mission8-18 王立裁判所



「わぁ……きれい……」


 バレンタイン家の外に出て、ユナは思わず感嘆の声を漏らした。


 周囲にはバレンタイン家と同様、美しい白壁の豪勢な邸宅がいくつも立ち並び、どの家も玄関前の花壇にはよく手入れされた色とりどりの花が咲き誇っている。また、道の脇には透き通った水が流れる水路があり、そののせせらぎの音と、葉を生い茂らせた街路樹に留まる鳥の鳴き声が、心地よく響いてくる。


「やはりここは……」


 ユナに比べてウーズレイはさほど驚いてはいなかった。彼にとっては見慣れた光景だったからだ。ここは、エルロンド城下町——革命が起きてゼネアの街になり変わる前の、「花薫る都」と呼ばれた時代の美しい街並みそのものなのである。


「やぁ、バレンタイン夫人。今からお出かけかい?」


 バレンタイン家を出てすぐ、通りがかった騎士が声をかけてきた。


「ええ。この方たちに街を案内して差し上げようかと」


 そう言ってイェレナは、顔を隠すためにフードを被っているウーズレイとユナの方をちらりと見た。


 ユナ自身はあまり顔を隠す必要性を感じていなかったのだが、第一王子だと思われているウーズレイにとっては、ユナも「お忍びでウーズレイとともに街を視察に来ている外国の姫」ということにしておいた方が都合がいいらしい。そういう設定にするも何も、初めから外国の姫であることに変わりはないのだが。


「それはいいね。そうそう、今日は法廷が開かれている日だ。お客さんがた運が良いよ。せっかくだからご夫人も一緒にアーロンの勇姿を見てきたらどうだい」


「まぁやだ、からかい上手だこと」


 イェレナは顔を赤らめながらそう言った。


 騎士は爽やかな微笑みを浮かべ、手を振って通り過ぎていく。すれ違いざま、ユナは騎士と目が合って一瞬どきりとした。初めて見る顔なのに、どこか初めて会った気がしない。 


「今のはご近所の旦那さんですの。ここ最近まで遠征に出かけていたけれど、ようやく帰ってこられたそうなの。賑やかになって嬉しいことだわ」


 のんきにそう言うイェレナに、ウーズレイは苦笑いを浮かべて適当に相槌を打った。


 彼の話によると、ここバレンタイン家の位置する北西エリアは貴族街であるが、バレンタイン家を筆頭に謀反の疑いをかけられ処刑されるか没落貴族として生き延びるかの選択肢を迫られた家が多いのだという。実際、ゼネアの街においてこの辺りの荒廃が他のエリアに比べて激しかったのは記憶に新しい。


(まさか……ね……)


 ユナの頭には、ブランク山地の山頂で戦った破壊の眷属の姿が浮かんでいた。幻覚に囚われた、先王クリストファー十六世を恨む首なしケンタウロス。先ほどの紳士とはまるで様子が違うが、妙な既視感と、イェレナの「最近まで遠征に出かけていた」という言葉が気にかかる。


 ユナの気をよそに、イェレナは相変わらずおっとりとした調子でウーズレイに向かって言った。


「あの方がおっしゃった通り、今日は王立裁判所の見学ができる日ですの。夫もそこにおりますし、ご案内してよろしいかしら?」


「ええ、よろしくお願いします」


 ウーズレイがそう答えると、イェレナは嬉しそうな表情を浮かべ、軽い足取りで「こちらですよ」と市街地の方へ歩きだした。


 途中、トリシェ競馬場——もとい、この光景の中では王立馬術競技場と呼ぶべき建物がちらりと見えた。


 やはり街の構造はほとんどゼネアと変わらない。まるで時間がそのまま巻き戻ったかのような、美しい城下町がそこにはあった。


 だが、街の中を歩けば歩くほど違和感も膨らんできていた。


 隣を歩くウーズレイが、イェレナに聞こえないようユナに向かってそっと小声で話しかけてきた。


「ユナさん。あなたもそろそろ気づいていますよね」


 ユナは頷く。この街には、ゼネアの街ですれ違った人々の姿がどこにもない。まるで初めからこの世界に存在していないかのように、誰一人痕跡がないのだ。


「そして代わりにこの街にいるのは、すでに亡くなったはずの者たちばかり。まるでここは……私たちが知っている世界とは生と死が反転しているかのようです」


 ウーズレイは自分でそう言いながら唾を飲み込む。


 ならばここにいる自分たちは「生者」と「死者」のどちらにあたるのだろう。「死者」だとしたら、その死の瞬間すら分からなかったというのに……そう考えると、自分たちが「死者」であることなどすっかり忘れてしまったかのようなイェレナたちのことが、少しだけ羨ましく思えてくるのだった。






 王立裁判所に着いて、イェレナは慣れた様子でユナたちを二階のバルコニー型になっている傍聴席へと案内した。ここから一階の様子を眺めることができるらしい。一階部分は奥半分が壇になっていて、そこにしつらえられた立派な木机の向こう側に眼光鋭い男が座っていた。


「被告人、前へ!」


 男がよく通る声でそう言うと、木机に向かい合うようにして座っていた町娘がおずおずと立ち上がり、前の方に進み出る。


 男は町娘の方を一瞥すると、手元にある丸めた羊皮紙をばっと広げた。


「これより貴殿の罪状を読み上げる。貴殿は昨日夕日の沈む頃、荷物の運搬業務に従事していた男を脅迫し、業務妨害をした挙句、金銭の奪取を行ったものとする。被害者の証言及び、周囲の状況証拠や目撃者の報告から事実に相違ないことを確認。我々裁判員が審議した結果、刑罰は——」


「ちょっと待ってよ!」


 町娘は涙目でさえぎる。


「相手は〈チックィード〉だったんだ! あいつが仕事をサボって居眠りなんかしてやがるから、ちょっとからかっただけだろ……! 主人に言いつけない代わりにちょっとばかし口封じ料をもらっただけで……!」


 だが、木机の向こうの男はまばたき一つせず、羊皮紙の傍らに置いてあった分厚い本を手に取ると、パラパラとページをめくりながら真剣な顔つきで言った。


「エルロンド国法第三十五条により、〈チックィード〉の身分であっても十時間を超える労働をする際には一時間以上の休憩を与えることが使役者の義務である。特に今回の事案のような、運搬業務の中でも危険物及び破損しやすい精細な商品を取り扱う場合は、法定の休憩時間に関わらず仕事に支障をきたさない程度に適度に休憩を取得する権利が定められている。また、第六十七条には双方の同意を得ずに行われた十万ソル以内の金銭取引においては無効化を認めることが可能であり、我々は今回の被告人の言い分には法律上何一つ情状酌量の余地がないものとする、以上だ」


 男がそう言い放つと、法廷の脇に控えていた兵士たちが暴れる町娘を取り押さえて拘束してしまった。


「くそぉ! この法律信者の堅物め!」


 町娘はそうわめきながら法廷の外へと連れ出されていく。


 男はこほんと咳払いひとつして、「では次の裁判を始める」と、後ろに控えている助手から丸められた羊皮紙を新たに受け取った。そしてまた新しい被告人が連れてこられると、彼は淡々と羊皮紙に書かれた内容を読み上げ始める。


「ああ、アーロン様、今日もなんと凛々しいことでしょう……」


 隣に立っているイェレナが、うっとりと頬を赤に染めながら呟く。


 法廷を取り仕切る男——彼こそがターニャの父親、アーロン・バレンタインであった。


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