mission6-27 遠きあの日に想いを馳せて



 ルカたちは牢獄塔バスティリヤでの用を終えると、元来た道を戻って地上に抜け大聖堂前の大広場に出ていた。


 周囲はすっかり暗闇に包まれている。夜だ。昼間の闘技大会の設備はあっという間に片付けられており、大聖堂前は初日の朝に見たような通常通りの姿を取り戻している。


 闘技大会で熱狂したゆえの疲れだろうか、周囲に出歩いている人はほとんどいない。静寂な広場の奥に佇む大聖堂は、昼間見るよりもずいぶん厳かに見えた。


「せっかくだからステンドグラス見ていこうか」


 ルカが声をかけると、ユナは迷うことなく頷いた。


「あ、そう。じゃ私は先に宿に戻っているわ。何も言わずに出てきちゃったからガザも心配しているだろうし」


 そう言ってアイラは一人スタスタと宿屋のある方へと歩いて行ってしまった。


“おーおー、気ぃ使わせちゃってんなぁ”


(ちょっとタレイア!)


 ユナは顔を真っ赤にしながら頭の中で叫んだ。おそるおそるルカの方を見る。今のタレイアの声はルカにも聞こえてしまっているはずだ。しかしルカはタレイアの言葉が意味するところには気づいていないらしく、「今のがタレイアか。闘技大会の時はありがとうってお礼伝えといてくれる?」などとのん気に言う。


 やれやれとユナは小さなため息を吐いた。自分でもよくわからないのだ。この感情の正体を知りたいのか、知りたくないのか、そしてルカに知ってほしいのかどうか。


 二人は大聖堂の前まで歩く。


 目の前まで来てみると大聖堂がいかに大きな建物であるかよくわかった。ここから屋根のてっぺんに取り付けられているミトス神教会の太陽のシンボルを見ようものなら首が痛くなってしまいそうだ。


 大聖堂は闘技大会のような特殊な行事がない限り一日中解放されているらしい。ルカたちは正面のエントランスから中へと入った。やはり人はおらずしんとしている。


 二人はそのまま奥にある祭壇の方へと向かった。祭壇の向こう側にのステンドグラスがあるのだ。一歩進むたびに、祭壇とエントランスを結ぶ道の両脇に置かれた蝋燭の小さな橙色の炎が揺れた。その儚げな動きが、幼い頃寝付けない日の夜に枕元に置いた蝋燭の姿と重なった。


「昔キーノとね、どっちが先に創世神話を読みきるか競争したことがあったの」


 少しだけ前を歩くルカの背中に、ユナは語りかけた。


「結局勝ったのは私の方だった。キーノは読むのは早いんだけど、一つのことが気になりだしたら止まらない性分なんだよね。創世神話の表紙にあるステンドグラスにちゃんと『最後の神議かむはかり』に参加している神様が全員いるかとか、神話の中身とその立ち位置は一致しているかとか、そういう細かいことを気にしだしたら読むの止まっちゃったみたいで」


 当時のことを思い出して、ユナはふと笑う。


「しかもね、表紙って創世神話のタイトルがステンドグラスの絵とかぶっちゃってるから、一部何が描かれているのか分からない場所があるでしょう。だから結局キーノの気になることは全部は解決しなくて、ここの大聖堂を目で見て確かめたいってずっと言ってたんだ」


 話しているうちに、そのステンドグラスの前まで来ていた。月光に照らされて、極彩色の光が大聖堂の中に差し込んでいる。


 ユナの頬の上を一筋の涙が伝った。


 悲しいとか、嬉しいとか、そういう感情が湧きあがったわけではなかった。ただただ、ステンドグラスを見ていたらその美しさに引き込まれて、息をするのと同じくらい自然に瞳から涙がこぼれ落ちた——ただ、それだけだった。


「一緒に見ようって約束してたんだけど、もしかしたらキーノは一人で先に見ちゃったのかもね」


 ユナの言葉に、隣に立つルカはゆっくりと首を横に振った。


「いや、見てないんじゃないかな。ミハエルが言ってたろ、キーノとお父さんは間違ってバスティリヤに逮捕されていたって。ステンドグラスを見るために並ぶ余裕なんてなかったのかもしれないよ。それに……おれは見るの初めてだし」


「ルカ、それは……」


「ユナはさ、もしキーノとおれが同じ人間だったとしたらどうする?」


 ルカの視線がステンドグラスではなくユナの方へと向けられる。


 ずっと聞こうとして聞けなかった問い。尋ねてしまえば、自分が「ルカ・イージス」でいられなくなってしまうかもしれないから。ユナの仲間を続けられなくなってしまうかもしれないから。気になっていても、聞かないで自分を誤魔化してきていた。


