mission8-12 チックィードの地下街
墓地から地下に続く階段を下っていくと、やがて天井の高い空洞の一本道が現れた。ところどころ地盤を支える柱が立っている他は、がらんとしてだだっ広い。ぴちゃりという音がどこかで響いた。地上の雨水が浸透して漏れ出ているようだ。じめじめしていて薄暗く、
「ここが王城への抜け道。んで、革命が起こる前は、〈チックィード〉のすみかでもあった」
そう言われてみれば、道の脇の壁には蟻の巣のように横穴がいくつも掘られていて、その中には焚き火の跡や、藁の敷きもの、泥で作られた壺など、人が住んでいたらしき痕跡が残っている。
だが今はほとんど誰も住んでいないらしい。
ヨギの話によると、革命が起きてから地下に閉じ込められていた〈チックィード〉たちは一斉に地上に飛び出し、ガルダストリアに亡命する者とこの街に住み続けた者とで大きく二つに分かれた。
前者のほとんどは、メイヤー夫妻のような非武装の〈チックィード〉たちだった。革命を起こした奴隷兵士たちがまずやったのは、地下の同胞たちを解放して街から逃がすことだった。そしてその後、残った奴隷兵士たちは、王族や貴族たちを倒してこの街を自分たちのものにした。今この街に残っている元〈チックィード〉の者たちのほとんどは、革命を起こした奴隷兵士たちの生き残りなのだという。
「と言っても、最近ターニャねえちゃんがナスカ=エラで捕まってた囚人たちを連れてきたりしたから、今は色んなやつがゼネアにいる。もしかしたらこの地下街に人が住んでたってことを、知らないやつもけっこういるんじゃないかな」
そう言ってヨギはとある横穴の前で立ち止まった。かがんで、入り口に掛けられていた布をめくる。その中には土の上に直に敷かれた藁の束と、何か小さな破片のようなものが置かれていた。
「くかか。やっぱりそのまんま残ってやがる」
「ここは……?」
「オレ様が昔住んでた家。あそこに置いてあるのは折られた角の欠片だ」
そう言って、折れた角の先をさすった。ヨギの額の角は二本とも途中で欠けているが、折れ方は違っていた。片方は角の半分がきれいに切断されている。折れたというより、意図的に折ったような形だ。だがもう片方は先端だけがわずかに欠けているだけ。ここにあるのは半分切断された方の角のようだった。
「ここに住んでいたってことは、やっぱりあなたも……」
ユナの言葉の途中でヨギは頷き、自分の首元を指差した。
「オレ様の場合は肌が赤色だから目立たないけど、ちゃんとここにあるぜ。クソッタレな王様につけられた、桜色の入れ墨がな」
周囲が暗いせいでほとんどよく分からないが、確かに他の場所の皮膚に比べて一部だけ色が薄い。
「お前の他に鬼人族はいたのか?」
リュウの問いにヨギは頷き、ヨギの住んでいたという穴の周囲をぐるっと見渡す。
「いたよ。オレ様と同世代のやつらがたくさん……。この辺は全部、オレ様と同じ船に乗せられてエルロンドに売られた仲間の家だ。ほとんどが王様のせいで死んじまったけどな」
「くっ……」
リュウは拳を固く握りしめていた。爪が手のひらに食い込んで血がにじむほどに。
ナスカ=エラでグエンからも少し話を聞いていた。二国間大戦での戦力増強のため、幼い鬼人族の子どもがさらわれ、エルロンドの奴隷兵士として育てられていたのだと。
実際にヨギがここにいることこそが、それが事実であるという証明になってしまう。
ヨギが生きていたことはリュウにとって喜ばしいはずだったが、奴隷兵士たちが晒されていた過酷な境遇を知るたびに、そもそも自分が幼いヨギを守ってやれたらこんなことにはならなかったと、自責の念に駆られていく。
「ヨギ、俺を殴ってくれ」
リュウが真顔でそう言うと、ヨギは片方の眉を吊り上げた。
「はぁ? あんたとの殴り合いはさっきので
