mission10-7 クレイジーの悪戯



「クレイジーさん……!?」


 ユナが悲鳴に似た声を上げる。


 クレイジーを吊るしている棒は両端を鬼人族の男が一人ずつ支えていて、彼らが手を離してしまえばクレイジーの身体は釜の中の煮汁行きだ。


 そんな状況であるにも関わらず、相変わらず顔の上半分は仮面で隠したまま、クレイジーはどこか楽しげな様子である。


「あーあー、そんなに悲しい顔しないで? ボクの次は君たちの番だからさ」


「え……?」


 グレンの側にいた鬼人族が、彼の背中を足で小突いて立ち上がらせ、釜の裏へと引っ張っていく。どうやら裏に釜の上に登るための階段があって、そこからクレイジーが今吊るされている場所に行けるらしい。一方、ルカたちはグレンがいた場所に座らされる。クレイジーが言った通り、順番待ちをさせられているかのようだった。


「まァ、こればっかりは仕方ないよねェ。さっき鬼人族たちが話しているのを聞いたんだけどね、彼らは最近火山活動が活発になっている原因を不死鳥が怒っているせいだと思っているんだ。で、その怒りを鎮めるために生きた人間を料理してお供えしなきゃいけないんだってサ」


「待ってください、あなたはもしかして鬼人語が分かるんですか……!?」


 ミハエルの問いに、クレイジーはあっさり頷いた。


「そうだよ白髪はくはつのお坊ちゃん。昔の仲間に教えてもらったことがあってね」


「だったら今すぐ彼らを説得してください……! 不死鳥なんて迷信です! 生贄を捧げることに何の意味もないと……!」


 するとクレイジーはわざとらしく驚いてみせた。


「えぇ〜、でも君エリィの一族でしょ? 創世神話を世界に広める立場の君がそれを言っちゃうのは色々まずくないかい?」


「い、今はそんなこと言っている場合じゃ……!」


 顔を真っ赤にして慌てるミハエルに対し、今にも釜の中に落ちそうなクレイジーはニヤニヤといたずらな笑みを浮かべている。


 周囲の鬼人族たちがかき鳴らす楽器の音が一段と大きくなった。クレイジーを吊るしている棒を支える男たちが雄叫びをあげ、彼を支えている縄を一本ずつ切り落としていく。支えを失ってガタッと身体が揺れるたび、クレイジーは「わぉ」と歓声をあげるだけで少しも焦る様子がない。


「ああもうやめてくれ! そもそも俺がいけなかったんだ! あの時、俺の神石の力が暴走しなければクレイジーさんが捕まることなんて……! 悪いのは俺だよ、どうせやるなら俺を先にしてくれ!」


 グレンが釜の後ろで喚く。それすらもクレイジーはただ楽しんで聞いているだけだ。


「……なぁ、本当にあの悪趣味そうな男が君たちの仲間なのか?」


 ターニャに耳打ちされ、ルカは頷いた。


「まぁね。そして、あんな人でも一応おれの師匠なんだ」


 ルカはため息を吐く。


 先ほどのグレンの言葉で、ルカにはどうしてこんな事態になっているのか、ある程度察しがついていた。


 鬼人族たちの騒ぎにかき消されないよう、ルカは大きな声でクレイジーに呼びかける。


「おーい、いつまでそうしてるつもりなんだ? 


 すると、クレイジーはにぃっと口の端を吊り上げ、ぐつぐつと煮えたぎる自分の足元に視線を向けた。


「……そうだねェ。熱いのはあんまり好きじゃないしなァ」


 彼がそう呟いた瞬間だった。両腕に描かれた刺青が急に赤紫色に輝いたかと思うと、彼を拘束していた縄が粉々に千切れ落ちる。


「……!?」


 クレイジーの両脇にいた鬼人族の男たちが困惑の表情を浮かべる——その隙に自由の身となったクレイジーは、釜の中へと落下するより先に自分を吊るしていた棒を掴み、軽い身のこなしでひょいと一回転してその上に立った。


