mission7-16 ヒュプノスの樹海



 無言のままルカたちを取り囲む、行方知れずになっていた人々と、サンド三号。拘束されているわけでもなく、傷を負っているわけでもなく、だが誰もが虚ろな目でルカたちとの距離をじりじりと詰めてくる。


「なぁ、あんたサムって言うんだろ。こんなところで何やってんだ。あんたのお袋さん、きっと心配して——」


 ルカの言葉の途中で、サムの背後から耳障りな羽ばたきの音がした。薄暗い室内の中でうごめく黒い影が、サムの頭の上を通り越してルカたちの方へ向かってくる。


 ユナはとっさに神器に手をかざし、カリオペの歌を口ずさんだ。


 ルカの前に薄桃色のベールが張られたかと思うと、まるで小石が一斉に飛んできてぶつかったような音が響く。じっと目を凝らしてみて、ルカは息を飲んだ。ベールに突進してきたのは黒い小さな甲虫の集団であったのだ。


 ベールにぶつかって地面に落ちたうちの一匹を拾い上げ、ルカは問う。


「サム……こいつらまさか、あんたが操ったのか?」


 だが、いかつい顔の青年は答えない。


 行方不明の人々とはいえ、こちらに敵意を持っている以上は丸腰ではいられない。アイラはルカの背後で神器を構えながら言った。


「虫を操るってことは呪術の一種かしら? ルーフェイ人でないのに呪術を扱うなんて聞いたことが……」


「いや、違う」


 ルカは確信を持っていた。


 ゆっくりと自身の大鎌を構えながら、神妙な面持ちで言葉を続ける。


「おれには聞こえる。たぶん、おれだけに聞こえてる。この力は——眷属の力だ」


「眷属……!?」


 次の瞬間、つむじ風がルカたちの間を吹き抜けた。ここは室内であるにも関わらず、だ。


 ユナは自分の服の色によく似た布の切れ端が目の前に浮き上がるのを見てハッとする。つむじ風に触れた服の裾がまるで刃物のように切り裂かれている。


 風が吹いて行った先を見やると、若い女——ジョーヌの雑誌には「強風注意! バッグのストラップがいつの間にか切り裂かれて中身を盗難される怪事件の主犯」と紹介されていた——の肩の上に、長い鎌のような爪を持ったイタチが座っている。


「こいつらみんな眷属だって言うのか?」


 リュウは自分たちを取り囲んでいる人々を一瞥して言った。虫を操るサムや、カマイタチの女だけではない、他にも人の力を超えた気配を携えている者たちばかりだ。


 そして起動してすぐにリュウに殴りかかってきたサンド三号も、付喪神の眷属の一体。


 一見、共通点などないように思えた行方不明者たち。だが、今相対する彼らには明らかに「神通力が高く眷属の力を使いこなせる者」という共通点がある。


 ここにはいない、シアンも含めて。


「何が、どうなっているの……?」


 不安げに呟くユナに答えたのは、仲間ではなかった。


「キャハハハハハ……あなたなら分かっているんじゃないですか、ユナ姫?」


「!? その声は……!」


 ルカたちを取り囲む集団の向こう側に、いつの間にか濃紺の軍服を着た少年の姿があった。


 ヴァルトロ四神将の一人、”参謀”キリ。


 ルカたちが彼の姿を確認した時には、すでにリュウは強引に包囲網を突破して、その細目の少年の手前まで踏み込んでいた。避けるという判断をさせる隙すら与えず、鬼人化して赤く染まった拳を振り上げる。


「貴様……シアンをどこへやった!!」


 手加減なく下される鉄槌。


 静かだった工場全体に、激しい打撃の音が響き渡る。


 だが、手応えはなかった。キリの輪郭は小豆色の煙となって分散し、リュウの周囲に漂う。


「リュウ、離れて! キリの神石の力は——」


「心配しなくても、彼のような単細胞はボクの力とは相性が悪いですから。夢を見させるなら、もう少し繊細な人間じゃないと」


 少年の声がやけにはっきりと聞こえて、ユナはばっと後ろを振り返る。


 ぞくりと背筋に寒気が走った。


 先ほどまでリュウの目の前にいたはずの少年の姿がすぐそこにあった。外見と内面が不均衡な存在から発せられる不気味な気配が、ユナの中に眠っていた恐怖を呼び起こす。


「キャハハハ! 良い……良いですねぇ! あの時の絶望を思い出すでしょう!? そう、あなたは気づいているはずだ。この工場にボクがいることの意味を……そして自分たちがこれからたどる運命を!」


 怯えて言葉を返せないユナの目の前で、キリの形をした小豆色の煙に二つの穴が開いた。


「ごちゃごちゃうるさいわよ、悪趣味な坊や。私たちは工場のことよりも先に仲間の安否を知りたいの。シアンの居場所を教えなさい」


 自らの身体——と言っても先ほどから手応えがない煙の身体はおそらく分身か何かなのであろう——に砂弾を撃ち込んだアイラに、キリは薄ら笑いを浮かべて言った。


「おやおや、焦っていますねぇ。あなたは一度ボクの力に屈したことがあるから。あの時の傷はもう治ったんですか、ルカ・イージス?」


 キリは腰に差していた杖でルカの左足の太ももを指す。それを見てアイラは奥歯をぎゅっと噛み締めた。以前ジーゼルロックでアイラがキリに催眠をかけられた時に撃ってしまった場所だ。


 だがルカはけろりとした表情で答える。大鎌の切っ先を、まっすぐキリに向けて。


「あんなのは別に痛くもかゆくもなんともないさ。あんたに操られたからって、仲間割れするような関係じゃない」


 ルカの反応が期待外れだったのか、キリは残念そうに肩をすくめる。


「ええ、確かに……あの時点ではまだ不完全でした。ちょっとした衝撃で催眠が解けてしまう。ですが今回はどうでしょうか? これまでは眷属か人かのどちらかにしか夢を見せられませんでしたが、この第五工場は違いますよ」


 そう言ってキリは杖を天井に向かって掲げた。


 杖の先の小豆色の石が鈍く光ったかと思うと、ゴウンという低い音がして地響きのように工場全体が揺れ始めた。やがて地下一階の天井に浮き出てきたのは、まるで樹の根のように張り巡らされた小豆色の筋で、ゆっくりと怪しげに明滅を繰り返している。


「キャハハハハハ……被験体ネズミの皆さん、ようこそボクの『ヒュプノスの樹海』へ! どうかご心配なく、あなたたちの探し物は探し物の方からやってくる……ま、この第一段階の実験を生き延びられたらの話ですけどねぇ!」


 耳障りな甲高い笑い声と共に、キリの姿に靄がかかってだんだんと薄らいでいく。


「待て!」


 ルカは少年に向かって手を伸ばしたが、虚空を掴むだけだった。声だけが不気味に響いて残り、ルカたちを取り囲んでいた人々から向けられる敵意が一層強くなったのを感じる。


「やらなきゃ、ダメなのか……?」


 操られているだけの人々に神石の力で戦うわけにはいかない。だが彼らはキリの指示に従って眷属の力を駆使してくるだろう。何もせずにしのげるような相手ではない。


 ルカは迷いながらも、その手では大鎌の柄を強く握りしめていた。



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