mission7-1 張られた罠
頭が重い。吊るされた腕の指先からは血の気が引いて、じんわりと痺れる感覚がある。
(ここは……)
シアンはハッとしてまぶたを開いた。
一瞬、何も見えない。
徐々に目が慣れてきて、それがなぜか分かった。まるで濃霧のように
(ココット村……じゃないわね。こんな施設無かったはず。一体どこに連れてこられたのか……)
身体は動かない。手足を何かに括りつけるようにして拘束されているようで、一歩もその場から離れられなかった。
(普段の力が出れば、これくらいどうってことないのに)
力が空回りして上手く入らない。意識を失っている間に何か薬を飲まされたのかもしれない、とシアンは口の中に広がる癖の強い苦味を噛み締めながら思う。
これは『ココットアニス』という村周辺で採れる黒紫の香草をすり潰して抽出するエキスの苦味だ。ココット村の漁師たちが夜間漁の際に飲む滋養強壮剤に調合されるものであり、シアン自身もそれをアレンジした『シナジードリンク』によく使う。
つまり、ココットアニスのエキスは濃いほどに人間の覚醒につながり、一方で神通力を弱める効果を持つ。
その証拠か、シアンが頭の中で何度呼びかけても、付喪神の眷属であるサンドシリーズからは一切応答がなかった。これでは仲間に居場所を伝えて助けを呼ぶことができない。
仕方ない、とシアンはサンドシリーズに連絡を取るのを諦め、目を凝らして今いる場所を捉えようとする。
すると、たゆたう煙の向こうからコツコツと小さな革靴の足音が近づいてきた。姿を現したのは、二本の杖を腰に添えた軍服の少年。
「"参謀"キリ……! これはあなたの命令だったのね」
幼いながらにしてヴァルトロ四神将の一人たる細目の少年は、ニコニコと微笑みながら首を傾げた。
「命令って、身柄を拘束したことですか? キャハハハハ! とんでもない誤解です。ボクはただ、ココット村の村長に『近いうちにブラック・クロスの人間が港に寄るかもしれない』と伝えておいただけですよ。あなたを見つけても、ボクに報告するかどうかは村人たちの意思次第。ということは、つまり」
キリはシアンに一歩近づくと、あどけなさの残る顔つきには似合わないほどに口角を吊り上げた。
「……あなたは、故郷の人間たちに匿われるどころか見捨てられたってことです。まぁそうされる理由は、自分が一番分かっていることだと思いますけどねぇ」
キリのわざとらしい声音はシアンの神経を逆なでするかのようだったが、彼女はただ黙って奥歯を噛み締めた。キリの挑発に乗らないためというよりは、単純に返す言葉がなかったのだ。
十二年前、彼女はあるものを守るために大事なものを失った。
それは、故郷ココット村での信頼。
(みんなを裏切ったのは私のほう……許されるわけないと分かっていたはずなのに、時間が経つにつれて気が緩んでしまっていたんだ。ここに捕まっているのは……きっと、その罰ね)
シアンは自嘲気味に笑うと、顔を上げてキリに尋ねる。
「それにしても、なぜ私たちの動きが分かったの? あなたたちは今、ルーフェイとの戦闘準備の真っ最中のはず。私たちに構っている暇なんてないんじゃない?」
するとキリは甲高く耳障りな笑い声をあげた。
「ボクたちのことを甘く見すぎですよ。戦闘準備なんてフロワやアランに任せておけば十分です。そんなことより……下手をすればルーフェイ一国よりも厄介な男がこの大陸の中にいますから。あなたたちはきっと戦争を止めたがる、ならば彼を頼るだろうと踏んでいたんです」
キリはそう言って、懐から几帳面に丸められた手配書を取り出し広げて見せた。そこに描かれている男の顔に、シアンは目を見開く。
齢六十を超える年頃だが、髪も髭も白ひとつなく焦げ茶色に潤い、らんらんとした瞳の輝きはそこらの若者にも引けを取らない。一見人当たりが良い善人のようだが、この国・ガルダストリアでは二十年以上前からずっと指名手配され続けている男。
そして、シアンとノワールが義賊ブラック・クロスを立ち上げるきっかけとなった男。
「やはり……図星のようですね」
低い声が響く。
それまでニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていたキリの表情が一瞬真顔になり、シアンは急に背筋が凍るのを感じた。
ヴァルトロ四神将の”参謀”キリ。彼に会ったことのある者たちは皆口々に言っていた。とても少年には思えないほどの頭の良さと、無邪気な子どものものとしか思えない残酷さを併せ持っていて気味が悪い、と。
だがこうして実際に相対してみて、シアンはそれとは別の感覚を彼に抱いていた。
彼から発せられているのは、そんな表面的な違和感ではない。
シアンには分かる。
何か別の、底知れない怨念のようなものがこの少年の身体の中に渦巻いているのだと。
ただ真顔になったというだけなのに、その一瞬の間にシアンに向けられた殺気は、武芸を極めた彼女が思わず「恐ろしい」と感じてしまうほどに鋭いものだったからだ。
シアンは自分を落ち着けるように深く息を吸う。
「どうして私たちと彼の関係を知っているの? 誰にも知られてこなかったはずよ。知っているとしたら、私たちと、十二年前のガルダストリアの——」
急に言葉に詰まる。
口を開いているのに、上手く声が喉の奥から出てこない。にもかかわらず、自分の声が幾重にも頭の中で反響しているかのような感じがする。
「う……な、何、これ……」
やがて視界が後ろの方からぐにゃりと歪んでいき、手前に見えるキリの姿が焦れったいほどにゆっくりと時間をかけてねじれていく。
幻覚だ。
シアンはそう思って目をつむろうとしたが、目の前の映像が途切れることはなかった。彼女は自分の力でまぶたを閉じることができなかったのだ。眠りに落ちる寸前のように重いまぶたが、釘で打ち付けられて固定されているかのように、ビクともしない。
視界も音も何もかもがいびつになっていく中で、キリの耳障りな笑い声だけがやけにはっきりと聞こえた。
「キリ……あなたは、もしかして…………」
「考えてもムダですよ。あなたはこれから人質兼実験台として、ボクのために働く駒になるんですからね……! キャハハ……キャハハハハハ……!」
シアンはバラバラにされてしまった身体の感覚を寄せ集め、必死に思考を働かせようとする。だが、その努力をあざ笑うかのように、キリの声は彼女の頭に直接響いて支配していく。
(だめだ……何も、考えられない……ノワール…………これは、罠……)
伝えようとしてもサンドシリーズには届かない。
シアンの意識はそこで途切れてしまった。
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