mission8-21 相互監視



「びええええええ! もうほんま嫌や! いきなり知らん人殴りよって……! またシアンに叱られるやんかアホぉ!!」


 サンド三号が泣き喚いてぽかぽかとリュウの肩を叩くが、当の本人には全く響いていなかった。


「おいヨギ、この船はどういう構造になってる?」


「確か今いるのが一番下層で、この上が〈チックィード〉の船室、その上が作業場と監視の奴らの船室、その上が甲板だったような……」


「よし、じゃあ甲板を目指すぞ。舵を奪えばこっちのものだろ」


 そう言ってつかつかと船倉を出て行こうとするリュウを、ヨギは慌てて呼び止めた。


「ま、待ってくれ!」


「なんだ? この期に及んでまだこの狭い倉庫に引きこもっていたいのか」


「ちげぇよ! あんたがあんなことしたからもう無理だよ! けど、このまま甲板で騒ぎを起こすわけにはいかない……」


 そう言ってヨギは暗い表情を浮かべて俯いた。


「どういうことですか?」


 ミハエルが彼の顔を覗き込み尋ねると、ヨギはぽつぽつと話し出す。


 〈チックィード〉たちは何か問題が起きた時には連帯責任で罰を受けさせられていた。もし自分たちがこの船の〈チックィード〉の一員だと思われたら、見張りの兵士たちは何もしていない〈チックィード〉たちに体罰を与えるかもしれない。ヨギが懸念していたのはそういうことだった。


「〈チックィード〉たちは上にいるんだよな。今は何をやっているんだ?」


「半分は鍵のついた船室に押し込められてるはずだ。もう半分は一つ上の階の作業場で働かされてる」


 ヨギ曰く、戦場に向かう輸送船の中でも〈チックィード〉たちは変わらず差別を受けていた。


 居住空間は何日も洗われず血や汗の染み込んだハンモック一枚だけで、それが隣や上下の吐息が聞こえるくらいの間隔ですしづめ状態になっていた。


 時間ごとに交代で半数は作業に呼び出され、船の雑用や戦場に持ち込む兵器の手入れをさせられていたという。


 彼らの周囲には常に見張りの兵士がおり、何か少しでも失敗したり、怠けようとしたりした時には厳しく叱られ、ひどい時は連帯責任で体罰を受けさせられる。


 中には「なんでもやるからエルロンドに帰らせてくれ」と嘆願する者もいた。自分たちが捨て駒として戦場に運ばれていることを勘づく者もいたのだ。だが嘆願は聞き届けられず、見張りの兵士たちに「慣れない船旅で気が狂ってしまった」と言いふらされ、療養のためにと共通の船室から引っ張り出されてどこかに隔離されていたという。


「そういう奴らがその後どうなったかは知らねぇ……たぶん、途中で海に落とされたんじゃねぇかって思ってる」


 ヨギはぎりと奥歯を噛み締める。その苦しげな表情は、競馬場にいた時の自信満々な様子とはまるで正反対だ。


「分かった。ならまずは上の階の〈チックィード〉たちを解放する。次に作業場にいる奴らだ。それで文句はないな?」


 リュウがそう言うと、ヨギは縦に頷いた。


「……悪い、こっちの都合に付き合わせて」


「気にするな。俺たちは義賊。それに、ここに居合わせた以上、もう他人事じゃない」


 リュウがそう言うと、ヨギは苦笑いを浮かべた。


「義賊……か。どうせ来るならもっと早く来てほしかったよ。こんなわけわかんねぇ夢みたいなところじゃなくてさ……」






 リュウたちは船倉を出て、上層につながる階段を登っていった。


「なんだ貴様たちは! 一体いつ持ち場を離れていいと——ぐはっ」


 見張りの兵士たちと出くわすたび、リュウはみぞおちや顎に一撃を食らわせて気絶させていく。リュウの手が空かない時は、ミハエルが呪術を使って相手の目をくらませたり、身動きを封じたりしていった。一方ヨギはそんな二人の後を追うだけだった。まだ気分が回復せず、戦える状態ではないらしい。