「はーい、鬼人族のみなさん。お祭りはもうおしまい!」


 クレイジーは自分の身体の厚さよりも細い棒の上で器用にバランスを保ちながら、すっと腕を交差させる。再び刺青が赤紫色に光り、まるで空気に染み出るように浮き上がった。そして徐々に分裂し、新たな形を取っていく。


 それは——無数の、赤紫色のナイフ。


「ありゃ。いつもよりだいぶ多く出てきちゃったけど……ま、いっか!」


 クレイジーが交差させていた腕を正面に向けてぶんと振るった。その動きに合わせるようにしてナイフが勢いよく宙を駆け抜け、釜の周囲に集まっていた鬼人族たちに襲いかかる。


 突然のナイフの雨に、その場にいたほとんどはぎゃあぎゃあと騒ぎながら逃げ去っていく。中でも屈強な者たちは逃げずにクレイジーを取り押さえようとしたが、彼の刺青から次々とナイフが飛び出すのでなかなか近づけない。


「な、なんなのあの力……?」


 味方とはいえ、この場にいるルカ以外はクレイジーの戦う姿を見たことがない。ターニャの問いに、ルカは答えた。


「神石アシュラ。クレイジーも共鳴者の一人なんだ」


「あれが神石の力だって……? 神器や石なんてどこにも——」


 ターニャは途中で言いめる。


 どの神石であっても、力を発動する際には必ずその神石特有の色をした光が発せられる。クロノスは紫色、ヴァルキリーは白銀色、という風にだ。そして神石の光色なら先ほどから何度も目にしている。


「まさか……!」


「そう。あの人は大事な物を肌身離さず持っておきたい性格だからね。アシュラの神器は……あの刺青そのもの」


 通常、ブラック・クロスのメンバーの神器は黒流石でアクセサリの形にして持ち歩けるようにしているものがほとんどだが、クレイジーの場合は特別だ。ガザの特殊技術で神石を黒流石とともに液状化し、インクとして皮下に流し込んでいるのである。そのため、普段は黒流石の黒色をしている刺青が、クレイジーが神石の力を使うときは赤紫色の光を放ち、皮膚の表面に飛び出す仕組みになっているのだ。


「……待て待て待て待て。それってつまり、縄で縛られててもその気になればいつでも抜け出せたってことだよな?」


 この場にいる人々の中で、最も動揺しているのはグレンだった。彼は直前まで本当にクレイジーが釜に落とされてしまうのではないかと思っていたのだ。そしてその次は自分だと、命の覚悟さえしていた。


 鬼人族たちの相手を終えたクレイジーは、ルカたちを縛る縄をナイフで切ると、最後にグレンの側に歩み寄り、混乱している彼をからかうように笑った。


「そういうこと。ちょっとは反省してくれた? 登山道で神石の力を暴発させて仲間のボクにも攻撃したことを」


「あ、あんた正気なのか……? そんなことのために、ここまで捕まったふりを……」


 気が抜けてがっくりとうなだれるグレンの肩を、ルカは苦い表情を浮かべながら励ますように叩く。


「諦めろグレン。この人はこういう人だよ。おれも昔、何度も嫌がらせされたから」


「嫌がらせなんて人聞きの悪い。ボクは君を鍛えてあげようと思ってやったのに」


「ああそうだね、食事の中にさりげなく毒キノコが混ぜてあったり、風呂に入っている間に着替えを高い木の上に引っ掛けられたり、繁殖期のアルフモンキーの群れの中に放り込まれたり」


「あれェ、そんなこともあったっけ?」


 きょとんと首をかしげるクレイジーだったが、グレンをはじめ、一行は皆同情の眼差しをルカに投げかける。


「ルカ……お前の性格がひねくれてないのが奇跡のように思えるよ……」


 その時、ドサッという音がしてルカたちはハッと音がした方を振り返る。


「いってぇ……何しやがる!」


 それは、クレイジーの襲撃から逃げずその場に残っていたリュウの母親が、担いでいた息子を地面に落とした音だった。リュウはその襲撃で目が覚めたらしく、母親に食ってかかる。


