mission7-2 二つの支給品



「ジョーヌ?」


 穏やかな海の上で、ルカ、アイラ、ユナの三人はリュウの話に首をかしげていた。


「聞いたことのない名前ね。あなたとシアンがガルダストリアに入った目的は、単純な動向調査だけではなく、そのジョーヌとかいう男を探すためだったってこと?」


 アイラが確認すると、リュウは腕を組みながら頷いた。


「ああ。だが俺もその男がどんな奴なのかは知らん。シアン曰く、ブラック・クロスの立ち上げに大きく関わった人間らしいが」


 ルカたちはノワールから遣わされた迎えのカゴシャチに乗って、ガルダストリア領であるココット港へ向かっていた。


 カゴに乗っているのはルカ、アイラ、ユナ、リュウの四人。ガザはターニャ・ヴァレンタイン脱獄によって破壊されたナスカ=エラ市街の復興を手伝ってからキッシュに戻るらしく、今回の目的地からは別行動だ。


「立ち上げってことは……十二年前ね。ちなみに私がブラック・クロスに入ったのは七年前。それでも名前を聞いたことがないってことは、最近はあまり関わりがなかったのかしら」


「おそらくな。シアンが言うには、その男はブラック・クロス立ち上げの後に引退するとか言って行方をくらませて、今どこにいるのか分からないらしい。ただそいつはどんなに重罪人扱いされようが、ガルダストリア国内にとどまるのが矜恃のようでな。シアンは国内をしらみつぶしに探せば見つかるだろうと言っていた」


「重罪人なの……? 一体どんな人なんだろう」


 ユナは不安げな声を上げたが、この中にはそれに対する答えを持っている者はいなかった。リュウも移動しながらシアンにジョーヌの話をされたので、あまり詳しく聞く時間はなかったようだ。


「とにかくシアンと合流して聞き出せばいい。だがアイラ、お前が何も知らないなんて意外だ。この中じゃ一番の古株だろう」


 するとアイラはおもむろに宙を見上げ、ふぅとタバコの煙を吐きだす。


「……あなたもよく分かっているでしょう? ブラック・クロスはみんな明るく振舞ってるように見えて、普通の社会じゃ生きていけない人間の集まりよ。互いの過去について詮索するのはタブー。付き合いが長くても知らないことはたくさんあるわ。だから立ち上げの頃の話はほとんど聞いたことがないのよ」


 ユナの目には、アイラの表情は少しだけ寂しげに見えた。言われてみれば、ルカだけでなくアイラやリュウがブラック・クロスに入る前にどんな風に過ごしていたのか知らない。


 ルカは記憶を失っていて、アイラは故郷が戦場となり、リュウはハーフであるがゆえに鬼人族の里で肩身の狭い思いをしていた……そこまでは聞いたことがあるが、どれも彼らにとっては悲しみの伴う過去だ。あまり深掘りしようという気にはなれない。アイラがシアンやノワールの過去について詳しく知らないのも、同じ思いによるものなのだろう。


「ルカ、あなたはクレイジーが何か聞いてないの? あの男もシアンと同じく、設立当時からのノワールとの知り合いだったと思うけど」


 アイラに言われてルカは「うーん」と頭を抱えていたが、やがて何か思い出したように顔を上げた。


「ジョーヌのことは知らないけど、立ち上げの頃の話なら少し聞いたかもしれない。ノワールがブラック・クロスを作ったのは、もともと制海権を守るためだったって」


「制海権……?」


 制海権、文字通り海を制する力。


 それを守ることが目的だったということは、ブラック・クロスとは初めは義賊ではなく、何か別のものを掲げていた組織なのだろうか。


 ユナが詳しい話を聞こうとした時、ルカたちを運ぶシャチがキュイイイイと高らかに鳴いた。前方に陸地が見えてきている。


 ヴェリール大陸だ。


 この世界の北半分に広がる最も大きな大陸で、かつては工業大国ガルダストリアが栄華を誇った土地。だが今やそのほとんどが、西部に地続きで位置するニヴルヘイム大陸からやってきたヴァルトロの支配圏である。


「そろそろ着くわね。今のうちに支給品を確認しておきましょうか」


 アイラはそう言って、ノワールの手書きによるミッションシート——確かにホットレイクに入る前に見たものよりは読みやすくなっているが、相変わらず幼子のように字が汚い——を広げた。


