はすでに見えている。


 都市全体を覆い尽くす、湿地帯の中の樹海。その中央にある巨大な樹を彫ってできたような建造物がおそらく王城だ。そこに彼の母親はいるはず。


(けど……どうやって近づけばいいんだ?)


 周囲をぐるっと回ってみたが、入り口はどこにも見当たらない。


 当然ルーフェイに母親以外の知り合いがいるわけでもないし、家出のような形で国を飛び出してきたドーハにとって今は頼る部下もいない。


 彼なりの方法で現地民に紛れるべく服装を整えてみたが、やはり雰囲気でばれてしまうのか道行く人々に訝しむような視線を投げられ居心地も悪い。


 だが、ここまで来てしまった以上、何も成果のないまま戻ったらいよいよヴァルトロの中でも居場所がなくなるだろう。そうなるくらいなら、この異国の地で路頭に迷った方が幾分かましだ。


「母上の方が気付いてくれたらいいのになぁ……」


 つい、そんな弱音が漏れてしまった時であった。


「おやおやお兄さん、もしかして迷子ですかぁ」


 リンと軽やかな鈴の音が聞こえたかと思うと、いつの間にか目の前に派手な行商人風の服を身にまとったツインテールの女が立っていた。


(この声、どこかで聞いたことがあるような……?)


 すると急に女がずいと距離を縮めてきた。夜の花のような甘い匂いに思わず思考が止まりそうになる。


「あんた、一体……」


「名乗るほどの名などございませんよっ。ただあなたのようにぐらぐら不安定な影を持つ方のことはつい目についてしまいまして、ええ」


「は……?」


「もしやどなたかお探しではありませんか」


「っ……!」


 思わず声を詰まらせて、「しまった」と思った。図星であることが伝わってしまったのだろう。女はニヤリと口角を吊り上げる。


「よかったらあたしが案内してあげますよ? ねぇ、



***



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