「違う、そうじゃない。本当にお前は何も覚えてないのか? キッシュで起きたこととか……」
「キッシュ?」
ヨギはきょとんとしていた。
思い出そうとはしてみたようだが、やがて眉間にしわを寄せてぶんぶんと首を横に振る。
「知らねぇや。悪いけど、角を折られたショックでそれより前の記憶が飛んじまってるんだ」
そう言って、彼はかつてのエルロンドで行われていた『角折りの儀式』について説明した。
自らの身体の強靭さを誇る鬼人族にとって、人間に角を折られるという行為は痛みだけでなく精神的な苦痛も伴う。
エルロンドに連れてこられた鬼人族の子どもたちは皆、片方の角を折られる決まりになっていた。それは『角折りの儀式』と呼ばれていて、角を折ることで無垢な子どもたちの自尊心を削ぎ、忠実な奴隷兵士として育て上げることが目的だったようだ。実際、ほとんどの子どもたちは角を折られたショックで記憶をなくし、生きていくためにおとなしく王の命令に従うようになっていった。二国間大戦の折には多くの鬼人族の子どもたちがまともな防具も与えられないままに前線に駆り出され、ルーフェイ側についていた同族たちと戦って死んでいったのだという。
話を聞いていてユナは思わず口を覆った。吐き気がしたのだ。同じ人間同士なのに、どうしてそんな非道なことができるというのだろう。
ユナの頭には、初めて「この国の王族が滅んで良かった」という考えが浮かんだ。
それまでは、無意識のうちに革命で滅びた側に対して少しだけ同情してしまっていた。自分が王族だからかもしれないし、遠い国の出来事だったからかもしれない。
だが、こうして空っぽになった横穴を目の当たりにして、王に虐げられてきた人々と直接触れて、自分の中での考えが変わっていくのを感じていた。たとえ先王に特別な事情があったのだとしても、言い訳は人の傷を癒してはくれない。折れたままの角のように、傷痕はいつまでも残り続ける。その傷が、深ければ深いほど、永遠に。
「ごめんな、気分悪くなっちまったか? けどな、これがこの国で起きていた事実なんだ」
ヨギが心配そうにユナの顔を覗きこみ、温かい手で彼女の背中をさすっていた。
「大丈夫……前に、進もう」
ユナはそう言って、誰よりも先に歩きだした。
地下街をしばらく歩くと、やがて鉄格子が立ち並ぶエリアに出た。ヨギ曰く、〈チックィード〉の地下街は元々王城の地下牢から派生したものだという。先王の時代に〈チックィード〉の人口が増えたことで地下牢では足りなくなり、横に掘り進めていったら城下町の地下につながるまで広くなったのだという。
つまりここは王城の真下。
ここから地上に出れば、すぐそこに同盟を結びたい相手がいる。
だが、同盟を結ぶには利害が一致していることが必要だ。
(私たちはまず、彼女のことを知る必要があるんだ……ターニャがいったいどんな思いで革命を成し遂げて、どんな思いで私たち義賊のことを拒絶するのか……)
ユナは後ろを振り返る。
ルカも、アイラも、リュウも、皆神妙な顔つきをしていた。考えていることはきっと同じだ。
ヨギの案内で、地下牢から出る階段を登る。地下の暗さに馴染んでしまったのか、地上の光がやけに眩しく感じた。ヨギが階段の先の扉を開けると、そこには小さな人影が現れた。何者だろうか。何度もまばたきを繰り返していると、次第に目が慣れてきて、人影の正体がはっきり見えてきた。
「お前は……!」
最初に声をあげたのはルカだった。
「お久しぶりです。やっぱり、来てしまったんですね……」
扉の向こうに現れた、白髪の少年——ミハエルは嬉しさと、悲しさ、その両方が混ざったような表情でぽつりと呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます