mission8-22 死霊たちの船



 船室の扉が開くと、幼い鬼人族の子どもたちがわっと寄ってきた。皆片方の角が切断されていて、汚れた一枚布だけを身にまとっている。


「おい、オマエ、ヨギだよな!? なんか急にデカくなってねぇか……?」


「おれ、オマエに会うの久しぶりな気がするぞ。また悪さして船倉に閉じこめられてたのか?」


「戻って来たなら稽古しようぜ! 早く強い兵士になって王さまに認めてもらわねぇと!」


 声変わり前の高い声で、子どもたちはヨギの衣服の裾を引っ張った。無邪気であどけない表情とは裏腹に、どこかしら怪我を負って包帯を巻いていたり、薄汚れた衣服にはエルロンドの国旗が縫いつけられていたりする。


(まさか、僕よりも小さなこの子たちまで戦場に……?)


 ミハエルが唖然としてその様子を見守っていると、ヨギは彼らの視線に合わせるようにしてしゃがみ、声を潜めて子どもたちに言い聞かせた。


「いいか、今からオレ様たちがこの船を乗っ取ってゼネア……いや、エルロンド港まで引き返す。だから、お前たちは今のうちに武器庫を押さえて、見張り兵たちに反抗できるようにしておけ。みんなで騒動を起こして、見張り兵たちを混乱させるんだ」


 そうすれば〈チックィード〉たちが人質に取られる心配なく作戦を進められる。彼らにとっても、自由の身になれるのだから協力してくれるはず。


 ヨギはそう考えていた。


 だが、鬼人族の子どもたちはきょとんと目を丸くして言った。


「……なんで?」


「いや、なんでって……お前たちを助けるために決まってるだろ!」


 ヨギは思わず声を荒げた。


 子どもたちの無垢な言葉に、焦りを感じたのだ。彼らを見ているうちに、かつて自分がどうであったかも、思い出し始めていたから。


「おれたちを助ける……? 何言ってんだよ、オマエも頭おかしくなったのか? この船はおれたちを楽しいところに連れて行ってくれるんだぜ。エルロンドに戻るなんてどうかしてる! やっとあの汚い地下から出られたと思ったのに……!」


 一人がそう言うと、他の子どもたちも「そうだそうだ」と同意してヨギを非難した。


 〈チックィード〉の子どもたちは、純粋すぎるがゆえに自分たちを虐げてくる人間の言葉をすっかり信じきっていたのだ。


 かつてのエルロンド王は、彼らをエルロンドの薄暗い地下街で散々な目に遭わせておきながら、そこから脱出できる方法があると言って希望をチラつかせて輸送船に乗せ、〈チックィード〉の子どもたちを更なる地獄の戦場へと送り込んだ。子どもたちは実際に戦場であるアトランティスの地を踏むまで、自分たちがどこに連れてこられたのかを理解していなかった。いや、それどころか、敵兵が襲いかかってくる前線に引っ張り出されるまで、自分たちはエルロンドとは離れた楽園に連れてきてもらったのだと信じている者もいた。


 かつてのヨギも、そのうちの一人だった。


 だからこそ、目の前の彼らが自分の言うことを信じない気持ちを理解できたし、同時にその暗愚を呪っていた。


 一方的に非難を浴びせられていたヨギは、歯を食いしばり拳を強く握りしめる。ミハエルが彼の心情を察して声をかけようとしたが一歩遅かった。ヨギは痺れを切らして子どもたちに向かって怒鳴る。




「そんなだから……お前たちはあの戦争で死んじまったんだよ!」




 ヨギが吐き出した言葉に、それまでのざわめきが嘘だったかのように、子どもたちは急にしんと静まり返った。


「おれたちが……死んだ?」


 無邪気に輝いていた子どもたちの表情が暗くかげっていく。


「戦争ってなんだ……? おれたちはそんなことで死んだのか……?」


 人の体温で満ち満ちていた船室の空気が急に冷えていく感じがした。この感覚は、ヨギたちが元いた港からこの船の中に移動する直前に感じた空気によく似ていた。冷たくて、暗くて、嫌に静かな空気だ。




「じャあ……オマエは、なんナんダ?」




 それまで薄汚れていても生き生きとしていた子どもたちの顔がだんだんと黒ずんでいき、肌がどろどろと溶けだす。一斉に立ち込める腐臭。やがて彼らはおぞましい死霊の姿に変貌し、威嚇するかのように低い声で雄叫びをあげた。