 だがここまで来たらうやむやにできない——ルカはそう感じていた。


 ナスカ=エラで少しずつ時の島のことが明らかになってきている。大図書館でバルバラに教えてもらった時の島から来たという青年のことや、ジーンに瓜二つのミハエル、そして彼が七年前に会ったという時の島に行く直前のキーノたちのこと。それぞれの謎が解明できれば、時の島の正体やそこで目覚めたルカ自身の過去も明かされるはずだ。


 そうなる前にユナに聞いておかなければいけないと、ルカは焦燥感のようなものに駆られていたのだ。


 ユナの口がゆっくりと開かれる。


 答えを聞けるのかと思った。


 だが、違った。


 彼女のその薄桃色の唇が紡いだのは、ミトス神教会の礼拝で歌われる賛美歌だった。清らかな歌声が誰もいない大聖堂の中にしんと響き渡る。胸の内の澱みを洗い流していくような心地よい歌声だった。ルカは瞼を閉じて彼女の歌を余すことなくその身で感じた。


 やがて、歌い終わったユナが呟いた。


「なんだかね、自分でもうまく説明できないんだけど……私ずっと、ルカとキーノは違う人なんじゃないかって思っているんだよね」






 牢獄塔バスティリヤの夜は冷える。


 ナスカ=エラの高地の気候に慣れない囚人たちの中にはこの寒さで死んでしまう者もいる。そのために、自ら囚われの身でありながらも看守長を務めるミハエルは毎晩囚人たちの独房を見て回ってから寝つくのが習慣であった。


「なんだか嬉しそうだね、看守長サマ」


 ミハエルは声をかけてきた人物の方を振り返る。両手両足を厳重に鎖にかけられた銀髪の女囚・ターニャだ。


「嬉しそう? 僕がですか」


 思わず口調を強張らせる。


 彼女には初対面でいきなり妙なことを言われたので身構えているのだ。ミハエルの思いを見透かすかのようにターニャは鉄格子の向こう側でくっくと笑う。


「あたしには人の意思のゆらぎみたいなものが見えるんだ。君が”千里眼”で未来を視ることができるのと似ているでしょ?」


 そう、彼女にはミハエルがイスラをしのぐ神通力の持ち主であることを見抜かれている。ミハエルは目を細めた。


「今あなたは神石を取り上げられているはずです。どうして力を扱えるのですか?」


「それは自分に聞いてみなよ。君も使えるんでしょ? 神石がそばになくとも」


「……! どうしてそれを……」


「あたしの神石は審判の女神・ヴァルキリーだからね。”千里眼”の正体が神石の力によるものだってことくらいは分かるよ。でもその神石は今君の手元にはない。そうでしょ?」


「……は大巫女に代々伝わる宝具です。普段は大聖堂の"祈りの間"で厳重に管理されています」


「そうだと思った。それでも君が力を使えると思った理由は簡単だよ。非力そうな少年でもこの牢獄塔の看守長を務められているのが何よりの証拠じゃないか。力の強い者にとって神石との物理的な距離はさほど関係がない。もちろん、手元にあったほうができることの幅は増えるけれど」


 ミハエルは口をつぐむ。すべて彼女の言うとおりだった。それを見てターニャは悪戯な笑みを浮かべた。


「君が大巫女になっちゃえばいいじゃない。その巨大な力があれば簡単に叶うだろうに」


「……僕はきたるべき日を待つだけです。大人しくしていればきっとアディール兄さまがお救いくださいますから」


 少年は銀髪の女から視線を逸らした。それでも彼女からまるで試すかのような視線を投げかけられているのを感じて、ざわざわと落ち着かない。


 やがて「ふぅん」という声とともに独房の中でがちゃがちゃと鎖が響く音が聞こえた。視線を戻すと、ターニャが牢獄の中で横になってミハエルに背を向けている。彼女は背中越しにつぶやいた。


「……ま、あたしには関係ないけどね。君ってばちょっと似ているんだよなぁ。昔のあたしに」


「昔のあなたですか……? 僕にはとても似ているとは思えません。だってあなたはエルロンドで革命を起こして世界から睨まれている犯罪者なのでしょう。誰かを敵に回し、人の命を奪う……教えに背く行為です。僕にはとてもそんな発想はない」


 するとターニャの背中が揺れた。笑っている。


 大真面目に答えたのに笑われたことが気に食わなかった。ミハエルがムッと顔をしかめていると、彼女はゆっくりと身体を起こして再びミハエルに向き合った。


「いやいやそういう意味じゃないよ、少年。……そうだねぇ、知りたいなら教えてあげるよ。惨めで無力な少女が自分の自由を手に入れて、世界を裁くために奔走するようになるまでの話をさ」



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