 上層にはヨギが説明した通り、鍵のかかった船室とその前に立っている見張りの兵士が二人いた。


「おい、そこで何をしている。まだ交代の時間じゃないはずだぞ」


 兵士に呼びかけられ、リュウは船室の扉の前で立ち止まった。ちらりと彼らの腰の方に視線を向ける。兵士はベルトにくくりつけるようにして鍵の束を持っていた。この扉を開ける鍵もこの中にあるに違いない。


「あんたらには恨みはないが……ここで眠っていてもらう!」


 リュウは拳を振り上げ、片方の兵士に殴りかかる。もう片方がリュウの背後から彼を取り押さえようとしたが、リュウは肘でみぞおちに向かって突きを繰り出し、兵士はえづいて倒れ込む。その隙にリュウは自らが掴みかかった方の兵士の顔面を覆う兜に向かって蹴りを繰り出す。


「……な」


 兵士の兜が弾き飛ばされ、彼ががくんと首を垂れて気絶した時、リュウはようやく彼らの正体に気づいた。


 首筋に桜色の入れ墨。


 彼らもまた、〈チックィード〉と呼ばれる階級の者だったのだ。


「ヨギ……これは、一体どういう……この人たちは、〈チックィード〉を見張る兵士なんですよね?」


 ミハエルは恐る恐る後ろについてきているヨギの方を振り返った。最初よりも落ち着きを取り戻しているとはいえ、彼の表情は相変わらず血色が悪い。


「別にウソついちゃいねぇよ。〈チックィード〉の中でも従順に王のために働いたヤツは出世して、今度は同胞を見張る兵士になるんだ。ヘマをしたら最低の身分に逆戻りするから、他の階級のヤツらよりも厳しく〈チックィード〉を監視するってワケよ」


 ヨギはそう言ってしゃがみ、気絶している兵士の顔を覗き込んだ。


「まさかもう一度会うことがあるなんてな……。こいつは、オレ様が戦場で怪我して前線から逃げ出そうとした時にしつこく追ってきた兵士だ。背後に敵兵が狙ってきていることにも気づかないで、オレ様を逃さないことだけしか考えてなかったバカな兵士……」


 ヨギの態度や語り口から、リュウもミハエルも薄々気付き始めていた。目の前に倒れているのは、かつて二国間大戦で亡くなったはずの兵士。彼だけじゃない、この船に乗っている自分たち以外の誰もが、すでに亡くなっているはずの人々であるということに。


 ヨギは兵士の腰から鍵束を奪うと、〈チックィード〉たちが閉じ込められている船室に合うものを物色し始めた。


「……ああ、だんだん思い出してきたぜ。もう七年も前になるから、六歳の時か。その時のオレ様には、ほとんど顔も見たことのない王よりも怖いものがあった。〈チックィード〉の見張り兵士の中でも、飛び抜けて剣の扱いが上手くて、それでいて人形みたいに王の言いなりで、少しでも悪巧みをしたヤツを容赦なく殺す兵士が一人いたんだ。〈チックィード〉のガキたちがそいつの足音を聞いた瞬間にビビって漏らしちまうくらい、怖いヤツだった」


「その人も、もしかしてすでに亡くなって……」


 ミハエルの言葉に、ヨギは首を横に振った。


「いいや、生きてるよ。だって、その兵士はターニャねえちゃんだからな」


「……!?」


 唖然とするリュウとミハエルをよそに、ヨギは手際よく船室の鍵を開けた。部屋の中からはむっとした臭いが漂ってきて、異変に気付いた人々のどよめきが聞こえてくる。


 ヨギは扉の前で自嘲するように言った。


「もしあの時のターニャねえちゃんがこの船に乗ってたらさ、オレ様たちは真っ先に殺されてるよ。だから、こうやって脱走しようだなんて……少しも考えたことがなかった。脱走なんて選択肢は、オレ様たちにはなかったんだ」


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