 支給品はカゴシャチを除くと二つ。「メイヤーズホテルのしょうたいじょう」と「へんそうグッズいっしき」とある。


「この『メイヤーズホテルの招待状』ってのは一体何なの?」


「あ、もしかしたらこれのことかも」


 ユナは自分のポーチから一枚の名刺を取り出した。ナスカ=エラでメイヤー夫妻と別れる時にもらったものだ。それは表側が名刺になっていて、裏側は彼らが営むホテルの宿泊券になっていた。


 ユナがそれを見せると、横に座っていたルカはぎょっと目を見開く。


「え、ちょっと待って、メイヤーズホテルってもしかして」


 そう言って彼が取り出したのは世界中で配布されている旅行雑誌『テケテケ』だ。各地の食べ物や観光スポットが記されていて、ルカはショップに寄るたびにこの雑誌を買ってはアイラに「旅行じゃないんだから」と突っ込まれている。それでも買うのをやめないのは、本人曰く、もはや理性ではなく旅好きとしての本能らしい。


 ルカはページをめくってある特集を開く。ガルダストリア首都の宿泊所に関する特集のようだ。


「メイヤーズホテルって言えば、ガルダストリアで最高評価の宿屋だよ! 普通なら一泊三万ソルとかする高級ホテルなのに……まさか、メイヤーさんたちがやってる宿ってのがここのことだったなんて!」


 確かにそのページには一番最初に大きく掲載されていて、「まるで貴族のようなひとときを。物腰柔らかな老夫婦が営む高級ホテル」という謳い文句のそばにメイヤー夫妻らしき人物の似顔絵が描かれていた。


「格式高い宿……私たちにとってはいい隠れ蓑になるかもしれないわね」


「どういうこと?」


「高級な場所は出入りできる人間が限られるでしょ。ガルダストリアではヴァルトロの影響が強いから、至る所に私たちの手配書が貼ってあるのよ。だからあまり不用意に人の目に晒されるようなことはなるべく避けたいってわけ」


「そっか。それで、支給品の中に変装グッズも入ってるんだね」


 ユナがそう言うと、アイラはふと何か思い出したのか、きょろきょろと自分たちが乗っているカゴの中を見渡し始めた。


「どうしたの?」


「そう言えばその変装グッズがさっきから見当たらないのよね……ノワール、カゴの中に入れ忘れたのかしら」


 ユナも周りを確認してみたが、それらしき荷物は積まれていない。


「まさかこのまま上陸するのか? それはさすがに自殺行為だ。俺は一度ココット村の人間に顔を見られているから余計に——」




——バシャーンッ!




 リュウの言葉が途切れる。突如脇から大きな波しぶきが上がったのだ。頭から海水をかぶることになり、全身びしょ濡れになったリュウが海の方を振り向くと、そこには一頭のシャチが何かをくわえた状態でこちらに向かってキュイキュイと鳴いていた。ルカたちを運ぶシャチも返事をするように鳴いている。


「何だろ、ノワールからの遣いかな?」


 ルカがシャチに向かって手招きすると、ゆっくりと近づいてきて大きな口をがばっと開けた。


 その中には、海水なのかシャチの唾液なのか、何かでびっしょり濡れた国防色の軍服が四着。


「ガルダストリア海軍の制服ね……まさかこれを着ろと?」


 アイラが恐る恐る尋ねると、シャチは嬉しそうに顔を縦に振る。


 四人は渋々シャチの口の中にある軍服を手に取った。ベタベタになっていて袖を通すのがはばかられる状態だが、何の変装もなしに上陸して捕まっては本末転倒だ。それに、ガルダストリア軍の格好であればいろんな場所に顔も利くだろう。シアン救出のための近道になる。


「それにしてもお前、こんな服一体どこで調達したんだ?」


 ルカが尋ねると、シャチは「キュイ!」と短く鳴いて片方のヒレで沖の方を指した。遠くてはっきりとは見えないが、軍の調査船らしきものが大破して沈みかけているのが見える。


 見なかったことにしよう、とルカはその難破船に背を向け、ユナに向かって囁いた。


「……知ってるか? こいつらは大人しそうに見えて、海のギャングとか呼ばれてるゾクシャチって種族なんだ」


 ユナは頷く。


「そんなゾクシャチたちが言うことを聞くなんて……ノワールが海を支配しているって言っても過言じゃないよね」


「はは、なんか似合わないけどな」


 相槌を入れるかのように、ルカたちを運ぶカゴシャチが高い音で鳴き、再び陸に向かって泳ぎだした。


 任務のためとはいえ、こうして自分の正体を隠して新しい土地に入るのはなんだか少し胸が高鳴る。ユナが着替えながらアイラにそう伝えると、彼女は「まるでルカみたい」と言って呆れた表情で笑った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る