mission7-3 ユナ少佐
ココット村はガルダストリア領土の南部に位置する小さな漁村だ。
ユナは思い出す。幼い頃、もともと漁師であったキーノの父親が世界各国で獲れる魚の種類の違いについて話してくれたことがあった。
コーラント周辺の海は浅瀬の広がる穏やかな環境のため、あまり遠出をしなくても餌が見つかりやすく、競争も激しくない。ゆえに比較的体長の小さな魚が多く、皮ごと焼いたり酢漬けにしたりする調理法が一般的だ。
一方ガルダストリア南部に広がる海は、各所からの海流がぶつかり合うような環境になっているため、遠距離を泳ぐ大型の魚がよく穫れる。そのためココット村では、身が引き締まっている赤身魚を固くならない程度にさっと火を通し、野菜を煮込んだソースをかけた料理が好まれるのだと言う。
そして実際、食欲をそそるかぐわしい香りを放つ魚料理が今、ユナたちの目の前に並べられている。
「ささ、海水にあたってお身体も冷えていることでしょうし、早いうちにお召し上がりください!」
「……」
ユナは黙ってナイフとフォークを手に取った。
海上で変装してから上陸したユナたちは、ココット村の村長の家でどういうわけか豪勢な食事によってもてなしを受けている。
おそらくシャチが調達してきたガルダストリア海軍の制服のおかげなのだろう。ココット港に着くなり、村人たちはすぐさまこちらに気づき、居直ってお辞儀をしてきたのだ。村人の一人にアイラが「船が壊れてしまったので少しのあいだ滞在させてほしい」とそれらしい嘘をつくと、彼は何の疑いもなくこうして村長の家へと案内した。
(うん、まぁ……うまく村の中に入れて、それは良かったんだけど)
ユナの気が進まないのは、単純に村人たちを欺いているからだけではなかった。
「おや、どうされました少佐!? もしやお口に合わないものでもあったのでは……」
ユナの顔色を伺いながらひどく狼狽する初老の村長に対し、彼女は慌てて首を横に振った。そして誤解を解くよう、料理に手を伸ばす。じゅわりと魚料理の芳醇な味わいが口の中に広がり、ユナはその美味しさを伝えるために村長に向かって今度は縦に頷く。村長はほっと胸をなでおろしたようだ。
実は彼女は今、言葉を発することができない。
彼女が着ているのは、男性のガルダストリア海軍少佐の制服だからだ。
喋れば女であることがバレてしまう。
なぜこうなったのか——理由はカゴシャチの上に乗っていた一時間ほど前にさかのぼる。
シャチがルカたちに渡したのは軍服四着。
はじめは何の気もなくそれぞれ一着ずつ手に取ったのだが、着替え始めてみてどうやらガルダストリア海軍の制服は男女でデザインが異なることが分かったのだ。
手元にあるのは男性ものが三着、女性ものは一着。
ルカは再び女装をしなければいけない可能性を逃れて安堵していたようだが、今回はアイラとユナのどちらかが男装をしなければいけない。
だが、ガルダストリア海軍の制服は身の丈に合うように作られており、アイラが男性のものを着ようとすると身体のとある一部でサイズが合わない。
一方男性ものの三着のうち、最も小柄な制服であれば、ユナは何の違和感もなく着ることができた。ゆえにユナの方が男装することになったのだ。
(まぁ……うん、それもしょうがないよねとは思ったんだけど)
ユナはちらりと自分の制服の胸元につけられているバッジを見る。着替えた時は特に気にしていなかったのだが、どうやらこの制服の持ち主は四人の中で最も地位の高い人物だったらしい。
ユナが着ている制服に堂々と輝く、少佐の位を示すバッジ。他の三人は中尉クラスのようだ。
おかげで年上のアイラを差し置いて一番上座に座らされ、村長や村人たちに常に顔色をうかがわれる始末。
王族であるとはいえ、あまり大勢の人々に敬われたことのないユナにとっては非常に落ち着かない状況であった。
