mission6-28 カメリヤの娘の悲劇



「ここまでで大丈夫じゃよ」


 出国ゲートの手前で、メイヤー老人が口を開いた。ルカたちは今日で旅行を終えて帰国するという夫妻を見送りに来ていたのだ。


「メイヤーさん、帰国してからもお元気で。本当はもう少しお話できればよかったんですけど」


「それはワシらもじゃよ、ユナさん。ターニャ様の安否も気がかりじゃしの……しかし今のワシらには守るべき家と店がガルダストリアにある。これ以上は滞在できんのじゃ」


 老人はそう言って懐から一枚の名刺を取り出しユナに手渡した。


「ワシらはガルダストリアの街で宿屋を営んでおる。もし近くに来る機会があったら遊びにおいで」


「はい、ぜひ……!」


 老人は荷物を担いで出国ゲートをくぐろうとする。しかし夫人の方はその場に立ち尽くしたまま動こうとしなかった。彼が妻の名前を呼ぶ。しかし彼女は出国ゲートの方には振り返らず、ルカたちの方へと駆けてきた。そしてその皺が刻まれた手でルカの手を取る。


「ごめんなさい、あなたたちにはこの国でやることがあるってことは分かっているわ。だけど……身勝手なお願いだけど……聞いてもらえないかしら」


 老婦人の手はよくよく触れてみると古い傷や肌荒れが多く、そこには彼女が以前〈チックィード〉という最下層の階級で働かされていた歴史が刻まれているような気がした。


 ルカは彼女の手を握り返し、視線を上げて言う。


「聞くよ。おれたちは義賊だから」


 その言葉を聞いた瞬間、老婦人の目尻には涙の粒が浮かんだ。「ちょっと、ルカ!」とアイラは短くたしなめるが、彼には響かない。アイラもルカが言い出したら聞かない性格であることを承知しているので、それ以上は何も言わなかった。


「で、メイヤーさん。その”お願い”ってのは一体何なんだい?」


 ルカが尋ねると、メイヤー夫人はすがるような格好で声を震わせた。


「無理を承知でのお願いです……ああどうか……どうかターニャ様をお救いくだされ……!」


 すると夫の方がバタバタと戻ってきて慌てて彼女の顔を上げさせる。


「お前、それは言わないと約束しただろう! ワシらはもう今の生活を手に入れた。過去を引きずることはワシらの今の立場を危うくすることにもなるんじゃぞ!」


「分かっておりますとも……! だけど、私らの恩人であるあのお方が危機に晒されているというのに、私らが何もしないなんて……そんなわけにはいかないでしょうっ……」


 その場に泣き崩れる老婦人。


 ここは出国ゲートだ。旅人たちが行き来する場所。先ほどから横を通る者たちに不審な目で見られている。


「とりあえず場所を移そうか」


 ガザの提案でルカたちは近くの喫茶に入ることにした。なるべく人の多い店を選んだ。ここならあまり部外者に聞かれたくない話も喧騒にかき消される。


 老婦人が落ち着いた頃合いを見て、アイラは声を潜めて言った。


「まず先に確認させてもらえないかしら。ターニャ・バレンタインは一体何者なの?」


 老夫婦は互いに顔を見合わせる。そして夫の方がルカたちに向き直ると、落ち着いた声音で言った。


「あのお方は……とても可哀想なお方なのじゃ」


「可哀想?」


 老人は縦に頷く。


「旧エルロンド王国には生まれによって決まる四つの階級があった。〈ブロッサム王族〉、〈カメリヤ貴族〉、〈リリーベル平民・商人〉、そして我らが〈チックィード奴隷〉。階級は滅多にくつがえることはないが、王の一存によってその階級を変えられてしまう者も中にはいた。ターニャ様は……〈カメリヤ〉から〈チックィード〉に没落した元貴族のお嬢さんなんじゃよ」


