mission8-19 エルロンドの騎士道



 ひと通り裁判が終わると、イェレナはユナたちを連れて一階に降り、仕事を終えたばかりの夫に向かって駆け寄った。


「お疲れさまでした、あなた。今日も素敵でしたわ」


「イェレナ……ここは僕を恨んでいるやからも多いから近づくなとあれほど」


 アーロンは呆れたような口調で妻に対して小言を言おうとしたが、ユナたちに気づいてふと口をつぐむ。


「この方たちは?」


「お久しぶりです、アーロンさん」


 ウーズレイは自ら被っていたフードを脱ぎ、アーロンに向かって会釈をする。ウーズレイの顔を見てアーロンはハッと目を見開いた。


「第一王子……!? どうしてこのようなところへ」


 慌ててひざまずこうとするアーロンに、ウーズレイは「やめてください」と伝えると、ユナのことを紹介したのち、自分たちがここに来た理由を話した。ユナにせがまれ、エルロンド城下町を案内しているのだと。その説明に対してユナはいささか不服に思ったが、バレンタイン夫妻に不審がられるのも困るので適当にウーズレイの話に合わせる。


 ウーズレイの説明に、アーロンは感心したように言った。


「そうでしたか。お若いのに自らの足で街に視察に出られるとは、良き心がけですね」


「父はそうしなかったから、ですか?」


 ウーズレイがそう尋ねると、アーロンの表情が一瞬曇る。


「確かにお父上、クリストファー十六世は民との交流を拒んでおられる。だがそれも王家の威厳を示すためで……」


「嘘は良くないですよ、アーロンさん。父のそういう態度が民衆たちの不満につながり、あなた方一部の貴族の中で問題視されていることは知っています。父は自分の行いを顧みずに、反乱だと考えているようですが」


「……王子はご存知でしたか」


 アーロンは不安げな表情を浮かべるイェレナの方をちらりと見やると、「場所を変えましょう」と言って法廷の奥、裁判官たちの控え室の方へとユナたちを案内した。法廷だと他の人間に立ち聞きされる可能性があるからだろう。


 だが、同時にユナはウーズレイの身を案じていた。もしこの世界のアーロンが自分たちの知っている事実と同じく王の不正を暴こうと考えているのなら、その計画を第一王子に知られるのはまずいことのはずだ。ユナの懸念を察したのか、ウーズレイが小声で囁く。


「大丈夫ですよ。ここまで見ている限り、お二人の性格は僕が知っているお二人と相違ないはず。閉所に誘い込んで斬り捨てるようなことはしないでしょう。それは彼らが重んじた騎士道精神には反するのでね」


「騎士道精神?」


「ええ。エルロンドという国は元々小規模領主たちの集まりだったのが、他国の脅威に立ち向かうためにエリィの一族と血を分けたとされるエルロンド王家を中心に団結して成り立った国です。それまで争いあっていた小規模領主たちをまとめるため、かつてのエルロンド王は戦功以外の評価項目として行動規範を定めたと言います。その行動規範こそがエルロンドの騎士道です」


 そう言ってウーズレイは裁判官の控え室の壁に張られている旗を指差した。そこにはエルロンドの騎士道が細やかな刺繍によって刻まれている。




—————————————————


一、強者は弱者を守るためにこそ力を使うべし


一、善悪の判断に階級は不要と心得よ


一、奸計かんけいは末代までの恥 誇り高き騎士であれ


—————————————————




「騎士道精神か……もはやガルダストリアの産業革命で馬が主流ではなくなりつつある今、すたれ始めた考え方ではありますが」


 ユナの隣で寂しげに呟くアーロンに、ウーズレイは「特に元々これを定めたはずの王家が、ですよね」と尋ねる。


「……第一王子よ。あなたは僕にそれを聞いてどうしたいというのですか。僕はてっきり、あなたも陛下のお考えを忠実に受け継いでいるものと思っておりましたが」


 アーロンは怒るわけでも気まずそうな表情を浮かべるわけでもなく、ただただ困惑したような顔つきで言った。こちらの意図を探ってくるかのように、黒目がちの瞳がじっとウーズレイに向けられる。こうして見ると、ターニャは外見こそイェレナによく似ているが、力強い瞳は父親譲りなのがよく分かる。