 ミハエルは悲鳴を上げて腰を抜かす。ヨギは言葉を失い呆然としていた。


 彼らは悟っていた。自分たちがこの異常な空間の中で禁忌を犯してしまったということを。


「なにぼーっとしてるんだ! 退くぞ!」


 リュウは背中から二人の少年の服をむんずと掴んで後ろに引っ張ると、死霊と化した〈チックィード〉たちの船室の扉を勢いよく閉めた。すぐさま鍵をかけ直すが、扉の向こうには死霊たちが押し寄せ、木でできた扉はみしみしと耳障りな音を立てている。


「ここを破られるのも時間の問題だ! すぐに甲板に向かうぞ!」


 リュウはヨギとミハエルを無理やり立ち上がらせ、階段の方へと駆け出した。二人も返事をする余裕はなかったが、本能的に逃げなければいけないことを理解して、うろたえながらリュウの後に続く。


 三人が階段を登り始めた頃、船室の方から何かが爆発したかのような激しい音が響いた。扉を打ち破られたのだろう。リュウたちは足を早め、甲板を目指す。


 ミハエルは息を切らしながら、すぐ後ろにいるヨギに尋ねた。


「教えてください……ここは一体なんなんですか!? 僕たちはどうしてこんな場所に迷い込んでしまったんですか……!?」


「オレ様が知るかよ……! 一つ言えるのは、ここにいるのは死んだはずの奴らばっかりってことだ。見張り兵も、奴隷兵士も、みんな……!」


「話は後だ! 今は足を動かすことに集中しろ!」


 階下には船室から飛び出してきた死霊たちの呻き声が迫ってきていた。


 勢いよく階段を登り、甲板が見えてきたところで先頭のリュウが急に立ち止まり、後ろに続いていた二人は彼の背中にぶつかった。


「おい! あんたさっきと言ってることが違うじゃねぇか! さっさと甲板に出て——」


 文句を言おうとしたヨギだったが、甲板の様子が目に入って口をつぐむ。


 見張り兵も、船員も、作業に従事していたと思われる〈チックィード〉も、皆が船室の子どもたちと同様に死霊の姿となっていたのだ。彼らはリュウたちに気づき、皆一斉に視線を向けてきた。ぎょろりとむき出しになった眼球が、敵意を込めてこちらを睨んでいる。紛れ込んだ異物を排除しようというのだろう。


 もはや船を奪うどころではない。


 戦わなければ、こちらがやられる。


 リュウたちも応戦すべく戦闘態勢に入ったところで、どこからか頭の中に直接女の声が響いた。


"まったくまったく……早々に屍者共の安眠をぶち壊しにしてくれるとは、とんだうつけのようだねぇ。これじゃつまらん。お前たちが苦悩するのを見てみたかったが、人選ミスってわけだ。もう良い。せめてこの戦いを勝ち抜いて、悲劇の観客として相応しい席についてくれることを期待するかねぇ……”


 声が途切れたと同時に、舵の手前に漆黒の渦が生み出された。死霊たちには見えないのか、彼らはその渦に対して何も反応しない。


「おい、お前たちにも聞こえていたか?」


 リュウが尋ねると、ヨギとミハエルは頷く。


「何だったんだ、今の声は……」


 眉間にしわを寄せるリュウ。ミハエルは少し考え込んだ後で口を開いた。


「おそらく、あの眼帯のヴァルトロ四神将の神石の声だと思います。僕たちがここに来る前にうっすら聞こえた声と同じでした」


「お前も神石の声が聞こえるのか!?」


「少しだけ、ですよ。ヘイムダルの力を”神格化”して使っていない時は曖昧なんです。だけど、思い当たるのはそれくらいしか……」


 三人は顔を見合わせる。


 そもそもこの空間に自分たちが飛ばされたのは、ソニア・グラシールが何かを唱えたからだった。この空間の正体と脱出方法を知るには、ソニア本人か彼の神石に問いただすのが一番の近道ではある。


 「悲劇の観客として相応しい席」……神石の言葉の真意は分からない。


「だが、この船で袋叩きにされるよりはマシか」


 リュウはそう言って、漆黒の渦の方を見据える。


「一か八かだ。ここを突破してあの渦の中に飛び込む。異論はないな?」


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