mission6-17 もう一つの準決勝



「はぁぁぁ……良かったぁぁぁぁ……」


 ルカの準決勝戦が終わって長い安堵の溜息を吐くユナに、アイラは呆れたように「また?」と笑う。


 クロノスの力によって降り出した雨はもうすっかり止んでいた。雨宿りしていた者たちがぞろぞろと戻ってきて、観覧席は元の賑やかさを取り戻し始めていた。


「いったい今の試合は何だったのですか……? 炎が出たり、雨が降ったり……」


 メイヤー夫妻はじめ、会場の多くの人間はこの大会が普通の力比べではないことに気づき始めていた。ユナは小声でメイヤー夫妻に向かって説明する。この大会では真剣の使用は認められていないが、なぜか神石の力を使うことに関しては何の規制もないということを。


「不思議ですねぇ。どうして神石の使用は認められているのでしょうか」


「わかりません。ただ、もしかしたら……」


 ユナは選手控え場所の端を見やる。ルカと同じグループの中で石化の力を使っていたルーフェイの呪術師がミトス神兵団の男に声をかけられていた。ガザも同じことを思ったのだろう。彼はユナの言いたいことを代弁した。


「この闘技大会の本当の目的は、神石を使えるやつをミトス神兵団に勧誘することかもしれないな」


「なるほど、それなら理にかなっているわね。だけど次の試合は神石だけで勝ち抜けるかしら?」


 アイラはそう言って闘技場を指差した。そろそろ次の準決勝戦が始まろうとしている。鬼人族のグエンと、謎のローブの女戦士アニェス。今のところ両者は神石を使っていないように見えるが……


「いや、あのアニェスって人はたぶん共鳴者だよ。どういう風に力を使っているかは分からないけど、さっき予選の時に『声』が聞こえていたから」


「ルカ!」


 ルカがふらふらとした足取りでユナたちの席に戻ってきた。ジューダスとの戦いで彼の身体にはところどころ火傷やすり傷ができている。ユナは手をかざしてクレイオの歌を歌った。傷がみるみるうちに塞がっていく。


「体力までは戻せないけど……」


「ありがとう、大丈夫だよ。体力は試合を見てる間に戻ってくるさ」


 ルカがにっと笑ってユナの隣に座る。闘技場の方はちょうど司会が鐘を鳴らして戦いが始まったところだった。




 向かい合う鬼人族の男と、ローブに包まれた華奢な女。グエンはウォームアップがてらその場でぐるぐると肩を回し、手を組んで指をパキパキと鳴らした。


「あんた、アニェスとか言ったか? 女だからって手加減はしねぇぞ。鬼人族のルールは女だろうが男だろうが強ぇもんが上なんでな」


 ローブの陰から覗く彼女の口はにやりと笑う。


「へぇ、それはシンプルで良いルールだね。あたしはそういうの好きだよ」


 そしてゆっくりと重心を低くし木刀を構えた。その優雅な所作はエルロンド流と呼ばれるかつて栄華を放った国に伝わる剣技の構えである。


「ハァァァァ!!」


 対するグエンは大きな掛け声と共にその赤い皮膚の表面から湯気を放ち始めた。予選の最後で見せた力を始めから使うつもりだ。


「最初に聞いておきたいんだけどさ」


 女は身構えながらも余裕のある口調で言った。


「君たち鬼人族が人間を『ナメクジ』って呼ぶ理由ってなんなの?」


「あぁん!? それ今聞くことか?」


「もちろん。に関わるから」


「はんっ。妙なことを言う女だな。そんなの簡単だよ。持って生まれたものが違うからだ!」


「ふぅん、回答ありがと。おかげでやる気が出たよ」


「んなもん最初っから出しとけ!」


 グエンが踏み込み殴りかかる。ドゴォッ! 彼の拳が闘技場に穴を開けた。アニェスの方は素早い身のこなしでそれを避けていた。すぐさま追う。殴りかかる。また避ける。反撃をしようとする様子すらない。


「なんだ、言うこと言っといてあんた全然攻撃してこねぇな!」


 グエンは鼻で笑うと、ぐっと膝に力を込めて目にも留まらぬ速さで突進をかける。さすがのアニェスもその速さからは逃れられない。グエンは彼女のローブを掴むとその勢いで闘技場に押し倒した。


「呆気ねぇな。俺の勝ちだ——」


 馬乗りになった状態で拳を振り上げる。だが、組み敷かれた女は笑っていた。その時初めてグエンは異変に気付く。


「アニェス! アニェス!」


「グエンを倒せ!」


「鬼人族なんかに負けるな!」


 会場中がアニェスに対する声援で包まれている。グエンは振り上げた拳を止めたまま周囲をぐるっと見渡した。誰も自分のことを見ていない。司会でさえも。皆がアニェスを応援している。なぜだ。ここまで優勢に立っているのは自分のはずなのに。