「確かに……そうですよね」


 ウーズレイは口ごもると、何か考え込むかのように俯いてしまった。


 先ほどバレンタイン家にいた時に「自分は第一王子ではない」と言っていたことと関係があるのだろうか。


 四人の他に誰もいない部屋は、しんと重たい空気に包まれていた。ユナは沈黙を破ろうとアーロンに尋ねる。


「あの……私にはよく分かっていないんですが、今の王様、クリストファー十六世とは一体どのようなお方なんですか?」


 アーロンがちらりとイェレナの方へ視線を向ける。イェレナは頷くと、彼女の方が口を開いた。


「私から説明しますわ、ユナさん。王様は、私のいとこでもありますから」


「え……そうだったんですか?」


「ええ。今の王様ともそうですけれど、王様の兄上、つまり先代王クリストファー十五世ともいとこであり幼なじみでしたの」


「お兄さんが先代? ということは……」


「兄上のクリストファー十五世はすでに亡くなられています。流行り病で急に倒れられ、惜しまれながらこの世を去られたのです……」


 つまり、先代の王は存在しない。


 どうやらこの世界には亡くなった人々が全員この場にいるわけでもないらしい。冷静に考えてみれば、もしこれまでに亡くなった人が全員ここに集まっているとしたら街には人が収まりきらなくなっているはずだ。そうでないということは、限られた人々だけがここに存在している。少なくとも、バレンタイン家の没落から、エルロンドの革命の時期の間に亡くなった人々だけが。


「先代の王様には跡継ぎはいらっしゃらなかったのですか?」


「はい……そのため、弟であったクリストファー十六世が即位することになったのです。それまで自分に王位が巡ってくるものとは思っていなかった十六世にとっては、あまりにも急で……そして、荷が重すぎるできごとでした」


 イェレナは当時の状況をユナに語って聞かせた。


 先代クリストファー十五世は幼い頃から快活で機転が利く人物で、王として即位して以降もその才を存分に発揮し、他国からも民からも人望が厚く、賢王と呼ばれ慕われていた。そんな人物だからこそ、産業革命によって急速に力をつける隣国ガルダストリアとも対等な立場で外交ができ、国内の平穏な日々が保たれていたのだという。


 そして優秀な兄を近くで見ていたからこそ、弟は兄とは別の道——クリストファー十六世の場合は武芸の道を極める方向だけを考えて生きてきた。


 だが、その兄が突然亡くなったことで王位を継ぐことになり、クリストファー十六世は今まで自分が力を磨いてこなかった政治の世界で周囲から過度な期待を寄せられるようになっていった。期待に応えられなければ容赦のない批判が浴びせられ、何かにつけては優秀な兄と比べられて次第に精神をすり減らしていったのだという。


「特にガルダストリアとの外交に関しては、近ごろヴァルトロという傭兵集団が力をつけていることもあり、時代遅れの騎士団を率いるエルロンドの立場が危ぶまれてきておりました……」


 そこで、クリストファー十六世は苦肉の策として兵力を増強することでガルダストリアとの関係を繋ぎ止めようとした。その兵力となったのが、〈チックィード〉階級から徴兵された奴隷兵士たちだ。


「もしかしたら、その頃からだんだん王様は気を病んでしまわれたのかもしれません……これまで滅多に階級の変更は行われてこなかったはずなのですが、少しでも犯罪歴のある者は〈リリーベル〉から〈チックィード〉に格下げする法令を作ってしまわれて……」


「それだけじゃない。我々に任される裁判も、不当な内容なものが増えてきたのです。まるで、わざと有罪に決めさせて〈チックィード〉を増やそうとしているかのように」


 イェレナの言葉に被せるようにして、アーロンが苦々しげな様子で話す。


「それに、兵力増強のために他国の鬼人族の子どもを拉致しているという噂もあります……。悪く思わないでください、第一王子。僕は国の規律を守る者として、そして陛下との古くからの友人としても、クリストファー十六世の暴走を止める手立てはないか、同志たちとともに作戦を練っていただけなのです。反乱だなんてそんなつもりは少しも」


