mission6-19 審判の女神ヴァルキリー



 アニェスのローブが切り裂かれた瞬間、観覧席で決勝戦を見守っていたメイヤー夫妻は息を飲んだ。


「あのお方は……!」


 同時に、ユナも一目で彼女の正体に気づいていた。アイラが抜けた空席を隔ててユナはガザの肩を叩く。


「あの人、銀髪女シルヴィアだよ! そう言えばヌスタルトでも白銀に光る剣を使っていた……!」


「あの女が……確かに顔はジルさんのまんまだな。けど国際的な指名手配犯がこんな堂々と闘技大会に参加するなんて、何が狙いだ——」


 その時、ガザは急に胸ぐらを掴まれた。周囲の観客は驚いて試合ではなくこちらの様子に注目する。ガザに掴みかかったのは旧エルロンド王国出身の青年・エドワーズだった。


「もう一度言ってみてくださいよ……! あのお方が、何だって……?」


 わなわなと震える腕。先ほどまで和やかに談笑していたとは思えないほど鋭い目つきでガザを睨む。


「ちょ、落ち着けよエドワーズ。俺は事実を話しただけだ。あの闘技大会の中央にいる女は銀髪女って呼ばれてる女スパイ。各地で要人を殺してヴァルトロに目をつけられてる。俺の地元のキッシュでも前の町長を殺した。ユナちゃんはその目で現場を見てる」


 しかしエドワーズは手の力を緩めず、ガザの言ったことを否定するように首を強く横に振った。


「違う違う違う! あのお方は……あのお方は、指名手配なんてされていい方じゃない……!」


「じゃあなんだって言うんだよ」


「あのお方は……ターニャ様は! エルロンドの革命を起こして我々〈チックィード〉を解放してくださった方なんだよ!!」


「なんだって……!?」


 ユナはハッとしてメイヤー夫妻の方を見やる。二人は瞳にうっすら涙をためて、闘技場の中心にまっすぐな視線を向けていた。


「ああターニャ様……よくぞ今までご無事で……」






 神石を発動させたからといって、銀髪女の剣が急に素早くなったり力強くなったりするわけではなかった。だがそんなものがなくても十分に洗練されたテクニックで急所に向かって刃を突き出してくる。


 ルカは軽い身のこなしでそれを避けながら彼女に尋ねる。


「この剣、エルロンド流って言うんだろ」


「そうだよ。詳しいね」


 銀髪女は息を切らさずに答える。


「エドワーズってやつが言っていたんだ。あんたがエルロンドの奴隷兵士出身なんじゃないかって」


 女の眉がぴくりとわずかに動いた。


「そうかエドワーズ……昔のことを他人に話しちゃうなんて、それだけあいつにとってはもう過ぎたことなんだろうなぁ」


 力強い踏み込み。刺突が来る。すでに一度大鎌で受け止めているから動きは読める。だがそれは神石の力を使う前の話だ。あの神石は他の神石を破壊する力を持っている。ルカはキッシュでその場面に出くわしている。


(受け止めるのは危険だ)


 とっさの判断でクロノスの力を発動。"音速次元"でその場を離れる。


「正しい判断だね。もし受けていたらバラバラになってたよ。この間の職人の街の神石のように、ね」


 銀髪女は妖しい笑みを浮かべて剣の刀身をペロリと舐めた。ルカは思い出す。あの剣が、目の前でアンゼルを——


 考えの途中でルカは動き出していた。瞬間移動で銀髪女までの距離を一気に詰め跳躍、上方から大鎌を振り上げる。


——ガキンッ!


 金属の刃同士がぶつかり合う。腕力ではおそらくルカの方が銀髪女より上だった。だが押し切れない。それは銀髪女の力というよりも、ルカ自身の中にある想いがそうさせていた。


「はは、何、手加減でもしてるつもり? ヴァルキリーの力を使うまでもない。前にも言ったはずだよ。君たちは甘すぎる。あたしは世界的な指名手配犯だし、あんたたちのことも騙していた。なのになんで本気で斬りかかってこないのさ」


 ルカはぐっと唇を噛む。


「あんたこそ甘いよ。どうしてあの時おれを殺さなかった?」


「言ったでしょ、気まぐれだって。別に意味なんかないってば」


「そういう風には見えなかった。あの時のジルさんは、本気で——」


「ああもう、面倒くさいなぁっ!」


 銀髪女が力を込めてルカの大鎌を振り払う。まばゆい白銀の光が剣の先からほとばしった。すると、観覧席から聞こえてくるざわめきが少しずつ一つの音の塊となっていく。それは、アニェスを支持する声。


「ヴァルキリーはいくさの女神。戦場の人々の士気を導き、悪と判断した者には裁きを下す」


「人の心を操れるのか……!」


「うんにゃ、ちょっと違う。さっきも言ったけど、あたしは無理強いってのが嫌いでね」


 まるで剣舞のように剣を掲げ、右から左へと動かす。するとその動きに合わせるように彼女を支援する声の大きさが変わっていく。


「あたしの役割は天秤と同じだよ。人の中にあるいろんな気持ちの均衡をちょーっとだけ操作する」


 彼女はそう言って切っ先をルカに向ける。


「君はどうかな? 君自身の中にある意思は」


 誰も自分の名前を呼ばない異質な空間の中で、銀髪女がまっすぐに向かってきた。狙っているのはルカの身体の方ではない。クロノスの神石がはめられた武器の方だ。


 ルカは自問した。ここは闘技大会の決勝だ。相手は赤の他人じゃない、自分たちを欺いてアンゼルを目の前で殺した女スパイ。だがこの手に持つ武器で彼女を斬ることができるのだろうか。戦わなきゃいけない。それは知っている。だけどまだ疑っている。彼女は本当は悪人ではないんじゃないかって。見ず知らずの子どものことを案じる優しさが彼女の本質なんじゃないかって。


 一瞬武器を持つ手が緩んだ——その時。


「ルカ!!」


 凛とした声が、喧騒の中でまっすぐにルカの耳に届いた。



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