食事を終えると『アニスティー』という飲み物を出されたが、アイラは小声で手をつけないようにと囁いた。どこかで嗅いだことのある香りだと思ったら、シアンが作る『シナジードリンク』と同じ成分が入っているらしい。普通の人間にとっては何の変哲もない茶であるが、神石の共鳴者にとっては神通力を弱める作用を持つ。
「何か……問題ございましたかな?」
きょとんとする村長の表情を見る限り、故意で出したものではないのだろう。
アイラは「いいえ」と首を横に振り、村長に尋ねた。
「どうしてここまでしてくれるんですか? あなたたちには軍人をもてなす義務なんてないでしょう」
すると村長は腰を低くして前に進み出る。
「いえね、実は……軍の方々にお願いごとがございまして」
「何ですか? 教えてください。内容によっては少佐が上に報告してくれますよ」
「……っ!(アイラ、勝手に話を進めないで!)」
「おおそれはありがたい。率直に申し上げますと、今度のルーフェイとの戦いの際には十二年前の機会をもう一度いただけないかと思っておりまして……」
「十二年前の機会?」
「ええ、ココット村を海防拠点として再開発していただくという、例のお話です」
村長曰く、その計画は一度頓挫してしまっているらしい。
確かに村長の家に案内される途中で村の様子を見たが、古びた家がぽつりぽつりと建っているだけで、工業大国ガルダストリア領内にある割には機械の姿もほとんどなく、下手をすればコーラントの市街よりも発展が遅れているように見えた。開発が行われたような形跡はまるでない。
「なんでその開発ってうまくいかなかったんだっけ? えっと、その、おれは最近海軍に入ったばかりで、昔のことをあまり知らないから教えてほしいんだけど」
「おお、それは失礼しました。恥ずかしながら、うちの村の者の裏切りのせいなのです」
「裏切り者? それってまさか……」
ユナたちは互いに顔を見合わせる。十二年前、このココット村出身で村人たちとトラブルがあったとすれば。
「さすがにご存知ですか。ええ、シアンという女です。ボディーガードを
「ジョーヌ……」
カゴシャチでリュウから聞いた男の名前と同じだ。
「それで、その女……シアンは一体どんな裏切りを?」
アイラが尋ねると、村長はギリと奥歯を噛んで絞り出すような声で言った。
「”制海権”を王のもとに献上せず、外部に持ち出してしまったんですよ……! あれさえあればガルダストリアが世界の支配者になってもおかしくはなかったのに、あろうことかシアンは祖国を裏切り、ブラック・クロスとかいう偽善団体へと身を転じてしまった。おかげで海で戦争が行われる可能性はなくなり、ココット村の再開発の計画も白紙になってしまったのです」
村長は憂いを帯びた眼差しで部屋の窓の外を眺める。
「あれからこの村はますます過疎化が進み、『
ガタン! 椅子が後ろに倒れる音が響く。リュウが勢いよく立ち上がったのだ。
「貴様……まさかそんなことが目的でシアンを!」
アイラは慌てて彼の口を塞ぐ。幸い、村長はリュウが突然怒り出したことに縮み上がってこちらの正体にまで気が回らなかったようだが、リュウはすでに怒りを制御しきれておらず制服の袖の下から見える腕の一部が鬼人化しかかっている。
怯えて床に座り込む村長に対し、アイラはなだめるように言った。
「悪いわね。彼、海で溺れかかって気が立っているのよ。で……そのシアンは今どこに?」
「それがつい昨日ヴァルトロ軍の方がいらして、身柄を引き渡したところです。海軍には共有されておりませんか?」
当然、ガルダストリア軍でもないアイラたちがその事実を知るはずがない。
ということは、シアンはすでにこの村の中にはいない。彼女を見つけ出すには、ヴァルトロ軍によってどこに連行されたか調べるのが急務だ。
アイラはルカたちに目配せすると、にこやかに微笑んで言った。
「たぶんどこかで連絡が行き違ったのね。村の人たちにも詳しく話を聞いてみるわ」
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