「分かっていますよ」


 ウーズレイは相変わらず俯いたまま、自分に言い聞かせるようにして言った。


「私もあなた方と同じ気持ちです。今でも後悔しているんですよ……もしあの時、私が幼い子どもではなく、自分の考えを持った大人であったなら、父を救えたのかもしれないと……」


 それはこの世界の第一王子としての後悔ではなく、ウーズレイ自身の現実世界における後悔のようだった。


 アーロンとイェレナがきょとんとしているのに気がついて、ウーズレイは慌ててごまかした。


「すみません、今のは忘れてください。それで……あなた方の目から見て、父は今もなお悪政を続けているんですよね?」


 すると、イェレナとアーロンは一瞬顔を見合わせた後、首を横に振った。


「いや、今はそれどころじゃありませんからな……第一王子もご存知でしょう?」


「どういうことですか?」


「どうって……王は今、兄上と同じ病で伏せってらっしゃるじゃないですか。ずっと寝たきりだと伺っていますが、違うのですか?」


 アーロンの言葉にウーズレイは唖然としていた。ユナが小突くと、ウーズレイは小声で耳打ちした。彼の知る父親・クリストファー十六世は、身体を鍛えていたので滅多に病に倒れることなどなかった。病で伏せるなどもってのほか、微熱の風邪すら年に一度引くか引かないかだったのだという。


 まるで過去に戻ってきたかと思いたくなるほどにかつてのエルロンド王国と酷似しているこの世界の中で、明らかに現実と異なる事象。それを調べれば、自分たちが一体どんな場所に迷い込んでしまったのか分かるかもしれない。


 ウーズレイはアーロンとイェレナにここまで話してくれた礼を告げ、城に戻る——実際にはこれから初めて行くのだが——ことを伝えた。


 するとイェレナは「まだお話ししていたかったのに」と残念そうな表情を浮かべた。そして、彼女は手提げの小さな鞄の中をごそごそと漁っていたかと思うと、櫛の入っている木箱を取り出し、ユナに向かって差し出した。


「せっかく見つけてもらったけれど、これはあなたに返しますね。なんとなく、私が持っていてはいけないような気がして……もっと必要としている人に渡してあげてくださいな」






 ウーズレイのことを第一王子だと思っているのはイェレナとアーロンだけではなかった。破壊されていない王城への橋を渡り、城門のところまで来ると、見張りの兵士は大声で「お帰りなさいませ!」と言って敬礼したのち、あっさり二人を通してしまった。


「ウーズレイさん、あなたは一体……」


 ユナはウーズレイが話しかけた言葉の続きを聞きたかったが、王が病で伏せっているという話を聞いてからというものの、ウーズレイはどこか張り詰めた表情をしているので無理に話を聞くのははばかられた。


 徐々に早歩きになっていくウーズレイの歩幅に、ユナは小走りになりながらついていく。


 やがて自分たちがこの世界にやってくる前までいたのと同じ場所——エルロンド城の玉座の間までやってきて、ウーズレイはぴたりと歩みを止めた。


 玉座でひじ掛けに体重を預けるようにして頬杖をつきながら眠る男。眉間には深くしわが刻まれ、厳格そうな顔つきだが、どこかウーズレイと似た面影がある。


 彼がクリストファー十六世だろうか。それを尋ねようとしてユナはウーズレイの顔を覗き込むと、彼の視線が王とは別の方向に注がれているのに気づいた。


 玉座のそばに一人、眠る王を扇であおぐ女がいるのだ。ウーズレイの視線はその女に向けられている。彼女は黒く丈の短い薄衣を一枚身につけただけで、色白の肌を艶かしくあらわにしながら、眠る王の顔をうっとりと眺めている。


 その細い首筋には、桜色の入れ墨があった。


「母さん……? どうして、ここに……?」


 ウーズレイが声を震わせて呟く。


 ウーズレイはそこでようやくユナに覗き込まれているのに気付き、ふっと引きつった笑みを浮かべた。


「ああ、そういえば話の途中でしたね。ですが、これで説明する手間が省けました。私の両親ならあそこにいますよ……私を第一王子のとして育てた元凶がね……」



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