「あの人が貴族……!? ちょっと信じられないよ」


 ルカがそう言うと、アイラやユナも隣で頷いた。これまで見てきた彼女の平気で人を騙す振る舞いや飄々とした態度はとても貴族令嬢とは思えないものばかりだ。


「仕方のないことじゃよ……あのお方の人生の半分は奴隷兵士として常に命の危険にさらされてきたのじゃから」


「ターニャはどうして〈チックィード〉に没落したんだ?」


「彼女のご両親が王様に目をつけられてしまったのじゃよ。バレンタイン家は代々国の司法を守るお役目を担っていた。ターニャ様のお父上はとても正義感の強いお方だったのじゃが、ゆえに王の不正も糾弾しようとしてそれが王に勘付かれてしまった。王はバレンタイン家を全員死罪にし、当時まだ幼かったターニャ様だけは自らの慰みものとするために〈チックィード〉として生かし置くことにしたのじゃ」


 メイヤー夫人が再び嗚咽を始める。旦那は黙ってその背をさすってやる。


「家内は……元々バレンタイン家で給仕をしていた〈リリーベル〉じゃった。ゆえに、ターニャ様が〈チックィード〉とされるときに少しでもあのお方のお側にいられるよう、自らも申し出て同じ身分になることを選んだのじゃ。ゆえに思い入れが強くてな」


「そう、だったんですね……」


 ユナはメイヤー夫人の涙を見ていられなかった。話を聞いていくうちにコーラントにいるミントの姿に重なって見えてしまったからだ。


「ターニャ様が闘技大会で使っていた光の剣があったじゃろう? あれはバレンタイン家に伝わる”裁きの剣”じゃ。ターニャ様は王に『奴隷兵士として功績をあげれば剣を返す』と言われて、それはもう健気に働かれておられた。それが王の戯れであったとも知らず危険な任務を進んでこなし、二国間大戦の時にはエルロンド軍の最前線に立っておられたそうじゃ」


「もしかして彼女はそこで……」


「破壊神を見た、ということね」


 それであれば彼女が破壊神の正体を知っていたことのつじつまが合う。


「ワシらは戦場にいたわけではないから詳しいことはわからん。じゃが『終焉の時代ラグナロク』が始まり、戦争が終結し、エルロンド軍が国に戻ってきた時……そこに王はいなかった」


「まさか……!」


「そう。殺されたのじゃ」


 ルカたちは息を飲む。つまりそれがエルロンドの革命の始まり。


「あの日のことは今でもはっきりと思い出せる。王の帰りを祝うために用意した装飾品たちは戦地から戻った奴隷兵士たちによって踏み荒らされ、あっという間に影も形もなくなった。奴隷兵士たちは一糸乱れることなく、まるで任務をこなすかのように着実に革命を進めておった。彼らは我々〈チックィード〉たちを解放し、〈ブロッサム〉や〈カメリヤ〉を襲う。我々はいち早く国を出るように言われ、襲われた者たちがどうなったのかは知らん。ターニャ様の無事を確認する余裕さえなかったのじゃ。だが……今思えばあの時王の首を掲げて奴隷兵士たちに指揮をしていた者、あれがおそらくターニャ様だったのじゃろう」


 大それた話だが確かに彼女なら可能だ。ターニャの持つ神石ヴァルキリーは人の中にある意思をコントロールできてしまう。階級制度に不満を持っている人たちの士気を上げ、その怒りの矛先を一つにまとめる。彼女はそれを審判の力だと言った。バレンタイン家の生業なりわいと一致しているのは偶然か、はたまた必然なのか。


「戦場で一体何があったんだろうな。だってそれまでターニャは王に刃向かおうとはしなかったんだろう?」


 ガザが首をひねる。その時、ルカの頭にはキッシュで言われた彼女の言葉がよぎっていた。


「『世の中には神石と共鳴しない方がいい人間だっているんだよ』——あの人、おれに向かってそう言ったんだ。最初は破壊神のことかと思ってたけど、もしかしたら違うのかもしれない」


「どういうこと?」


「自分のことだよ。『終焉の時代』が始まって神石が使えるようになって、きっとあの人はヴァルキリーの力で見えてしまったんだ。どれだけ王のために力を尽くしても自分は報われないってことに」


 ルカは苦い顔をして言った。


 ターニャが意図したのは破壊神と彼女自身のことだけではない。「君なら分かってくれると思うんだけどな」などと言われたルカもそこに含まれている。


 神石によって運命を変えられた人間——きっとそういう意味で。


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