「私にそんな口聞くとは、生意気になったもんだねぇ。良いから黙ってそこで見てな。母ちゃんは今から大切な儀式をぶち壊したこの人らにお仕置きしなきゃなんねぇから」


 彼女はそう言って、腰を低くし構える。


「さぁ来な。言っとくが、私をそこらの男どもと一緒だと思うなよ?」


 真っ赤な拳を地面に叩き込む。激しい爆破音が響いたかと思うと、溶岩でできた地面が割れ、そこから灼熱のマグマが噴き出した。


「なっ……!」


 ルカたちもすぐさま応戦態勢をとる。だが、リュウの母親の方が一歩速かった。マグマの幕を突き破り、勢いよくこちらの間合いに飛び込んでくる。ターニャはとっさに白銀の剣で彼女の拳を受け止める。


「あっつ……!」


 至近距離で感じる、鬼人族の熱。闘技大会でグエンと闘っているターニャには、彼女の腕力が普通ではないことがすぐに分かった。


(火山の磁場とやらでパワーアップしてるのかもしれないけど、こんなの——)


 生身の人間が受け止められる力ではない。自分と相手との力の差を見切ったターニャは、味方の戦いの意志を読み取り方針を変える。


「ルカ!」


「ああ!」


 ルカは瞬間移動でリュウの母親の背後に回っていた。大鎌の峰で背後から突き、彼女がバランスを崩した隙にターニャは力を受け流してすり抜ける。


 一人でダメなら二人分の力で押し切る。ルカとターニャは同時にそれぞれの武器を振るう。だが——


 ガキン!


 鬼人族の固い皮膚にはかすり傷さえつかず、弾かれてしまった。


「その程度かい、ども。悪いけど手加減はしないよ!」


 リュウの母親の腕から湯気が立ち始める。彼女が拳を振り上げ、ルカたちに殴りかかろうとした、その時だった。


「ファーリン、やめなさい」


 リュウの母親の動きがぴたりと止まる。ルカたちと彼女の間に割って入るようにして、トコトコと駆けてくる男がいた。鬼人族ではない。帽子に外套を着て、片腕には分厚い本を抱え、いかにも学者といった風な分厚いレンズの眼鏡をかけた人間だった。


「……父さん」


 リュウは小さな声で呟く。それは噴き出るマグマの音にかき消そうなくらい小さな声だったが、父親は聞き逃すことなくにっこりと柔和な笑みを投げかける。


「おかえり、リュウ。久しぶりだね。そちらにいるのはお前のお友だちかい?」


「友だち……というか、仲間だ」


 どこか恥ずかしげに言うリュウ。父親はそうかそうかと満足げに頷くと、武器を構えたままのルカたちに向かってぺこりと頭を下げた。


「みなさん、こんな辺境までようこそお越しくださいました。息子がいつも世話になってます」


「は、はぁ……」


 先ほどの鬼人族たちからの荒々しい歓迎とは違いすぎる。だが、戸惑うルカたちをよそに、リュウの父親は顔を上げるとにっこりと微笑んだ。


「さ、ここまで来るのはなかなか大変だったろうね。うちでお茶でも飲みながらゆっくり休みなさい。な、ファーリン、それでいいだろう?」


「そうは言うけどねぇ、この人らは私らの儀式を邪魔したんだよ? 早く儀式を再開しないと不死鳥様の怒りが……」


「大丈夫だよ。生贄の儀式とは別に、不死鳥様を鎮める方法が分かったんだ。あとでゆっくり説明するから、ね?」


 リュウの父親は口調こそ穏やかなものの、その響きには相手を説得するための強い意志がこもっていた。やがて妻の方が折れたらしい。ファーリンは「まぁ……あんたがそう言うなら……」と渋々戦闘態勢を解く。


「うちはこっちだよ。ついてきな」


 彼女はそう言うと、祭壇の下の階段をスタスタと降りはじめた。


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