mission7-12 メイヤーズホテル流おもてなし




「もしかして、ジョーヌさんとはお知り合い?」


 メイヤー夫人に尋ねられ、ルカは首を横に振った。


「おれたちはよく知らないんだけど、捕まった仲間……シアンはその人のことを探していたみたいなんだ。一体どんな人だったか覚えてる?」


「ええ、なんだか不思議な方でしたから、よく覚えていますよ。年齢は私たちとそう変わらないはずなのに若者のようにはつらつとしていて、服装はこの辺りのガルダストリア人と変わり映えしないのに、それがかえって違和感というか……こういうの、にじみ出るオーラを隠しきれていないっていうのかしらね」


「オーラ?」


「そう、とにかく普通に街ですれ違ったらふと振り向いてしまうような、そんな空気を持っている方だったわ。それで私思わず『舞台に立つお仕事とかされているんですか』って尋ねちゃったの。そしたら『そんなんじゃありませんが、答弁台の前にはよく立ってましたね』って笑っていらして」


「答弁台……つまり政治家だったってこと?」


 そんな男がなぜ今大罪人として扱われ、シアンと関わりがあるのかは分からない。


 だがこの雑誌を見る限り、どれもヴァルトロやそれに追従するガルダストリア王政の攻撃的な対外姿勢を非難し、平和外交を説く記事ばかりだ。おそらくシアンは政治の面で何かしらの力を持つジョーヌを頼り、ヴァルトロとルーフェイの戦争を防ぐ方法を見出そうとしていたのだろう。


「さ、もう遅いですよ。そろそろお休みになってはどうかしら。その様子じゃ明日ものんびりは過ごせないのでしょう?」


 メイヤー夫人にそう言われて部屋の時計を見ると、確かに針はてっぺんを回っていた。移動の疲れで頭もだんだんぼーっとしてきている。


 これからどうするかは明日の朝に決めよう。ルカたちはそう示し合わせ、ひとまず眠りにつくことにした。




***




「ガルダストリアが恋しい?」


 急に背後から話しかけられ、旧エルロンド城のバルコニーで夜風に当たっていたエドワーズはびくりと肩を揺らす。ゆっくりと振り返ると、ターニャがそこに立っていた。風呂から上がったばかりなのか、銀色の長い髪は無防備に濡れて、月光で艶やかに照らされている。


 エドワーズは思わず目をそらし、元向いていた方向へと視線を戻す。


「ど、どうしてそう思うのかな」


「だってそっちはガルダストリア首都の方角だからさ」


 ナスカ=エラから脱出した銀髪女の一行は、無事彼女たちの本拠地である旧エルロンド王国、今やならず者たちの集落・ゼネアと呼ばれる街に戻ってきていた。


 花薫る都と呼ばれていた豪勢な建造物は形だけ残して、そこらじゅうに散らばる瓦礫や、石壁を覆うツタは誰も手入れせずにそのままになっている。だがかつて支配されていた立場の〈チックィード〉たちにとっては、この荒れ果てた街の方が居心地よく感じるのであった。


「……未練がないと言ったら嘘になるよ。ガルダストリアは良い街だった。生まれや育ちは気にされず、実力のあるものがちゃんと認められて這い上がっていける。その分、力のない者は一生”ストリート”暮らしだけどね」


 エドワーズの背後で、ターニャがふふっと笑う声がする。


「それはいいね。とっても分かりやすいルールだ。弱肉強食……でもそれが行き過ぎるとどういうことになるか知ってる?」


 いいや、とエドワーズが首を横に振ると、ターニャは彼の隣までやってきてにっこりと微笑んで言った。


「どんなに強い者もいずれ老いる。そうすると、今まで通りに狩りができなくなる。そしてこう考えるんだ。そうだ、狩りをしなくても楽に搾取できる構造を作ってしまおう——そうすればたとえ自分が老いても、たとえ跡継ぎの出来が悪くても、築いてきた地位を守り続けることができる、って。……それが、あたしたちの生まれた国の考えていたことだよ」


 エドワーズは何も言い返さなかった。言い返しようがなかった。夜更けの静けさに、ターニャの濡れた髪から滴る雫が地に落ちる音さえ聞こえそうだった。やがてターニャは「ははっ」と軽く笑い、沈黙を破った。


「悪いね、ガルダストリアを悪く言うつもりはなかったよ。あたしが見てるのはヴァルトロの方。あいつらの狩りはいずれ終わる。終わった時に一体何をする気なのか……そんなことを考えると、古傷がうずいてぞっとするんだ」


 そう言ってぎゅっと首のチョーカーを握る。かつて〈チックィード〉であったなら誰しもにある桜色の入れ墨が、チョーカーの隙間から見えている。


「だから僕も君と戦うことにしたんだよ。ガルダストリアは良い街だった……だけどそこで登りつめても、僕の中でくすぶる何かがそれを許してくれはしない気がしたから」


 するとターニャは満足げに微笑んだ。


 そして優しくエドワーズの肩を叩き、「頼りにしているよ」と言って城の中に戻ろうとする。まだ乾かない銀髪の後ろ姿を眺めながら、エドワーズは戻り際の彼女に声をかけた。


「話は変わるけど、ちゃんと髪は手入れしたほうがいい。せっかく綺麗な色の髪なんだから」


 ターニャはふと立ち止まる。ちらりとエドワーズの方を一瞥すると、小さくため息を吐いた。その表情は、夜闇のせいか再会してから今まで見た表情の中では一番物憂げに映った。


