mission8-17 バレンタイン家の茶会



 ユナとウーズレイはイェレナにいざなわれるまま、バレンタイン家の邸宅に足を踏み入れていた。


 さすが貴族というだけあって、家のつくりは広々としており、高価そうな家具がいくつも見受けられた。


 汚れがほとんどついていない白い壁に、深い青をたたえたタイルの床のコントラストは清廉とした印象を受ける。それはバレンタイン家という家柄が国の司法を守る役目を担っているからこそであろう。


 イェレナはユナたちを色とりどりの花が飾られた花瓶の置かれたテーブルまで案内すると、彼女自身は「お茶会の準備をしなくちゃ」と楽しげに台所の方へと行ってしまった。


 その間、ユナは声を潜めてウーズレイに話しかける。


「ウーズレイさんって、やっぱり王族だったんですね」


「やっぱり、ってどういうことです?」


「初めて会った時から、なんとなく高貴な雰囲気みたいなものを感じていたんです。私も一応王族だから、立ち居振る舞いに近いものを感じていたというか」


「直感ってやつですか。まさかそんな風に勘づかれるとは」


 そう言ってウーズレイはくすくすと笑う。


「いや、初めから隠しているつもりはなかったんですよ。私はターニャと違って『演じる』ことが苦手ですし。ただ、王政が崩壊した国の王家の血筋なんて何の意味もありませんから、わざわざ公表しなかっただけです」


 確かに、旧エルロンド城で出迎えた時も、インビジブル・ハンドでボーイをしていた時も、彼の振る舞い方はほとんど変わっていない。


「ターニャたちは知っているんですか?」


「もちろん。ミハエル君は最近知り合ったばかりですが、彼の力があれば私の過去なんて簡単に分かってしまうでしょうね」


「じゃあ、彼女たちは知っていてあなたと一緒に行動しているということですか?」


 王政を倒したターニャと、王族のウーズレイ。それぞれの立場で考えると、二人が組んでいるということはどこか矛盾している。だが、ウーズレイは何のためらいもなく頷いた。


「ええ、その通りです。……あと、ひとつ間違いを正しておくと、私は第一王子じゃありません」


「え? でもさっきイェレナさんが——」


「あらあら、何のお話?」


 イェレナが戻ってきてユナは慌てて居直った。彼女が持っているトレーのポットには花びらを浸した紅茶が入っていて、甘酸っぱい香りがふんわりと鼻をくすぐる。


「夢……じゃないんですよね」


 隣でウーズレイがぼそりと呟いた。確かにユナも最初は夢を見ているのだと思っていた。だが先ほど自分の頬をつねってみたところ、ただ痛いだけで夢が醒める様子はなかった。


 死んだはずのイェレナ・バレンタインが生きていて、取り壊されたはずのバレンタイン家がきれいなままの形で残っている。夢としか思えない光景の中で、五感に訴えかけてくる刺激はやけに現実的だった。


「ターニャがこれを見たらなんと言うか……」


 ウーズレイは紅茶をすすりながら苦々しげに言った。


 以前メイヤー夫妻に聞いた話だと、ターニャがまだ幼かった時に彼女の両親は王の不正を糾弾しようとして、それが勘づかれて死罪にさせられてしまったという。ターニャだけが生き残り、彼女は身分を〈チックィード〉に変えられて奴隷兵士として苦渋の日々を過ごしてきた。


 だが、ここには彼女がどれだけ望んでも得られなかったはずの平穏がある。


 ターニャだったらどう思うのだろうか。母親に会えて嬉しいのか、それとも……考えの途中でユナはハッとして自らの革のポーチの中を探りだした。


「あった……!」


 ターニャに拒絶され、ウーズレイに拾ってもらったイェレナの木箱がその中にはちゃんと入っていた。


「あら、それは……」


 イェレナが目を丸くする。ユナが木箱を手渡すと、イェレナは箱を開けてぱぁっと表情を輝かせた。


「まぁ、私の櫛ではないですか……! ずっと前に失くしてから、もう見つからないものだと諦めておりましたのに」


「失くした……?」


 イェレナの言葉には違和感があった。メイヤー夫人から聞いた話と一致しないのだ。この木箱はバレンタイン家の給仕係だったメイヤー夫人がイェレナ本人から手渡され、ターニャに渡すように託されたものだと聞いていた。


「あの、ちょっと伺いたいんですが……ここに『サラ・メイヤー』さんはいらっしゃいますか?」


 サラ・メイヤーというのはメイヤー夫人の名前だ。形見を託されるくらいなのだから、イェレナは彼女のことを知っているはず。


 だが、目の前の銀髪の女性はきょとんとした表情を浮かべ、首を傾げた。


「ごめんなさい、存じ上げないわ。この家で働いている方の名前は全員把握しているはずなのですけれど」


 ユナとウーズレイは思わず顔を見合わせた。


 夢でないのなら、イェレナの死ぬ前の過去にでも巻き戻ったのかと思っていた。


「もしかして、ターニャ——あなたの娘のことも……?」


 ウーズレイが尋ねると、イェレナは当惑した様子で言った。


「我が家に娘はおりませんわ。その名前はどこか懐かしい気がするけれど」


「そう、ですか……」


 ウーズレイがあからさまに意気消沈してしまったので、イェレナは何か気に障るようなことを言ったのではないかとあたふたしていた。だが、ユナも混乱していて彼女をフォローするような言葉をかけられる余裕がなかった。


(ここは夢でも過去の世界でもない……私たちが知っている現実とは別の世界……?)


 そもそも、自分たちが「現実」だと知覚している世界が、本当に「現実」である保証などどこにあるというのだろう。「夢」だと思っている世界が「現実」である可能性だってあるのだ。そう考え始めるとますます頭の中がこんがらがる気がした。


 とにかく、ここがどういう場所なのか結論づけるには情報が少なすぎる。そもそも、なぜこのよく分からない世界にやってきたのか、そして他の仲間たちがどこにいるのかを確かめなければ。


 ウーズレイもきっと同じことを考えていたのだろう。


 彼は自分を落ち着けるためか、深呼吸ひとつすると、イェレナに向かって言った。


「紅茶を飲み終えたら、散歩にでも行きませんか? 実は城の外は不慣れで……街を案内してもらえると嬉しいんですが」


 第一王子——だとイェレナが思っている——が機嫌を損ねたわけではないことが分かって彼女はほっとしたのだろう。にっこりと微笑むと、「ええ、私でよければ」と快諾したのだった。



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