mission10-8 民俗学者テオ・ゲンマ
ファーリンに案内されたリュウの実家は、外見こそ他の鬼人族の家と変わらず無骨な溶岩を使って作られていたが、中の様子はまるで鬼人族の里にあるとは思えない状態になっていた。沢山の書物が積まれ、あちこちに模型であったり何かの化石が転がっている。その光景を目にした瞬間、ミハエルはぽかんと口を開けて感嘆の声を漏らした。
「わぁ……すごいです……!」
「いやはやお恥ずかしい。バタバタと出かけたものだから散らかしっぱなしになっていて」
申し訳なさげに言うリュウの父親だったが、妻はは呆れたように「何言ってんだい。あんたが家にこもってる時よりはずいぶん片付いてるよ」とぼやく。
「リュウのお父さんって、その……」
ユナが尋ねようとすると、リュウの父親はにっこりと微笑んだ。
「ああ、申し遅れました。僕はテオ・ゲンマ。鬼人族の文化や歴史について研究している、しがない民俗学者です」
「テオ・ゲンマ……もしかして、『鬼、火山と共に生きる』の著者のテオ先生ですか!?」
ミハエルが興奮した様子で言った。ルカたちにとっては聞いたこともないタイトルだが、どうやら登山道でミハエルが話していた、鬼人族が神通力を持たない代わりに自然界の磁場と引き合う力を持つという説を提唱した研究書のことだという。
「いやぁ、驚いたな。まさか生きているうちに自分の本の読者に巡り会えるなんて……」
テオは少しだけ瞳を潤ませていた。その本は彼が五年以上もかけて執筆した研究の集大成だったのだが、そもそも鬼人族の研究に興味を持つ人間が少ない上に、当事者である鬼人族たちも本を読む者などほとんどいないため、全く売れなかったのだそうだ。
ミハエルでさえ登山道で「あまり売れていない本だったので僕は内容を鵜呑みにしませんでした」と言っていたのを思い出したが、ルカは黙っておくことにした。
「それにしても、まさかリュウの父さんがそんなすごい学者先生だったとは……」
ルカはちらりとテオとリュウを見比べる。鬼人化していない時の外見こそはルーフェイ人の父親に似ているが、性格はどう考えても鬼人族の母親譲りにしか思えなかった。
テオとミハエルが本の話で盛り上がっている間、ルカたちは部屋に置かれているものを眺めて時間をつぶしていた。ファーリンは「夕飯の
クレイジーがふとそばにあった書きかけの論文を手に取ると、テオはすぐさま気づき、慌ててそれを彼の手から取り上げた。
「は、はは、ここに書かれているのはあくまでメモ書きですから。鬼人族の伝統的慣習とルーフェイの呪術式の相関についてまとめたものですが、まだ学会で発表できる水準の根拠はなくて」
そう言って周辺に散らばっていた書類をしまおうとした。だが、床に転がっている本につまづき、その場で前のめりにこけてしまった。
「いったぁ……」
「全く……俺たちと違って父さんはヤワなんだから足元には気をつけろって言ってるだろ」
リュウが膝をさする父親を引っ張り起こす。その様子を見ていたクレイジーは、けらけらと笑って言った。
「紛らわしくてすみませんね。ボクはとうの昔に
「ええっ、そうだったのか……。はぁ、びっくりした……。確かにリュウが仮面舞踏会の人を連れてくるなんて変だとは思ったけど」
ほっと胸をなで下ろすテオに、クレイジーが悪戯な笑みを浮かべて尋ねた。
「へェ、そんなに中央都に知られてはまずいような研究をしているんです?」
「い、いやいや、そういうわけではないんだ。僕は本当に純粋な興味で鬼人族たちのことを研究しているだけでね。ただ、中央都ではそれがあまりよく思われないみたいなんだ」
どうして中央都で鬼人族の研究がよく思われないのだろうか。ユナが理由を聞くと、テオはぽりぽりと頭をかきながら答えた。
「鬼人族たちは独特な体質により無意識的に高度な文化を築いている——それが僕の持論なんだ。だけど、ルーフェイ人たちは皆、自分たちの方が文化の上で優れていると考えている。鬼人族が中央都を歩く時には関所で手錠をかけなければいけないというのも、そういった差別意識の表れなんだよ。だから、僕がやっている鬼人族の優位性を証明する研究は時々中央都からの規制がかかることがある」
もともとは中央都に研究所を構えていたのだが、しょっちゅう役人が監視に訪れて研究に集中できないため、直接鬼人族の里に住み着くようになったのだという。
「最初は鬼人族たちに猛反発を食らったんだ。里の中にも入れてもらえず、入り口で殴られて……それでも頼み込み続けて、ようやく受け入れてもらえたんだよ。ファーリンがみんなを説得してくれたおかげでね」
テオが台所の方へと視線を送ると、ちょうどファーリンが料理の入った皿を持って出てきた。
「ああ、あんたがここに初めてやってきた頃の話かい? あの時は本当に驚いたねぇ。今まで自分の腕っ節に自信のある人間が喧嘩を売りにやってくることはあったけど、こんなになよなよした男が里に住みたいなんて言い出すなんて想像もしてなかったんだ。だからどうすればいいのか、私らも困ってねぇ」
当時里一番の実力者であったファーリンは、力で脅して帰らせようと考えた。殴るふりだけして、テオが逃げ出すことを期待したのだ。だが、普通の運動神経であれば余裕で避けられるはずの攻撃を彼はもろに食らい、自力で山を降りられないほどの怪我を負ってしまったのだという。
「仕方ないから足の骨が治るまでうちで面倒みることにしたんだよ。さすがの私も、無防備な人間を殴って怪我させちまったことに申し訳なくなってね。そうしたら……あれよあれよのうちにこの人は居ついちまった」
ファーリンはやれやれと肩をすくめる。その棘のない口ぶりからして、夫のことを悪く思ってはいなさそうであるが。
ファーリンは溶岩でできたローテーブルに料理を並べ、ルカたちに座るよう促す。
「あんたらも腹が減っているだろう? せっかくだし食べていきな」
「え、いいんですか……?」
鬼人族の里の料理とはどんなものだろうか。期待を膨らませるルカであったが、皿の中に入ったスープの香りを嗅いで顔をしかめる。美味しそうではあるのだが、どこかで嗅いだことのある香りだ。
「このスープって……」
「ああ、あんたらがさっき台無しにしてくれた儀式のスープさ。高山ジカの干し肉を入れてある。本当は人間の肉と相性がいいスパイスを使っているんだけどねぇ」
そう言って、ファーリンは悪びれもせず笑った。一気に食欲を失ったルカたちに、テオは慌てて補足する。
「安心してください。鬼人族が人を食べていたというのは高山に生息する動植物が少なかった大昔の時代の話で、今は儀式の生贄にすることがあるだけだからね」
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