「……残念だけど、櫛を持ってないんだ。七年前に失くしてしまったからね」




***




 翌朝。


 ルカたちはメイヤーズホテルで朝食をとりながら今後の作戦について話していた。


「昨日わかったことを整理すると……シアンがヴァルトロ軍に捕まってて、でもこの記事が確かならシアンは第五工場に連れて行かれたかもしれなくて、それでシアンが探してたジョーヌもこの工場に潜入してるかもしれないってことだよな?」


「ええ。そしてそこにはキリもいるかもしれない。……まったく、吐き気がするほどフルコースね」


 アイラはうんざりした様子で言ったが、それは気持ちに余裕ができたからこそだ。


 第五工場がどんな場所なのかはさっぱり分からないとはいえ、これで目的地が明確になった。ただでさえ世界一広い面積を持つヴェリール大陸でやみくもに捜索をしなければならなかった可能性を考えれば、あらゆる目的が一箇所に集中しているのは都合がいい。


 ガルダストリアから第五工場へ潜入するルートを確認しようとした時、食堂に取り付けられた鐘が急に耳障りな音を立てて鳴った。一体何の合図なのだろう。ルカたちがきょとんとしていると、メイヤー夫人がやってきて落ち着いた様子で言った。


「ロビーの方にがいらっしゃったみたいだから、少しの間ここでお待ちくださいね」


 そしてぴしゃりと食堂の扉を閉めきってしまった。ルカは扉に耳を当て、ロビーの方の物音を聞き取ろうとする。数人の足音がホテルの中に入ってくる。


「このホテルのオーナーはいるか!?」


 荒々しい叫び声に、「はいはいおりますよ」とのんびりとした調子で返すメイヤー氏。


「我々はヴァルトロ軍ガルダストリア駐屯兵である! 昨日、手配中のブラック・クロスの連中がエリア・"ストリート"に現れたという通報があった。念のため全ての宿泊所の顧客リストを確認させてもらっている」


「おやおや、それはご苦労なことで。ほれ、これがうちのお客様の一覧じゃ。存分に確認なされよ」


 どうやらメイヤー氏はあっさりと顧客リストを渡してしまったらしい。


 ルカたちは唾を飲む。メイヤー夫人はこの場で待てと言ったが、もし自分たちの身を売るつもりだったとしたら? 人の良さそうな二人を疑う気にはなれなかったが、万が一のことも考えてアイラは脱出ルートを探り始める。その間にまたロビーの方で会話が聞こえてきた。


「ふむ、これは……我が軍の上層部に、ガルダストリアの富豪、それにナスカ=エラの神官まで……!? 驚いた、高級宿という噂は本当だったようだな」


「ええ、おかげさまで賑わっとりますよ。それで……こちらの方々は皆、日々の疲れを癒やしに当ホテルにいらしております。あなた方が大きな足音を立てて踏み込んできたことを、さてどう思われますやら?」


「……!!」


 メイヤー氏の口調は穏やかだったが、彼の言葉に兵士たちは息を飲む。彼らの顔が青ざめていく様子が目に浮かぶようだ。


「ご理解いただけましたかの? 当ホテルを疑うなどお門違いということじゃ。さ、お偉方の怒りに触れぬうちに早々にお引き取りなされよ。お客様同士のトラブルはワシらでは責任を持てませんからの」


「くっ……引き上げるぞ!」


 リーダーと思われる人物がそう言うと、兵士たちの足音が遠ざかっていく。心なしか入ってきた時よりも控えめな足音で。


 食堂の扉が再び開く。耳を当てていたルカは思わず倒れこんだ。扉の向こう側にはメイヤー夫妻がいて、ルカたちに向かってにっこりと微笑んだ。


「さ、もう大丈夫ですよ。貴重なお食事の時間に騒がしくしてすみませんでした」


 何事もなかったかのように言うメイヤー夫人に、ユナは恐る恐る尋ねる。


「あの……良かったんですか? 私たちを匿ったりして。ヴァルトロに追われているのは事実なのに……」


「あら、ご存じなかったの? 私らの宿はもともと宿なのよ」


「……どういうことですか?」


「メイヤーズホテルはエルロンドから逃げてきた同胞や、事情があって追われている人を匿うための駆け込み寺のような場所にするつもりで立ち上げた宿なんじゃよ。おぬしらのような訳ありの方々が安く泊まれるよう、一般客から高値を取るようにしたら、いつの間にやら高級宿扱いでな」


 メイヤー氏は苦笑しながらそう言った。


「それじゃ元々おれたちに招待状を渡してくれた理由って……?」


「あなたたちのこと、一目見て分かったわ。きっと不当な理由でヴァルトロに追われてるんじゃないかって。だからいつかお役に立てばと思って渡したのだけど、まさかこんなに早くに機会が来るとはねぇ」


 夫人の方は普段と変わらない穏やかな表情だったが、かえってそれがこの二人の底知れなさを示しているようであった。敵じゃなくてよかった、とそう思わずにはいられない。


 食事を終え、ルカたちがホテルを出る支度をしているとメイヤー夫人は「そうだ」と何かを思い出したようだった。彼女は支配人室に入っていくと、小さな木箱を持って戻ってきた。


「宿代の代わりに……なんてあつかましいかもしれませんが、もしターニャ様に会う機会があったらこれを渡してくれませんか? この間の闘技大会での様子を見る限り……きっと今でも必要とされているでしょうから」


 それはユナの手のひらにも収まるほどの小さな木箱だった。表面はつややかに仕立てられて花の彫刻が美しい。ふと裏返してみると、そこには人の名前が彫られていた。




 『イェレナ・バレンタイン』と。




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