「な、なんだこりゃあ……」


 グエンは予選に敗れて観覧席に移動したメイとリンの方を見た。同朋である彼女たちは自分の味方のはず。だが先ほどまで元気に彼を見送っていたはずの二人は糸が切れたようにその場で眠っていた。


「あれー? どうしたんだい、鬼人族カタツムリのグエン」


 下方から嘲笑うような声が聞こえる。グエンが相手に視線を戻して「あんたの仕業か」と言うと、アニェスはにやにやと口角を吊り上げながら言った。


「君、自分のこと強いと思ってるんだろ? なーら気にすることないじゃん。周囲がどう思ってようが、さ」


 グエンは叫びながら女を殴ろうとした。だが腕が震えて動かない。アニェスはその動かない彼の腕を指差す。


「あはは、そんな雑念たっぷりの拳じゃあたしを殴ることはできないよ」


 そう言うと動けないグエンの拘束から抜け出し、ローブについた砂埃を払うと立ち上がって再び木刀を構えた。


「ほら、もっと自分の中にある敵意に集中するんだ。あたしを殴りたい、その一心にね。君が本当に自分の力を信じていて、周囲にちやほやされたいだけじゃないってんならちゃんとあたしのことを殴れるはずだよ。そしたらあたしも、あんたが本当の強者だって認めてあげる」


「ぬかせえええええ!」


 グエンは勢いをつけてアニェスに向かっていく。大丈夫。捉えられるはず。この鍛え上げた肉体と拳なら。何度そう言い聞かせても、会場の声援はアニェスの方に傾いていくばかり。


「なんだ……なんだよこれ……気持ち悪ぃ……!」


 それでも拳を振るうがアニェスには一向に命中しなかった。彼女は余裕の笑みを浮かべながら彼の攻撃を避けるだけ。


「どうした? 気が散っているよ。もっと自分に自信を持ちなよ」


 彼女は馬鹿にするように言う。その言葉とは裏腹に、周囲の声援はやがてアニェスを支持する声からグエンを罵倒するブーイングに変わっていった。悪意のこもった言葉を投げつけられ、グエンの動きがだんだんと鈍っていく。


「それじゃ、そろそろこっちも行こうかな!」


 アニェスは木刀を持ち直すと、グエンに対して斬りかかった。あまり力は込めていない。武器の方が鬼人族の固い皮膚に耐えられなくなるからだ。皮膚の表面にかするくらいの力で、だが確実に剣先を当てていく。命中するたびにアニェスに対する歓声が上がり、避けようとするたびグエンに対する罵声が沸き起こる。


 そこまでの運動量ではないにも関わらず、鬼人族の男の額には脂汗が浮いていた。


「今、負けるかもしれないと思ったね?」


 いつの間にかアニェスの顔が近くまで迫っていて、グエンは一瞬反応が遅れた。何が狙いだ? 顔面か? 腕か? いや——


「この大会では武器を落とした者は負け。それは、『士気』だって同じだよ」


——カァンッ!


 強い音とともに、グエンが脇に挟んでいた木刀が宙を舞った。彼の力が緩んだところでアニェスが弾き飛ばしたのだ。自分が負けたことに気づき、彼はがっくりとその場に膝をついた。


「俺が……俺が負けたのか……?」


 会場中のアニェスに対する声援はより一層強くなっている。


 彼女はつかつかとグエンに歩み寄ると彼に手を差し出して言った。


「強い者が上だって言っていたよね。なら一つ、あたしの願いを聞いてくれないかな」


「願いだと……?」


 アニェスはにやりと笑って彼に耳打ちした。何を話しているのかは賑やかな会場ではさっぱり聞き取ることはできない。グエンは何やら驚いた様子だったが、やがて頷き闘技場を後にした。




「なんか、あっさり終わっちゃったね……私、なんでアニェスさんのことを応援していたんだろう」


 ユナが不思議そうに言う。確かに試合中に自分がアニェスに対して声援を送ったのは覚えているのだが、いざ試合が終わってみると腑に落ちなかった。彼女だけではない。隣に座るガザも、アイラもなぜか彼女のことを応援していた。別にグエンを支持しても何も問題なかったはずなのにである。


「たぶん神石の力だよ」


 ルカは闘技場を見据えたまま言った。その視線は闘技場の中心に立つローブの女戦士を捉えている。


「どういう理屈なのかよくわからないけど……厄介な相手になりそうだね」



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